8/28 歴史家の自画像 阿部謹也
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■昔の人は、今の人とぜんぜん違う
- 時代劇とかは舞台が昔なだけで、現代人のドラマ
- 歴史家が中世とか江戸のものをやろうとすれば、そこでは現代人とまったく違う人が出てくるドラマになる・・・面白そうでしょう
- ただ、それをやると読者とか視聴者は自分を投影できなくなるので戸惑う
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■ラテラノの公会議は歴史的な事件だ
- 告白をシステム化し、近代的自我の成立を促した
- フーコーもそう言っている
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■ものを考えるのは一瞬
- じっと考えるのではない
- 一瞬の密度が大事・・・その密度が薄れてきたらもう研究者としてはダメ
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■三大宗教とローカルの宗教、違いは経典の有無にある
- 経典があることで伝達や解釈が可能になる
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■生活に根ざした習慣から変えないとルールというのは変えられない
- 贈与とか贈答とかが人間関係の基本にある
- 汚職の追放をやる、ということになるんだったらお歳暮・お中元は一切禁止と、それくらいのことをやる覚悟がないと根絶できない
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■日本は西欧文明の受け止め方を失敗した
- 文化というのは特定の地域に生まれ、特定の人間によって担われている・・・不合理なものを含まざるを得ないものだ
- 西欧文化というものは西欧社会の中で、特定の地域において、特定の人間集団によって担われてきた不合理なものを含む、感性に訴えるものとしてわれわれは受け止めず、むしろ普遍的なもの、合理的なものとして受け入れてしまった
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■文化と文明は違う
- 文明は開かれているが文化をよそ者を拒絶する
- 高村光太郎は日本を捨ててパリに行ったけれども、そこで拒絶されてノイローゼになって帰ってきた・・・・漱石もそう
- 日本人だって外国人が源氏物語を研究していると聞くと「大変ですね」とか口では言うけど、内心では「おまえにわかるものか」と吐き捨てている
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■文化が文明になるためには他民族を飲み込まなければいけない
- 日本は他民族を支配した経験がない・・・・朝鮮とか台湾には多少支配を及ぼしたけれども、そのときには日本語とか日本文化を押し付けて、うまくいかなかった
- 本当に永続的に支配しようと思えば、支配する者は支配される者から取り込まなければならない
- 支配するものが変質することによって支配は存続する
- ローマは、異民族支配をしてきたために文化から文明になった
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■ルネサンス以降の人間は世界を急進的に理解する
- 自分の中にいったん取り込んで理解する
- 中世の人は逆で、自分を世界に投影して理解する
- その例がたとえば星座である
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■個人の解放を現代的なコンテキストだけで理解するべきではない
- 個人が解放された・・・近代の勝利だ・・・・まことにその通りなのだが、その渦中にあった人たちはずいぶんつらい思いをしている
- その苦労が実は近代人を生んでいくのだが、中にはそういう自由に耐えられない人も出てくる
- エーリッヒ・フロムは「自由からの逃走」で、自由のしんどさを描いた・・・
- このころに本意ではないのに解放されてしまった人はしんどい思いをしたのではないか
Wednesday, August 29, 2007
Sunday, August 26, 2007
読書日記:生物と無生物のあいだ
8/27 生物と無生物のあいだ 福岡伸一
ムチャクチャ面白かったです。生命科学も、ある程度以上踏み込んで考察するとそこに
美しさがありますね。深みのある本でした。
·
■野口英世は生活破綻者だった
- 結婚詐欺まがいのことを繰り返す
- 支援者や婚約者を裏切り続けた
- お札になったのは皮肉・・・樋口一葉も人格的にはお札に最も遠い
·
■生物が原子に比べてかくも巨大になったのは活動の精度を高めるためである
- シュレーディンガーは問う、なぜ人間やその他の生命は原子に比べてかくも巨大になったのか?例えば原子100個からなる生命体というのはなぜ存在しないのか?
- その答えは平方根の法則にある
- 標準から外れて例外的な動きをする粒子は、全体の数の平方根だけ存在する・・・つまり100個の粒子があればルート100・・・10個の粒子は例外的な動きをすることになり、つまり原子100個の生命体があればその一割は全体とは異なる動きをすることになる・・・これは生命体の秩序を維持する上では致命的に高い確率である
- 一方、100万個の原子からなる生命体を考えて見ると、その平方根である1000個の原子が例外的な振る舞いをすることになるが、これは1千/100万になり、つまり0.1%になり格段に下がる
- 実際の生命体は100万どころかその数億倍の原子からなっている・・・生命現象に参加する粒子の数が多くなればなるほど平方根の法則によって誤差率は下がる・・・・これが生命体が原子と比べて際立って大きいことの物理的な理由だとシュレーディンガーは言っているのである
·
■成熟した生命体で、成長が殆ど無くなった状態でも摂取された食物は体を構成する要素になっている・・・一年経つと人間も分子レベルではすっかり入れ替わってしまう
- 窒素は原子番号7の元素で原子核には中性子が7個、陽子が7個あってその質量数は14になるが、ごくまれに陽子が8個ある重窒素がある
- これをネズミに取り込ませてそれがどこに行くのかをチェースしていく
- 当初は大人のネズミであるから体に取り込まれるよりもエネルギーとして燃焼され、排泄物の中に現れるだろうと予測されていた
- ところが、実際には排泄されてしまったのは3割程度で、残りは内臓や血清に取り込まれていた
- しかも、より消耗が激しいと思われていた筋肉たんぱく質への取り込みは少なかった
- つまり「お変わりありませんね」と言ったりするが、一年もあっていないと分子レベルではすっかり入れ替わってしまうのである
·
■生命体の特質はエントロピー増大の法則に抗って秩序を維持するところにある
- エントロピーはカオスに向けて無限に増大する
- 高分子は酸化し、分断される・・・集合体は離散し、反応は乱れる
- 生命体は、やがて崩壊する構成成分をあえて先回りして分解し、このような乱雑さが蓄積する速度よりも速く常に再構築を行うことで秩序を維持している
- エントロピー増大の法則に抗うにはシステムの耐久性と構造を強化するのではなく、むしろその仕組み自体を流れの中におくことにある・・・つまり「流れ」こそが生物の内部に必然的に発生するエントロピーを排出する機能になっている
- では、絶え間なく壊されているにも関わらず、秩序はなぜ維持されるのだろうか?なぜ、動的平行は均衡するのか?
