Wednesday, September 19, 2007

9/19 フラット革命 佐々木俊尚 

一言でいって深い本である。最近のインターネット関連の書籍のほとんどがビジネスサイドに関するものばっかりであったのに対して、この本は人間そのものがどう変わるのか?公共性はどうなるのか?社会はどうなるのか?といった問題意識を提起している。一種のルポルタージュになっているので、サっと読めるものでもないが、読み通せば確実に、これは考えなければいけない問題だなという、宿題に似た感じを与える本である。特に、匿名性が維持されるネット内において建設的な関係性・公共性をどう維持していくのか?という点は深く考えていかなければいけない問題だと思う。

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■インターネットの浸透によって“公共性”のあり方も変わってくる
- 既存マスメディアからのパワーシフトが発生しているが、既存マスメディアはそれはそれで公器としての昨日、公共性を担保させるための役割は果たしていた
- もし仮に、ネットの台頭によって既存マスメディア企業がつぶれてしまったとしたら、公共性は誰が担保するのだろう
- ウィキペディアは集合知として存在しているが、等のウィキペディア自身はウィキペディアを“信頼できない情報源”として分類しており、信頼できる情報源としてウォールストリートジャーナルやタイムといった既存マスメディアを挙げている・・・彼らはネットの台頭によって経営上存続が難しいかもしれないのに
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■ネットの台頭によってゲマインシャフトからゲゼルシャフトへのシフトが起こっている
- 20世紀初頭のドイツの社会学者フェルディナント・テンニースは地縁や血縁にもとづいた共同体であるゲマインシャフトは、社会が近代化され、産業資本主義によって工業化が進められると徐々に消滅し、利害関係だけにもとづく人工的な共同体=ゲゼルシャフトにしふとしていくと説いた
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■ネットにおける匿名性の問題は、仲裁可能性の問題として捉えられる
- ネットにおいて事象や個人を名を明かさずに匿名で攻撃する人について、卑怯だという非難をする人が多いが匿名性を非難することはなかなか難しい
- たとえばキップリングというニックネームを用いるのと、東京都山口さんという名前を用いるのと東京都匿名希望という名前を用いるのは、もし個人名が何らかの権威と結びついて有名性を持っていない限り、本質的に違いは無い
- しかしアスキー創業者の西氏はこうやって匿名に関しての問題性を指摘する
- たとえばインドと中国の国境は両国が何年もかけて争ってきており、容易に譲歩できる問題ではない。これは国際社会として、どう仲介していくのかというのが問題になるわけだが、インターネットではそうはならない。他人から失礼なメールが送られてきたら、そのメールを削除して、以降その人からのメールをすべて拒否する、というようにプログラムしてしまう・・・・サイバーの世界では一旦嫌いになったら関係の修復が難しい。誤解やミスコミニュケーションによって発生した断絶を、修復するすべを持っていない・・・サイバー世界でけんかしたら仲良くなれない、と、彼は指摘する
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■ネットは恐ろしい、醜いものまで目の前に突きつけるメディアである・・・そこから美しいものだけを取り出すリテラシーと勇気が必要
- これまではマスメディアが世の中で起きていることをフィルタリングして、しかも砂糖でくるんで届けてくれた
- いまやネットはオブラートにくるまずに恐ろしい・醜い側面をダイレクトに見せてくれるメディアである
- インターネットの情報はノイズにあふれている・・・しかしこのノイズが世の中の実態そのものなのである・・・この膨大なノイズの中からリアリティを失わずに本質をつかみあげることが出来るか・・・?
- これは大変である・・・・人々がこの世界で浮遊し、誰も警察や役所の役割を果たさない・・・自分たちで自治をしていくしかないのだけど、この中には犯罪者や異常に攻撃的な人、ずるい人、自分とまったく意見が会わない人が居る・・・・どうやって意見がまとまるのかさえはっきりしない

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