Sunday, February 17, 2008

ライト、ついてますか?

会社のイントラで「仕事術」シリーズというのがあって、毎回毎回イロイロなスタッフが、仕事上のコツやネタを披露している。今回、そのシリーズの執筆をしないかという誘いがあって読書術というテーマで書いたところ、会社内の読書好きの同僚の数人から、それぞれで面白かった本を定期的にシェアする会をやろう、という話になった。

で、早速いくつかの本を教えてもらったのがだが、週末にチョコっと読んで面白かったので紹介しておきます。実はまだ全部読んでいないのだが、だんだんつまらなくなってきた気がする。ただ最初の章だけでも結構学びがあるので。

一言で言えば、「問題を解決する」には、どういうものの見方をするといいのか、ということを書いてある本です。

で、一章の例が、こういう例でこれが結構面白い。

:超高層ビルを建てた
:金融業界の人がどんどん入ってきた
:エレベーターの数がゼンゼン足りず不満が噴出
:金融界で「あそこのエレベーターはひどい」といううわさが流れている
:テナントが埋まらない恐れがある

ということで、どうやって解決するか??という問題である。ここでちょっと考えてみると、いろいろとアイデアは出てくる。

:エレベーターをビルの外に増設
:エレベーターをビルの中に増設(フロアは縮小)
:エレベーターを高速化
:通勤時間をずらす
等々

で、ここで著者は、そもそもこの問題は、誰にとって何の問題があるのか、が定義できていない、と指摘する。上記の回答は「テナントの従業員にとって」「エレベーターが来ないために労働効率が落ちる」ことが問題なのだが、この問題をビルのオーナーにとっての問題に切り替えてみると、究極的にはテナントが入らず、ビルのローンが償却できないことが問題、ということになる。そうするとテナントは埋まらなくてもかまわないので賃料を大幅に上げて、従業員数を減らし、エレベーターの問題とローンの問題を一気に解決する、という手もある、と来る。

つまり第一章は「誰にとっての問題なのか」を決めることの大事さを説いている。ということでとりあえずここまでは結構面白いので、もちっと読んでみます。

Tuesday, February 12, 2008

コンテンツ・チューチャー (3)

■日本のテレビ局はビジネスモデルのシフトに乗り遅れている
:CBSは、ブロードキャストからコンテンツキャストへ、を掛け声に、さまざまなメディアと組んでコンテンツを提供する、という動きをはじめている
:もともとコンテンツの制作力が強かった日本のテレビ局が、それをやらない手はない

■見開き、は永遠のインターフェース
:羊皮紙以来、蔡倫が紙を発明すぃ手以来、綴じ方こそ少し変わったけどずっと見開きで来ている
:見開きの、一瞥で知覚する情報量がちょうどいいのだろう

■新しいメディアにおいて「音声」はキー
:もともと15世紀くらいまでは黙読しかなかった
:幼児は未だに黙読できない

■メディアが変わって制作会社も儲かるようになった
:昔のLPレコードは2800円のうち、盤そのもののコストが1000円もした
:CDになってそれが一枚60円まで落ちた

■情報のスピードを遅くすれば人類が変わる
:例えば一ヶ月前のニュースしか放送できない、記事に出来ないとなると人類が変わる
:今は全てが早く届きすぎる

Monday, February 11, 2008

コンテンツ・フューチャー (2)

■テレビという枠組みを離れると番組という形態も消えるのかも
:局数が限られていて、広告主に時間を買ってもらう、という形態が必然的に番組という枠を生んだ
:インターネットでは局数も時間も無限にあるわけだから1時間とか30分とかで区切る意味がない
:情報的に意味がある単位でコンテンツをきればいい
:それが30秒のときもあるし3時間のときもあるだろう
:しかし広告は見た人×時間(回数)によって料金が決まるので、こういう仕組みとどうあわせるか?