·
■生命体は流れの中にあるジグソーパズルである
- 絶え間ない破壊と秩序維持、この相矛盾するシステムが維持されるポイントは相補性にある
- ジグソーパズルのピースをなくした人用に、ピースを送ってくれるサービスがある・・・・その際、メーカーにはなくなってしまったピースの周囲8個を送るように支持される・・・・周囲の8個があれば無くなったピースの形が特定されるのである・・・つまり、ピースは手元に無かったとしても相補性のある相方がいれば、そのピースを特定できるのである
- 人間の体もこれと同じで、数兆個からなるピースで出来たジグソーパズルと考えればわかりやすい
- ピースピースは絶え間なく破壊され、傷ついていく・・・しかしその都度、新しいピースがまた生まれていく・・・生まれるピースはピースそのものに設計図があると考えるより「どこにはまるピースなのか」という側面から生産されていく
- そしてある時間がたつとすべてのピースが新しいものに入れ替わっていくのである・・・しかし絵柄は以前と変わらない・・・すべてのピースが常時入れ替わっているにも関わらず、すべてが入れ替わった後でも絵柄は変わらないのである・・これが相補性の本質である
·
■細胞が、過酷な外部から内部を守りながらも分泌物を外部に放出するために「内部に外部」を作っている
- 細胞壁は過酷な外部環境から生命体の内部を守っている
- しかし、細胞は一方で分泌物を外部に対して放出する機能も担っている
- この防御しつつ、放出するという機能をまっとうするために、細胞は一度、内部に外部を作り、その内部の外部に分泌物を出してから、徐々にその内部の外部を端っこに寄せて外に放出しているのである
- 細胞をやわらかい風船と考えれば、その風船をへこませて凹みをずっと内部に持っていて、外側のあいた部分を塞ぐと、内部に外部ができることになる・・その段階で分泌を行ってから、再度、それを壁まで持っていくことで、外部からの攻撃リスクを最小化しつつ分泌を行っているのである
ムチャクチャ面白かったです。生命科学も、ある程度以上踏み込んで考察するとそこに
美しさがありますね。深みのある本でした。
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■野口英世は生活破綻者だった
- 結婚詐欺まがいのことを繰り返す
- 支援者や婚約者を裏切り続けた
- お札になったのは皮肉・・・樋口一葉も人格的にはお札に最も遠い
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■生物が原子に比べてかくも巨大になったのは活動の精度を高めるためである
- シュレーディンガーは問う、なぜ人間やその他の生命は原子に比べてかくも巨大になったのか?例えば原子100個からなる生命体というのはなぜ存在しないのか?
- その答えは平方根の法則にある
- 標準から外れて例外的な動きをする粒子は、全体の数の平方根だけ存在する・・・つまり100個の粒子があればルート100・・・10個の粒子は例外的な動きをすることになり、つまり原子100個の生命体があればその一割は全体とは異なる動きをすることになる・・・これは生命体の秩序を維持する上では致命的に高い確率である
- 一方、100万個の原子からなる生命体を考えて見ると、その平方根である1000個の原子が例外的な振る舞いをすることになるが、これは1千/100万になり、つまり0.1%になり格段に下がる
- 実際の生命体は100万どころかその数億倍の原子からなっている・・・生命現象に参加する粒子の数が多くなればなるほど平方根の法則によって誤差率は下がる・・・・これが生命体が原子と比べて際立って大きいことの物理的な理由だとシュレーディンガーは言っているのである
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■成熟した生命体で、成長が殆ど無くなった状態でも摂取された食物は体を構成する要素になっている・・・一年経つと人間も分子レベルではすっかり入れ替わってしまう
- 窒素は原子番号7の元素で原子核には中性子が7個、陽子が7個あってその質量数は14になるが、ごくまれに陽子が8個ある重窒素がある
- これをネズミに取り込ませてそれがどこに行くのかをチェースしていく
- 当初は大人のネズミであるから体に取り込まれるよりもエネルギーとして燃焼され、排泄物の中に現れるだろうと予測されていた
- ところが、実際には排泄されてしまったのは3割程度で、残りは内臓や血清に取り込まれていた
- しかも、より消耗が激しいと思われていた筋肉たんぱく質への取り込みは少なかった
- つまり「お変わりありませんね」と言ったりするが、一年もあっていないと分子レベルではすっかり入れ替わってしまうのである
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■生命体の特質はエントロピー増大の法則に抗って秩序を維持するところにある
- エントロピーはカオスに向けて無限に増大する
- 高分子は酸化し、分断される・・・集合体は離散し、反応は乱れる
- 生命体は、やがて崩壊する構成成分をあえて先回りして分解し、このような乱雑さが蓄積する速度よりも速く常に再構築を行うことで秩序を維持している
- エントロピー増大の法則に抗うにはシステムの耐久性と構造を強化するのではなく、むしろその仕組み自体を流れの中におくことにある・・・つまり「流れ」こそが生物の内部に必然的に発生するエントロピーを排出する機能になっている
- では、絶え間なく壊されているにも関わらず、秩序はなぜ維持されるのだろうか?なぜ、動的平行は均衡するのか?
