Sunday, January 27, 2008

アムンセントスコット 本多勝一

西堀榮三郎の本を読んで触発され、アムンセンとスコットの極点到達レースに興味を持って読んでみた。

なんというか、レースというと好敵手の二人が切磋琢磨、というイメージをもたれるかも知れないが、まったくそうではなくて、なんと言うか、そもそも勝負になっていないと感じた。

アムンセンは子供のころから極点到達を夢見て、人生の全てをその夢の実現のためにプログラムした、という人物である。それは下記のようなエピソードからも伺える。自分の周りに居たらほとんど狂人である。

:子供の自分、将来の極点での寒さに耐えられる体に鍛えようと、寒い冬に部屋の窓を全開にして薄着で寝ていた。
:探検家になる前に船乗りになった。なぜならそれまでの探検の失敗行の多くが船長と探検隊長の不和に起因しており、船長と隊長が一緒であればその問題は避けられると考えたから。
:犬ぞり、スキー、キャンプなどの、付帯的に必要になる技術や知識についても、子供のときから積極的に「実地」での経験をつみ、学習していった

一方のスコットは、出世を夢見る英国軍人であり、極点に対する憧れはまったくない。彼はいわば、帝国主義にとって最後に残された大陸である南極への尖兵として、軍から命令を受けて南極へ赴いたに過ぎない。従って、極地での過去の探検隊の経験や、求められる訓練、知識についてもまったくの素人であった

この冒険は、結局アムンセンが犬ぞりを使って、一日に50キロを進むようなスピードでスムースに極点に到達して帰ってきたのに対して、スコットが主力移動手段として用意した動力そり、馬がまったく約に立たず、最終的に人が重さ140キロのそりを引いて歩いていくという信じ難い悲惨な状況になって、ついに食料も尽きて全滅してしまう、という結末になるのだが、いくつかの学びを抽出してみるとこういうことになるかと思う。

:戦略面での軸足を決める
アムンセンが犬ぞり一本に移動手段をフォーカスしたのに対して、スコットは動力そり、馬、犬ぞりの3種類の混成部隊を考えていた。これらのうち、どれかに決定しがたかったので、3つ持っていってうまくいく手段にフォーカスする、という考え方ならまだいい。しかしこの点でもスコットは中途半端で、動力そりについては修理する人間を連れて行っていない、犬ぞりについては犬用の食料が旅程分用意されていない、といった有様であった。結局は主力を馬にする予定だったのに寒さでまったく約に立たず、その上、馬を維持するための馬草が膨大な荷物になっていて、これを運ぶだけで隊のエネルギーが消耗される、という状態だった。

:調べられることは事前に調べる
で、これが次につながる話なのだが、そもそも極点のような零下30度というような状況で馬が機能するかどうかについて、ほとんど試験らしい試験をやっていないのもいかにも手落ちだと思う。他にも、デポに保管していた帰還部隊用の燃料タンクが、寒さで変形して燃料が漏れてしまって帰還部隊が帰りは紅茶二杯分の燃料しかなかった、というような話も、燃料タンクみたいな重大な物品が、寒さに耐えられるかどうかの試験をやっていないというのも、ちょっと驚きというか、すごい楽天的な人なんだろうな、という気がする。当たり前の話だが、調べられるものについては調べるくらいのことはしてもいいのでは。

:あきらめる勇気
スコット隊の最初のつまづきは、帰還してくる部隊の食料・燃料を置いておくデポを当初の予定より30キロ手前に作らざるを得なかった、ということだった。ここから小さなほころびが、雪だるま式に大きくなっていって、結局最後の帰還部隊はデポ手前20キロのところで息絶えてしまった。結局は、最初のデポを当初予定のところに作れていれば、帰還部隊は大量の食料と燃料にありつけたわけで、レースに負けこそすれ全滅という事態は避けられたはずなのに、結局は最初のボタンのずれを修正できずに終わってしまった。いろいろと考え方はあるが、運搬手段が全部役に立たず、人間が徒歩でそりを引いて数百キロの酷寒の地を歩いていかなくてはならないという状態になった時点で、この冒険はそもそも終わりにすべきだったと思う。スコットは精神論の好きな軍人らしく、人間がそりを引いていく事態になって、いよいよ興奮してきたらしいが、そんなのいい迷惑である。