コンテンツ・フューチャー

■放送と通信の融合って言葉ではわかるけど、新しい楽しみ方の提案が無い
:堀江さんが放送番組をそのままネットに乗っけられますとか、ドラマの主演女優が持っているかばんが今インターネットで買えます、というのがあったけど、それは違う

■ネットでしか出来ない表現、というのもある 
:山登りのドキュメンタリーをテレビでやろうとすると、準備して上って、という課程を最後に編集して、音楽つけて、ナレーションつけて、っていう風になる
:そういうことじゃなくて、準備して登って、もしかして途中でスタックしたりとか、そういうのも含めてずーっとリアルタイムに追っかけていく、これはネットでしか出来ないと思っています

■YouTubeに入れることで反応がビビッドになる
:ある番組を分割してYouTubeに入れると、コーナーによってヴュー数がすごい変わる
:これは今までの視聴率というフィードバックとは違う
:ものを作る側として、何が受けるか、何がいいのか、悪いのかというのについてダイレクトに、迅速にわかるようになる

■コンテンツの嗜好はコンテンツの形態よりも情報の質の問題
:テレビゼンゼン見ない学生でもYouTubeは見ていたりする
:動画コンテンツに興味がないわけではなくて「情報処理のスタイル」が違うということ
:必要なものだけ、エッセンスで見る、というのがインターネット的
:番組というパッケージも否定している

■今問題なのはユーザーとアーティストの間にレコード会社が割って入っていること
:昔はレコード会社は空気みたいなもんだった
:それがコピー問題とかでいきなりしゃしゃり出てきた構図
:アーティストはユーザーとレコード会社の間で板ばさみになっている

■TSUTAYAではレンタルは客寄せの意味しかない
:レンタルの料金はどうでもいい・・・そもそも儲けを出そうと思ってレンタルしていない
:ビジネスの中心はセル
:店舗に来てもらうためのしかけとしてレンタルをやっているに過ぎない
:ビデオを返しにきた客が雑誌を買ったりゲームを買ったりしてくれることで利益を出す
:だからネット配信のレンタルはTSUTAYAにとって代替ビジネスにならない

■パッケージの手応えがなくなってきた
:昔はレコードを買うのってミュージシャンの世界に参加する感覚があった

■YouTubeが今の精細度とサイズでいる限り、両立できる
:YouTubeで見て、もっときれいで大きい映像で見たい、と思わせる
:YouTubeが大画面化、高精細化するとこれはもろに競合になってくる

Sunday, February 10, 2008

レビット マーケティング論文集

■イノベーションよりイミテーション
:イノベーションはリスクが大きい
:イノベーションが事業を成長させるケースは稀
:他社のイノベーションに冷やか
:他社のイノベーションへの対応は遅れがち
:他所のイノベーションで重要度の高いものをすぐに模倣することが重要

■リバースエンジニアリングと資本力でイミテーション戦略は決まる
:リバースエンジニアリングがやりやすければイミテーションはやりやすい
:体力があれば後発の不利を一気に覆せる

■上記の成功パタンを実行しているのは松下とコカコーラ
:家電はそれほどリバースエンジニアリングがやりやすいわけではない
:資本力と販売力で、ソニーのイノベーションを模倣して後追いしている
:飲料はリバースエンジニアリングが簡単
:自販機のネットワークがあるから、他社が開発した市場を後取り出来る
:両者ともにリスクのある研究開発・市場開発は他社にやらせて、ある一定レベルまで成功が見えてきたところで一気に参入、という戦略

■他社の成功度合いを時間軸に応じて対応していくことが必要
:出てきたばかりの他者のへんな商品をまるごと模倣は出来ない
:時間軸に応じてかけられる予算を決めていく

西堀流新製品開発

■イノベーションにはバカと大物が必要
:とてつもないアイデアを思いつくのがバカ
:バカの出したアイデアを擁護し、スポンサードしてやるのが大物

■イノベーションにはアイデアのその後の方が大事
:日本人にはクリエイティビティはある
:日本で発明がおきにくいのは個人的な資質よりもと組織の問題が大きい
:アイデアを出すより育てる方が難しい
:育てるには大物がいる

■大物はバカでもいい
:白瀬中尉の南極探検のアイデアに乗ったのは大隈重信
:大熊は白瀬に「南極は南洋より南にあるからもっと暑いはず、気をつけろ」と忠告するほどのバカ
:でもゼンゼンOK