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■生命体は流れの中にあるジグソーパズルである
- 絶え間ない破壊と秩序維持、この相矛盾するシステムが維持されるポイントは相補性にある
- ジグソーパズルのピースをなくした人用に、ピースを送ってくれるサービスがある・・・・その際、メーカーにはなくなってしまったピースの周囲8個を送るように支持される・・・・周囲の8個があれば無くなったピースの形が特定されるのである・・・つまり、ピースは手元に無かったとしても相補性のある相方がいれば、そのピースを特定できるのである
- 人間の体もこれと同じで、数兆個からなるピースで出来たジグソーパズルと考えればわかりやすい
- ピースピースは絶え間なく破壊され、傷ついていく・・・しかしその都度、新しいピースがまた生まれていく・・・生まれるピースはピースそのものに設計図があると考えるより「どこにはまるピースなのか」という側面から生産されていく
- そしてある時間がたつとすべてのピースが新しいものに入れ替わっていくのである・・・しかし絵柄は以前と変わらない・・・すべてのピースが常時入れ替わっているにも関わらず、すべてが入れ替わった後でも絵柄は変わらないのである・・これが相補性の本質である
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■細胞が、過酷な外部から内部を守りながらも分泌物を外部に放出するために「内部に外部」を作っている
- 細胞壁は過酷な外部環境から生命体の内部を守っている
- しかし、細胞は一方で分泌物を外部に対して放出する機能も担っている
- この防御しつつ、放出するという機能をまっとうするために、細胞は一度、内部に外部を作り、その内部の外部に分泌物を出してから、徐々にその内部の外部を端っこに寄せて外に放出しているのである
- 細胞をやわらかい風船と考えれば、その風船をへこませて凹みをずっと内部に持っていて、外側のあいた部分を塞ぐと、内部に外部ができることになる・・その段階で分泌を行ってから、再度、それを壁まで持っていくことで、外部からの攻撃リスクを最小化しつつ分泌を行っているのである
Wednesday, August 22, 2007
読書日記:リクルートのDNA 江副浩正
8/23 リクルートのDNA 江副浩正
■易径の言葉に「窮すれば変じ、変ずれば通じ、通ずれば久し」という言葉がある
■リクルートのDNAに「失敗に寛容な会社」というのがある
- 事業撤退のときは盛大にパーティを行い、担当者をねぎらう
■健全な赤字事業を持つことを良しとしなければいけない
- 事業は永遠ではない・・・今好調の事業もいずれ衰退する
- そのときのために次の成長の芽を常に持っていなくてはならない
■人と会うときは出来る限り一人がいい
- 松下幸之助はリクルートのインタビューに一人で出てきて、インタビューチームが5人なのをみて「オタクはえらい儲かってるね」と揶揄された
■適材適所の見極めが経営の真髄である
- 人には得手不得手がある・・・誰に、どの仕事を、どこまで要望するかが大事やなあ(by松下幸之助)
■学歴は商売にはジャマ
- 事業アイデアを大学教授に話したら「うまくいかない」といわれ、社内の高卒の研究員に話したら「おもろいからやりましょ」となり、結局うまく行った(by井植歳男)
■商売に公私混同はだめ
- 自分のスキー場でも金はちゃんと払う
- 労使交渉でもめていた際、社員食堂できちんとお金を払っているところを見た労働組合から自主的に解散したいという話しを受けた(盛岡グランドホテルの再建時のエピソード)
- 不動産をやっていると金で誘惑してくるのが沢山出てくる・・・そういう話に乗るとやがて身を滅ぼす(三井不動産の江戸社長)
■ホンダのために働くのではなく自分のために働く人が欲しい(by本田宗一郎)
■大賀典夫はトライリンガルだった
- 英語とドイツ語に堪能
■先生・師と呼べる人を持ちなさい
- 大賀さん、盛田さんにとってはカラヤンが先生だった
- 自分にとってはデザイナーの亀倉雄策氏が先生だった
■現場に出て判断しろ
- セブンイレブンの鈴木敏文はセブンイレブンの実験店舗で一年間働き、アメリカのノウハウをそのまま持ってくるのではセブンイレブンはうまく行かない、という判断をした→基本的にフランチャイジーだが直営店を運営して顧客ニーズをキチンと取り込んでいくことをやっていかないとダメ
■森ビルの成功要因は地権者との共同事業化にある
- 森ビルのナンバービルの殆どは地権者との共同事業である
- つまり、一人の地権者の反対があっても出来ないため、粘り強い交渉が必要になる
- アークヒルズ、六本木ヒルズ、表参道ヒルズも権利調整の交渉に20年近く要している
- 森ビルは権利調整の専門家集団としての能力を鍛え上げることで日本有数の
■就職情報誌のアイデアはアメリカから輸入した
- 新聞への就職広告への斡旋だけではダメだと考え、アメリカの就職情報誌を日本で出来ないかと考えた
■ことあるごとにモチベーションを高る仕組みを行う