:徹底した読み
一方でアムンセンの動きを見ると、徹底して「こうなるやもしれない」という事態に対して事前に手を打つことをやっている。往路と復路で、往路の道を復路で迷わないように10キロごとに塚を築いていくのだが、その塚から向かって左右に100メートルごと、左右15キロに渡って旗を立てているのである。しかも、東側は黒、西側は白としていた。これによって、帰ってくるときに、もし往路の道からずれてしまっても、よほどのことがない限り旗に出会って、しかもそれが白であれば自分が塚より西側に、黒であれば東側に居ることがわかるようにしていた。こういった手間のかかることをスコット隊はまったくやっておらず、そのために復路で迷走して貴重な燃料と食料、何より体力を犠牲にしてしまった。





http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%81%A8%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%83%E3%83%88-%E6%9C%AC%E5%A4%9A%E5%8B%9D%E4%B8%80%E9%9B%86-%E6%9C%AC%E5%A4%9A-%E5%8B%9D%E4%B8%80/dp/4022567783/ref=sr_1_3?ie=UTF8&s=books&qid=1201498879&sr=1-3

Wednesday, January 23, 2008

石橋を叩けば渡れない 

石橋を叩けば渡れない 西堀榮三郎 

·
■統率は教育であり、教育は暗示である・・・暗示とはノセることである
- 暗示学の基本は否定語を使わないこと
- ダメは、否定語だからダメ
- ダメでしょう、もっと勉強しないと偉い人になれないわよ、というと、否定語が三つ続くことになる
- 勉強しなさい、そうすると偉い人になれるよ、はそうすると、という仮定が入っているのでこれも否定の一種
- そうではなくて、暗示は成功を断定するところが大事である
- お前は偉い人になれる、と言い切る
- そのために勉強しろ、とこう来る
- これを言うのはタイミングが大事である・・・のべつに言っては効果も半減
- 本人がちょっとがんばっていい結果が出せたときに、ズバっと出すと効く
·

■日本人には創造性はあるが、日本の組織に創造性がない・・・
- 個人ではすばらしい創造性を発揮した人がたくさん居る・・・湯川秀樹、川端康成、といった人たち
- しかし組織になるとさっぱり
- 周囲の人が創造の種を育てるより小姑みたいになって、混ぜ返したりけなしたりしてつぶしてしまう
- 日本人の創造性を発揮させるには個人よりも組織のあり様に目を向けないとダメ

Monday, January 21, 2008

プレミアム戦略 遠藤功

プレミアム戦略 遠藤功

·
■格差が改題して二極化しているのではなく、一人の消費者の中で、こだわるものとどうでもいいもの、の二極化が進んでいる
·
■安さを売り物にしている企業が成長している
- ダイソーの売上は1997年の485億円から2005年の3200億円へ
·
■中価格帯の元気がない
- 自動車販売では高級車と軽自動車が伸びる中、中級車が落ち込んでいる
- 例えばファミリー向け中流者の代表であるカローラの2005年の販売実績は前年比で13%も減少
- 日産は2009年に80~90万円程度の低価格車を開発し、マーチの下のラインを作る
·
■商品の選択肢を横に広げるのではなく、縦に広げることが求められている
- 横の広がりでは競合状態がすごく厳しい
- 例えばビールはたくさんの選択肢が同じ価格帯にある
- そうしたなかでサントリーはプレミアムモルツを打ち出した
- レギュラービールの20%高価、第三のビールの2.5倍の価格でも対前年比200%を超えるヒットになっている
·
■江戸時代の特徴は政府に金がなくて市民に金がうなっていたこと・・・
·
■エモーションとクオリティの両面がプレミアム
- エモーションだけだと愛されるブランド
- クオリティだけだと尊敬されるブランド
·
■プレミアムには象徴が必要
- 象徴がつくれずに失敗したのがレクサス
- 最初にフラッグシップを出せなかった
- どのブランドにも飛びぬけたフラッグシップがある
- それはエルメスではケリーであり、ポルシェではカレラGT
- 作り手側の欲求の質が低いことが、日本にプレミアムブランドが生まれない理由

