Sunday, April 13, 2008

重要なのは情報量

苔むした地面の上を裸足で歩くととっても気持ちいい。

中学二年生の夏休み、風にゆれる大樹が奏でるサーッという葉ずれの音を聴いて、果たしてこれに勝てる音楽があるのか、と思ったことがある。

絶品の一皿は言葉を拒絶してただ一緒にそれを食している相手との表情の交歓しか受け付けない。ワインを飲んで素人が解説するとどうしてああ薄っぺらく陳腐になってしまうのか。

いずれも、鍵になっているのは圧倒的な情報量の多さなのだと思う。

人間は、情報量の多いものを気持ちいいと思うように出来ている。そして訓練を積めば積むほど、情報量の多いものしか受け付けなくなってくる。

例えば、表情に力のある人が居る。男性でも女性でも、そういう人の表情には情報量が多くて、それが魅力になっている。

一方で、近年のAV女優の記号的な美しさにはそれが無い。造形的に記号としての美しさを追求した結果出来上がった記号としての形態があるだけで、そこには情報量という地盤を持つ美が無い。非難を恐れずに言えば、最近の女性向けの雑誌の表紙を飾るモデルからも、どんどん情報量が失われている気がする。要するに、おんなじ顔に見えるようになっているんじゃないか。

先日、モディリアーニの展覧会に行って、前々から考えていたこのことを改めて再認識させられた。モディリアーニの肖像にはフォルムやディテイルのリアリティは無い。極端ななで肩の上になすびのような顔がのっていて目もガラスだまのように描かれている。だけれどもその人物がどういう境遇に居て、いま何を考えているのか、ということに対する想像力はピリピリと刺激される。AV女優や雑誌モデルにはそれが無い。

これは一時期の音楽ムーブメントからも言えると思う。TMネットワークが一番わかりやすいが、シンセを使っていても結局は残る音楽と、時代とともに消えていってしまう音楽の一番の差は情報量にあるのではないか。

クリエイションを志向するのであれば、この情報量の再獲得というのは重要なキーワードだと思う。
建築という分かりやすい秩序から森という目に見えない秩序へ。クラフトワークからローリーアンダーソンへという流れが行き着く先の情報量のエンタテインメント、という方向性。

1 comment:

Meri said...

これってポイントを突いていると思います。映画を見ていても、ますますコンテンツがリッチになって行っているのを感じます。アートもそう。アイデア勝負の一時の現代アートから、すごく手の込んだ凝縮された作品作りに変わって行ってますよね。