- リクルートファームで社員でキャンプファイヤーし、夜通し語ることで連帯感を強める
- 目標を達成してハワイに行こうという企画で報われ感・盛り上がり感を醸成する
- 改善アイデアの全国コンテストを行い、出てきたアイデアを即時に経営に繁栄する
■就職情報の売上は全部書店に上げている
- 広告だけで儲かっているので本の売上は書店にあげても大丈夫
- そのおかげで取次ぎを使っていないのに置いてくれる店、それも店の一番いい棚に置いてくれる店が増えた
■事業の開始はボトムアップで、撤退はトップダウンで決めるべき
- 事業を始めた担当者は、事業がどんなに難しい局面になっても「もう少しでよくなる、まだ続けさせて欲しい」といい続ける
- 内心は難しいと思っていても、なかなか止めましょう、とは言い出せない
- 難しい局面が長く続きすぎると人材もモチベーションが低くなって輝きを失う
- そんなときはトップが撤退を決断し、苦しい思いを背負うべきである
■易径の言葉に「窮すれば変じ、変ずれば通じ、通ずれば久し」という言葉がある
■リクルートのDNAに「失敗に寛容な会社」というのがある
- 事業撤退のときは盛大にパーティを行い、担当者をねぎらう
■健全な赤字事業を持つことを良しとしなければいけない
- 事業は永遠ではない・・・今好調の事業もいずれ衰退する
- そのときのために次の成長の芽を常に持っていなくてはならない
■人と会うときは出来る限り一人がいい
- 松下幸之助はリクルートのインタビューに一人で出てきて、インタビューチームが5人なのをみて「オタクはえらい儲かってるね」と揶揄された
■適材適所の見極めが経営の真髄である
- 人には得手不得手がある・・・誰に、どの仕事を、どこまで要望するかが大事やなあ(by松下幸之助)
■学歴は商売にはジャマ
- 事業アイデアを大学教授に話したら「うまくいかない」といわれ、社内の高卒の研究員に話したら「おもろいからやりましょ」となり、結局うまく行った(by井植歳男)
■商売に公私混同はだめ
- 自分のスキー場でも金はちゃんと払う
- 労使交渉でもめていた際、社員食堂できちんとお金を払っているところを見た労働組合から自主的に解散したいという話しを受けた(盛岡グランドホテルの再建時のエピソード)
- 不動産をやっていると金で誘惑してくるのが沢山出てくる・・・そういう話に乗るとやがて身を滅ぼす(三井不動産の江戸社長)
■ホンダのために働くのではなく自分のために働く人が欲しい(by本田宗一郎)
■大賀典夫はトライリンガルだった
- 英語とドイツ語に堪能
■先生・師と呼べる人を持ちなさい
- 大賀さん、盛田さんにとってはカラヤンが先生だった
- 自分にとってはデザイナーの亀倉雄策氏が先生だった
■現場に出て判断しろ
- セブンイレブンの鈴木敏文はセブンイレブンの実験店舗で一年間働き、アメリカのノウハウをそのまま持ってくるのではセブンイレブンはうまく行かない、という判断をした→基本的にフランチャイジーだが直営店を運営して顧客ニーズをキチンと取り込んでいくことをやっていかないとダメ
■森ビルの成功要因は地権者との共同事業化にある
- 森ビルのナンバービルの殆どは地権者との共同事業である
- つまり、一人の地権者の反対があっても出来ないため、粘り強い交渉が必要になる
- アークヒルズ、六本木ヒルズ、表参道ヒルズも権利調整の交渉に20年近く要している
- 森ビルは権利調整の専門家集団としての能力を鍛え上げることで日本有数の
■就職情報誌のアイデアはアメリカから輸入した
- 新聞への就職広告への斡旋だけではダメだと考え、アメリカの就職情報誌を日本で出来ないかと考えた
■ことあるごとにモチベーションを高る仕組みを行う
- リクルートファームで社員でキャンプファイヤーし、夜通し語ることで連帯感を強める
- 目標を達成してハワイに行こうという企画で報われ感・盛り上がり感を醸成する
- 改善アイデアの全国コンテストを行い、出てきたアイデアを即時に経営に繁栄する
■就職情報の売上は全部書店に上げている
- 広告だけで儲かっているので本の売上は書店にあげても大丈夫
- そのおかげで取次ぎを使っていないのに置いてくれる店、それも店の一番いい棚に置いてくれる店が増えた
■事業の開始はボトムアップで、撤退はトップダウンで決めるべき
- 事業を始めた担当者は、事業がどんなに難しい局面になっても「もう少しでよくなる、まだ続けさせて欲しい」といい続ける
- 内心は難しいと思っていても、なかなか止めましょう、とは言い出せない
- 難しい局面が長く続きすぎると人材もモチベーションが低くなって輝きを失う
- そんなときはトップが撤退を決断し、苦しい思いを背負うべきである
Tuesday, August 21, 2007
読書日記:日本人の足を早くする
8/17 日本人の足を早くする 為末大
■早く走るには「こけそうになるのをこらえる」という意識に変えることが必要
- こけそうになるのをおさえるという意識で走ると早く走れる
- ももを高く上げようとか、地面を強くけろうとか意識しないで、体が前に倒れこんでいく力を利用する
- イメージとしてはスリッパで早く走る、すり足のイメージ