■育てた人に賞を出すほうがいい
:よくアイデア賞をやったりするけど、それで出たアイデアが商品に結びつかない
:アイデアを出した後で重要なのは育て親の責任者を決めること
:育ったら賞を出す、というふうにすればいい

Wednesday, February 6, 2008

古巣

ブーズ・アレン時代の同僚のFさんと六本木のイタリア料理屋オステリア・ナカムラで飯を食った。

オフィスにイロイロな意味での改善の兆しが見られず、フラストレーションがたまっている模様。

途中から僕と同じタイミングでマッキンゼーに移ったKさんが合流。なんでBCGにしたんだと
責められる。うーん、どう考えてもこっちのほうがいい選択だと思うのだが。英語できないし。

やはり新しい職場で信頼を新たに勝ち取っていくというのはしんどいなあ、と思う今日この頃なのだが、某経営者の言葉を思い出して、自分を奮い立たせている。

それは

安定は不安定、不安定は安定

という言葉である。これは多分NECの数代前の社長さんが言った言葉だと思うけど、要するに長い間ラクしている会社ほど、いざというときにメタメタになる。しょっちゅう大変だとかもうだめだとかいっている会社ほど、長い目で見るとちゃんと成長している、というそういうことを言ったものだが、人間にも同じことが言えるのではないか、と。

つまりずーっと負荷のかかっていない状況ってラクで心地いいのだけど、ずっとそれが続くと、大きな変化とかに対して対応できない、というかそもそも成長しないから、本当に大変な事態になったときに切り抜けられない、ということでもある。

と言い聞かせて、今週もがんばってます。

メタファーとメトニミー

大学院の授業で久しぶりに面白い話を聴きました。

ミュージアムの一形態でアーカイヴというのがあるけれども、このアーカイヴにはメタファーとメトニミーがある、という話です

メタファーはよく聴くけど、メトニミーって何?と思うでしょう。

メタファーは日本語では暗喩となりますが、メトニミーは喚喩と訳されます。たとえばヴェニスという都は「ゴンドラの都」と喩えられたり「アドリア海の宝石」と喩えられたりしますが、前者がメタファーで後者はメトニミーになります。乱暴な言い方をすると、喩えられる対象=Aと喩え=Bの関係において、BがAの性質に基づいて垂直的・連続的なケースがメタファーで、AとBの関係が水平的・跳躍的な場合はメトニミーとなります

なんでこんな話をしたかというと、実は読書にもメタファー的なものとメトニミー的なものがあって、メトニミー的な読書はコンテンツの定着率が高いし学びも大きいのではないか、ということを最近考えているからです。

例えば南極に関する本を読んでいて、そこから南極の生物や南極の気候、南極大陸の形成といった様に興味領域が深く、細分化していくのはメタファー的読書です。一方で南極からアムンセンとスコットの探検の話につながり、それがリーダーシップ論につながって、織田信長につながって、それが茶の湯に結びつく、といった形で興味のフォーカスが横方向に非連続的に展開していくのがメトニミー的読書といえます。

アカデミーにおいての研究は、ある固定された対象を深く連続的に掘っていくわけですからもちろんメタファー的になるのですが、それは知識の体系としてはどんどん狭く閉じていく方向になります。一方でメトニミーはアート的であり、まったく違う時代や場所や分野の知識が、背後のメカニズムの類似性によってつながってくるので本質を深く洞察したいときにはこちらの方が学びが大きいんじゃないかと最近は考えています。

何といっても、興味の赴くままに自由に「知識の食欲」に敏感に読書していくことで「なんか歯を食いしばって読んだけど、結局残らなかった」ということが避けられるので、結果的に高効率だったりする気がします。

余談ですが、もっともメトニミー的に知識欲の赴くままに人生を歩んだ代表的な人はレオナルド・ダ・ヴィンチでしょう。絵を描いていて背後にある河の流れがうまく描けなくて絵を中断して五年間流体力学の研究にいそしむ、というのは非常にメトニミー的だなあと思ったりします。