10/31 オルフェウス・プロセス ハーヴェイ・セイフター
端的に言って検証が乱暴。指揮者不在という仕組みがいいのだ、という結論があって、その結論を補強するためにいろいろと材料を集めたという感が強いが、切れ味が悪い。
例えば、指揮者がいるオーケストラに居た奏者を取り上げて「つらい体験だった、二度と味わいたくない」といったコメントを紹介しているが、一般化するにはサンプル数が少なすぎるし、そもそもウィーンフィルやベルリンフィルといった世界の名だたるオーケストラの団員は皆不満なのだと考えるのは無理がある。
このオーケストラで原始共産主義的な意思決定が機能しているのは実に単純で人数が少ないからである。総勢で27名のオーケストラに指揮者がいなくて機能している、スゴイ!と驚いているが27名であればトップはいなくても機能するだろう。大きな会社になれば取締役会は30名くらいにはなる。この30名が合議的に意思決定をしているとしたらその会社にはヒエラルキーが無いことになるのかといったらそうはなるまい。
ヒエラルキーを設定するのはコストの重複を避けるためである。1万人の会社で経営方針を決定するのに1万人が議論に参加したらその会社は成り立つまい。決める人と執行する人を分けるのは作業の重複を避けるためであって、27人のオーケストラであればなんとかなることを1万人の会社に適用できるとは思えない。
加えれば、オーケストラというのはミッションが非常に単純で、要はいい演奏をしてお金をもうけることがその目的だが、企業というのは往々にして目的やミッションが股裂きになるケースがあって、そういう場合にもおそらく機能しないだろう。
最近「ヒトデはクモよりなぜ強い」とか、ヒエラルキー不在の組織に関する論考が多く出されているが、そのどれもがまともな経営論として扱うレベルに達していない。
この本も、組織論を専門に勉強している学生とかならまだしも、プロのコンサルタントが読んで学びがあるレベルにまだ達していないと思う。
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