- 黒人とは骨格が違うのだからフォームも違って当たり前
■一発屋なりの戦い方がある
- 平均して高いアベレージを出すことは日本人には難しい
- 逆に、あえて大きな波を作り反動を付けて求められる日時に最高の結果にもって行く「一発屋」の発想が必要
■早く走るには「こけそうになるのをこらえる」という意識に変えることが必要
- こけそうになるのをおさえるという意識で走ると早く走れる
- ももを高く上げようとか、地面を強くけろうとか意識しないで、体が前に倒れこんでいく力を利用する
- イメージとしてはスリッパで早く走る、すり足のイメージ
- 黒人とは骨格が違うのだからフォームも違って当たり前
■一発屋なりの戦い方がある
- 平均して高いアベレージを出すことは日本人には難しい
- 逆に、あえて大きな波を作り反動を付けて求められる日時に最高の結果にもって行く「一発屋」の発想が必要
読書日記:「私」のための現代思想
8/21 「私」のための現代思想
■教養とは「自由になるための技術」である
- 上流階級出身者として恥ずかしくない教養を身に付ける、とかいって身に付けられた教養はこけおどしで実際には役に立たない
- 人が自由になる、ということを詳細に吟味検討してきたのは哲学であり、現代思想である
- 自分たちに与えられた武器は思考力であり言語力であり論理力であるからして、これを棄てるのは自由になることを棄てるのと同じおろかな行為である
- これら以外の武器が無い以上、それがどんなに貧弱でもこれで戦っていくしかない
■キリスト今日では自殺が罪になっているが、これは6世紀以降のことである
- 初期のキリスト教では自殺が礼賛されていた
- アウグスティヌスはこれを禁じたが依拠しているのは聖書ではなくプラトンの「パイドン」である
■原始キリスト教の精神を丁寧に解いたのはトルストイやスピノザである
- トルストイは要約福音書でキリストの言葉を語ったが、これはニーチェの非難の対象となるようなものではない
- スピノザがエチカで解いたのも似たような概念である
■論理は無限後退する・・・その最後の礎に神があるわけだがニーチェはそれを問題視した
- Aは正しい、なぜならBだからだ、となるとBはなぜ成立するか、なぜならCだからだ、Cはなぜ成立するか・・・といった形で無限後退する・・・最後に、それは神の意思だからだ、とすることで無限後退を終わらせられる
- 現代ではこの神の意思の変わりに科学的な事実がおかれている
- 意味など存在しない、という否定ではなく、これまであると考えられてきた意味が存在しない、ということが認識された・・・これがニヒリズムである
- つまりニヒリズムとは「何も信じない」という意味ではなく、本来信じていたいものが無いのだとわかった状態である、とニーチェは分析した
- ニーチェが「神は死んだ」という言葉は、絶対者としての神の位置に、科学的な真理が取って代わったということを意味している
- 神に取って代わって科学的真理がおかれたとしても、絶対的に正しい何者か、という枠組みが失われたわけではない・・・つまり科学的な真理自体もキリスト教の枠組み・・・絶対的に正しい何者かがすべての礎になるという枠組みの中に取り込まれている
■この社会に適応できない人こそ、この社会を変える変革者なのかも知れない
- この世が健康体で理想郷だと思っている人は一人もいない
- この社会に適応している人ばかりになってしまったら、世界をよりよい社会にすることはできない
- 適応できていない人の方が変革者になれる可能性がある
■枠から出るためには、与えられた問いに対する疑義がポイントになる
- うんこ味のカレーとカレー味のうんこ、どちらを食べると聞かれたら、どちらもyダ、と応えるのが正解である
- どちらか食べなければいけない、とされるなら、それを強制する誰かを殺す、というのが正解である
■自殺が禁止された理由は財産権の侵害という側面から説明できる
- 奴隷が死ぬと主人の財産が減る
- 兵隊が自殺すると兵力が減る
- 普通の人も神の僕であるからして、僕が勝手に命を処分してはならない
■ドイツの哲学者ハイデガーは世界劇場という概念を通じて、現存在=私たちそのものと、役柄は異なっていると考えた
- 役柄のことを心理学では仮面という意味の言葉としてペルソナと呼ぶ
- 人格=personalityはこのペルソナからきている
- 役割を演ずるために世界に投げ出されるのをハイデガーは企投と呼んだ
- 企投された人物が役柄に埋没していくのを耽落=Verfallenと読んだ
- 六本木のディスコ、ヴェルファーレの名づけ親はこれを知っていたのかも
- そのうち、役柄を演じている耽落した自分と、本来の自分を、人は区別できなくなってくる
- 多くの人は劇場の舞台の上では大根役者であり、役柄を演じているのに四苦八苦している一方で、役になりきって演じている人を喝采しつつも「ああはなりたくはないね」という態度も取ってしまう
■この世界を健全に生きていくためには「役柄」を演じていることを意識しつつ、演じ続けるしかない
- 世界劇場の舞台がイヤだったら1:舞台を降りる、2:演技をウマくする、3:役を変える、の3つしかない