創造力 西堀榮三郎

創造力 西堀榮三郎 

西堀さんは京都大学の工学助教授から東芝に転じたエンジニアだが、最終的には南極越冬隊の体調をやったり70歳過ぎてチョモランマの登頂隊の隊長になったりと、なんともダイナミックな人生を送った人だ。前回読んだアメリカズ・カップの本が面白くて、その中で何度も紹介されていたので読んでみたら実に物事の本質をうまく捉えているなと感じた。こういう形で興味のある人や事象が連鎖していくと、面白くてためになる読書が続く。この本を読んで、アムンゼンとスコットの北極探検の成功失敗を分けたポイントはなんだったのか、すごく興味が出てきたのでアマゾンでまた一発クリックしてしまった。

■何事も本質を理解しようと思ったらファミリアにならなくては
- エンジンだったら図面で学ぶよりも、手を汚して分解してみたり、組み立ててみたりして、いろいろやって初めて「うーん、なるほど」と思うまでファミリアにならなくては本質はわからないもの
·
■標準化=水平部分は現場、改善・開発=垂直部分は研究部とか技術部、というのは考え方の基本としてはわかるが、組織の中には両方をダブって持っている部門が必要
·
■情報の本質は「並び方」にある
- アルファベットは27文字だが、そのいくつかを取り出して並び方を変えると意味が生まれる
- 物質は原子が、人間は遺伝子が、それぞれ並び方を変えることでユニークな個性を生じせしめている
·
■シューハートの管理技法のポイントは「ばらつき」にある
- 3シグマ法で管理限界線を計算し、平均値を中心に二本の線を引いて、不良率の打点がそれを超えているケースを問題とする
- コントロールはあくまで管理限界線の外側の打点に対してであり、必要としない恒常的なバラツキに対してまでコントロールすることはない
- しなくてもいいコントロールをシューハートは「オーバーコントロール」といって厳しく戒めていた
·
■作った人に検査させることによって、責任感が生まれ、自発的な改善がなされることがよくある
·
■上役より幅役
- 偉いわけではないから上役ではない
- むしろ考えている広さが広い、時間軸が長い、ということだから幅役と言うべき
·
■スコット隊は「あわて者の誤謬」の典型例である
- 計画段階でのスコット隊の致命的な過誤のひとつとして荷物運搬の主力を馬においた点にある
- これは依然に犬を使ったときに何らかの理由で犬が死んでしまって役に立たなかったという未熟さゆえの経験から来ている
- 「たまたま」犬が役に立たなかった、という学びが「そもそも」犬は役に立たない、と理解した点にスコットの誤りがあった
- 統計的品質管理ではこのような誤りを「第一種の誤り」として強く戒めている
- 付け加えれば、スコットは迷いもあった・・・犬をまったくあきらめたわけではなく、馬を主力にして雪上車と犬ゾリを併用した運搬を考えていたのである
- これは事前の調査が十分にできず、どれがよいかという点について確信が持てなかったことが伺えるのだが、結果的には馬も犬も雪上車もすべて役に立たず、犬を乗せたそりを人間が引いていくという信じがたい状況に陥ってしまった
- これがダメならアレ、という手段は非難されるべきではないが、それをするためには全ての手段が十分に使えるという確信のもとにとられなければならない
- スコットの場合、万事が中途半端であった
- 例えば雪上車を持っていったのに、修理できる人間は連れて行かなかったり、馬に食べさせるためのペミカン式の食料を研究しておくような思慮にも欠けていた