- 1は死ぬということだし、2、3は出来れば苦労しない
- ということで、大根役者をやり続けなくてはならないのだが、一方で「これは役を演じているに過ぎない」と意識することで気にしなくなる
■世界を変えていくパワーを持っているのは大根役者である
- この世界は理想郷でも健康体でもない・・・つまり世界劇場ということで言えばゼンゼンだめな脚本である
- 花形役者は脚本を変えるインセンティブを持っていない
- この脚本自体を変えていこうという誘引を持っているのは大根役者である
■この世界の中に居残りながらも耽落せずに、いかに内部から世界をよりよい世界に変えていけるか、これが最大の課題である
■教養とは「自由になるための技術」である
- 上流階級出身者として恥ずかしくない教養を身に付ける、とかいって身に付けられた教養はこけおどしで実際には役に立たない
- 人が自由になる、ということを詳細に吟味検討してきたのは哲学であり、現代思想である
- 自分たちに与えられた武器は思考力であり言語力であり論理力であるからして、これを棄てるのは自由になることを棄てるのと同じおろかな行為である
- これら以外の武器が無い以上、それがどんなに貧弱でもこれで戦っていくしかない
■キリスト今日では自殺が罪になっているが、これは6世紀以降のことである
- 初期のキリスト教では自殺が礼賛されていた
- アウグスティヌスはこれを禁じたが依拠しているのは聖書ではなくプラトンの「パイドン」である
■原始キリスト教の精神を丁寧に解いたのはトルストイやスピノザである
- トルストイは要約福音書でキリストの言葉を語ったが、これはニーチェの非難の対象となるようなものではない
- スピノザがエチカで解いたのも似たような概念である
■論理は無限後退する・・・その最後の礎に神があるわけだがニーチェはそれを問題視した
- Aは正しい、なぜならBだからだ、となるとBはなぜ成立するか、なぜならCだからだ、Cはなぜ成立するか・・・といった形で無限後退する・・・最後に、それは神の意思だからだ、とすることで無限後退を終わらせられる
- 現代ではこの神の意思の変わりに科学的な事実がおかれている
- 意味など存在しない、という否定ではなく、これまであると考えられてきた意味が存在しない、ということが認識された・・・これがニヒリズムである
- つまりニヒリズムとは「何も信じない」という意味ではなく、本来信じていたいものが無いのだとわかった状態である、とニーチェは分析した
- ニーチェが「神は死んだ」という言葉は、絶対者としての神の位置に、科学的な真理が取って代わったということを意味している
- 神に取って代わって科学的真理がおかれたとしても、絶対的に正しい何者か、という枠組みが失われたわけではない・・・つまり科学的な真理自体もキリスト教の枠組み・・・絶対的に正しい何者かがすべての礎になるという枠組みの中に取り込まれている
■この社会に適応できない人こそ、この社会を変える変革者なのかも知れない
- この世が健康体で理想郷だと思っている人は一人もいない
- この社会に適応している人ばかりになってしまったら、世界をよりよい社会にすることはできない
- 適応できていない人の方が変革者になれる可能性がある
■枠から出るためには、与えられた問いに対する疑義がポイントになる
- うんこ味のカレーとカレー味のうんこ、どちらを食べると聞かれたら、どちらもyダ、と応えるのが正解である
- どちらか食べなければいけない、とされるなら、それを強制する誰かを殺す、というのが正解である
■自殺が禁止された理由は財産権の侵害という側面から説明できる
- 奴隷が死ぬと主人の財産が減る
- 兵隊が自殺すると兵力が減る
- 普通の人も神の僕であるからして、僕が勝手に命を処分してはならない
■ドイツの哲学者ハイデガーは世界劇場という概念を通じて、現存在=私たちそのものと、役柄は異なっていると考えた
- 役柄のことを心理学では仮面という意味の言葉としてペルソナと呼ぶ
- 人格=personalityはこのペルソナからきている
- 役割を演ずるために世界に投げ出されるのをハイデガーは企投と呼んだ
- 企投された人物が役柄に埋没していくのを耽落=Verfallenと読んだ
- 六本木のディスコ、ヴェルファーレの名づけ親はこれを知っていたのかも
- そのうち、役柄を演じている耽落した自分と、本来の自分を、人は区別できなくなってくる
- 多くの人は劇場の舞台の上では大根役者であり、役柄を演じているのに四苦八苦している一方で、役になりきって演じている人を喝采しつつも「ああはなりたくはないね」という態度も取ってしまう
■この世界を健全に生きていくためには「役柄」を演じていることを意識しつつ、演じ続けるしかない
- 世界劇場の舞台がイヤだったら1:舞台を降りる、2:演技をウマくする、3:役を変える、の3つしかない
- 1は死ぬということだし、2、3は出来れば苦労しない
- ということで、大根役者をやり続けなくてはならないのだが、一方で「これは役を演じているに過ぎない」と意識することで気にしなくなる
■世界を変えていくパワーを持っているのは大根役者である
- この世界は理想郷でも健康体でもない・・・つまり世界劇場ということで言えばゼンゼンだめな脚本である
- 花形役者は脚本を変えるインセンティブを持っていない
- この脚本自体を変えていこうという誘引を持っているのは大根役者である
■この世界の中に居残りながらも耽落せずに、いかに内部から世界をよりよい世界に変えていけるか、これが最大の課題である
Thursday, August 16, 2007
読書日記:世界文学を読みほどく 池澤夏樹
作家の池澤夏樹が世界文学の古典から現代作品を取り上げて、その解析を行った京都大学での講義を本にしたもの。
取り上げられている作品は
スタンダール パルムの僧院
ドストエフスキー カラマーゾフの兄弟
トルストイ アンナカレーニナ
メルヴィル 白鯨
ジョイス ユリシーズ
マン 魔の山
ガルシアマルケス 百年の孤独
マークトウェイン ハックルベリ・フィンの冒険 等
これらのうちの一つも読んだことがなかったのだが、ストーリーが簡潔に説明されているのでどんな話かはわかる。しかし、これを読んだからと言って本作を呼んでみようという気には、正直ならなかった。
世界的な名作のストーリーが簡潔に学べるというよりも、小説というものに対する向き合い方、文学を楽しむときのスタンスの取り方を学べる、というのが本書のよさではないかと思う。
考えて見ると小説って、ストーリーそのものは非常に単純だったりする。
例えばアンナカレーニナというのは、貴族の若奥さんが若い軍人と恋仲になって家出して二人で暮らし始めるが結局はウマく行かなくて最後には列車に飛び込んで轢死する、というまあたわいもない話なのであるが、それをストーリーの面白さとして求めてしまうと結構苦しいので、まあその他のポイントから楽しむということなのですが、それが小説の楽しみ方なのだな、と思った次第です。
取り上げられている作品は
スタンダール パルムの僧院
ドストエフスキー カラマーゾフの兄弟
トルストイ アンナカレーニナ
メルヴィル 白鯨
ジョイス ユリシーズ
マン 魔の山
ガルシアマルケス 百年の孤独
マークトウェイン ハックルベリ・フィンの冒険 等
これらのうちの一つも読んだことがなかったのだが、ストーリーが簡潔に説明されているのでどんな話かはわかる。しかし、これを読んだからと言って本作を呼んでみようという気には、正直ならなかった。
世界的な名作のストーリーが簡潔に学べるというよりも、小説というものに対する向き合い方、文学を楽しむときのスタンスの取り方を学べる、というのが本書のよさではないかと思う。
考えて見ると小説って、ストーリーそのものは非常に単純だったりする。
例えばアンナカレーニナというのは、貴族の若奥さんが若い軍人と恋仲になって家出して二人で暮らし始めるが結局はウマく行かなくて最後には列車に飛び込んで轢死する、というまあたわいもない話なのであるが、それをストーリーの面白さとして求めてしまうと結構苦しいので、まあその他のポイントから楽しむということなのですが、それが小説の楽しみ方なのだな、と思った次第です。
読書日記:アンダースロー論 渡辺俊介
渡辺投手のアンダースロー論を読了した。
アンダースローとは、野球の投手のスタイルでいわゆる下手投げのことである。
野球狂の詩の水原勇気を思い出すかも知れないけどあれはソフトボール投げで下手投げではない。
ボクは野球選手の書いた本が好きで最近だと「不動心」とか「和田の130キロは何故打てないのか」とか「巨人論」とか読んでいる。野球も一種の競争なので戦略コンサルティングのヒントがあるかも知れないと思って何となく手にしてしまうんだと思う。
で、読んでみてどうだったかというと、正直経営戦略に活かせる部分は少なかったのですが、先日の松井の本を読んだときにも思ったのですが、この渡辺投手という人も、もう考えて考えて考え抜いて自分のピッチングのあり方、トレーニングの仕方、試合に向けたコンディションの整え方を磨き上げているな、という感じで、ある種才能の無いことを思考でカバーしているな、という気がした。
日常生活の中でのちょっとした心がけで、自分が極めたいと思っている道の進歩が得られる、ということを常に考えて実践しているという感じでしょうか。
ちょっと見習ってみたいと思います。
アンダースローとは、野球の投手のスタイルでいわゆる下手投げのことである。
野球狂の詩の水原勇気を思い出すかも知れないけどあれはソフトボール投げで下手投げではない。
ボクは野球選手の書いた本が好きで最近だと「不動心」とか「和田の130キロは何故打てないのか」とか「巨人論」とか読んでいる。野球も一種の競争なので戦略コンサルティングのヒントがあるかも知れないと思って何となく手にしてしまうんだと思う。
で、読んでみてどうだったかというと、正直経営戦略に活かせる部分は少なかったのですが、先日の松井の本を読んだときにも思ったのですが、この渡辺投手という人も、もう考えて考えて考え抜いて自分のピッチングのあり方、トレーニングの仕方、試合に向けたコンディションの整え方を磨き上げているな、という感じで、ある種才能の無いことを思考でカバーしているな、という気がした。
日常生活の中でのちょっとした心がけで、自分が極めたいと思っている道の進歩が得られる、ということを常に考えて実践しているという感じでしょうか。
ちょっと見習ってみたいと思います。
Wednesday, August 15, 2007
読書日記:なぜ安くしても売れないのか? +同期との会食
電通時代の同期二人と会食。
一人は四半期に一度は必ず会ってご飯を食べるM君。INSEADとLSEで両方修士を出ている俊才。ずっとコンサルティングファームへ誘っているのだが未だに電通でプランナーを続けている。
もう一人は現在コロンビアのビジネススクールに行っているが夏休みで戻ってきていてマッキンゼーでサマーインターン中。
ドンゾコまで飲んでしまった・・・・
なぜ安くしても売れないのか?を読了。
いま担当している大手外食チェーンの建て直しプロジェクトに、非常に示唆があった。要するに中途半端なポジションだと負けるよ、という本。
ポイントは、
1:消費は二極化しており、中間層の企業は今後戦略転換を強いられる
=消費者が二極化しているのではなく、同じ消費者がハイエンドとローエンドの消費を行うようになってきている
=クラフトチーズの事例→stuck in the middle
2:なぜ安くしても売れないかというと、消費者はただ単に価格だけを購買意思決定の基準にしているわけではないからである
=消費者が購入の意思決定を行うためのポイントは価格+技術+性能+刺激+顧客接点の質+感情面である
=こういったポイントを実際に知るためには消費の現場まで赴いて声を聞かないとダメダ
3:倹約も度を越すと快感になる
=つまり主婦の場合は倹約の快感と家族への投資の快感が消費のドライバーになる・・・均衡点でないところがミソ
4:消費はアンバランスで不整合である
=例えば住宅ローンでキュウキュウしている家の主人がポーカーやゴルフにポーンとお金を出す
=外食もミネラルウォーターも敬遠するサラリーマンが高級ブランドの財布をポーンと買う
5:勝つためには「ワンランク上」か「ワンランク下」を志向する必要がある
=ワンランク下で勝つためには、中途半端でない低価格で基本機能を満たしながら、同時に信頼性が求められる
=ワンランク上で勝つには消費者に満足度を与えるプレミアムが必要だが、非常に難しい
=どちらにしても中途半端はダメ・・・価格をちょっといじるだけでなく、VC全体に変革が必要。そのためには勇気がもって断行することが求められる
6:その両方を嗜好して成功している企業もいくつかある
=マリオットはブルガリホテルとマリオットを両立
=リグリー
=トヨタ
一人は四半期に一度は必ず会ってご飯を食べるM君。INSEADとLSEで両方修士を出ている俊才。ずっとコンサルティングファームへ誘っているのだが未だに電通でプランナーを続けている。
もう一人は現在コロンビアのビジネススクールに行っているが夏休みで戻ってきていてマッキンゼーでサマーインターン中。
ドンゾコまで飲んでしまった・・・・
なぜ安くしても売れないのか?を読了。
いま担当している大手外食チェーンの建て直しプロジェクトに、非常に示唆があった。要するに中途半端なポジションだと負けるよ、という本。
ポイントは、
1:消費は二極化しており、中間層の企業は今後戦略転換を強いられる
=消費者が二極化しているのではなく、同じ消費者がハイエンドとローエンドの消費を行うようになってきている
=クラフトチーズの事例→stuck in the middle
2:なぜ安くしても売れないかというと、消費者はただ単に価格だけを購買意思決定の基準にしているわけではないからである
=消費者が購入の意思決定を行うためのポイントは価格+技術+性能+刺激+顧客接点の質+感情面である
=こういったポイントを実際に知るためには消費の現場まで赴いて声を聞かないとダメダ
3:倹約も度を越すと快感になる
=つまり主婦の場合は倹約の快感と家族への投資の快感が消費のドライバーになる・・・均衡点でないところがミソ
4:消費はアンバランスで不整合である
=例えば住宅ローンでキュウキュウしている家の主人がポーカーやゴルフにポーンとお金を出す
=外食もミネラルウォーターも敬遠するサラリーマンが高級ブランドの財布をポーンと買う
5:勝つためには「ワンランク上」か「ワンランク下」を志向する必要がある
=ワンランク下で勝つためには、中途半端でない低価格で基本機能を満たしながら、同時に信頼性が求められる
=ワンランク上で勝つには消費者に満足度を与えるプレミアムが必要だが、非常に難しい
=どちらにしても中途半端はダメ・・・価格をちょっといじるだけでなく、VC全体に変革が必要。そのためには勇気がもって断行することが求められる
6:その両方を嗜好して成功している企業もいくつかある
=マリオットはブルガリホテルとマリオットを両立
=リグリー
=トヨタ
読書日記:経済大国興亡史 下巻 ポール・ケネディ
経済大国興亡史 下巻
眠くなる本だけどなんとか下巻のみ読了。面白いんだけど書き方が回りくどくて・・・
ポイントは・・・
1:アルフレッドマーシャルは著書「経済学原理」において「自然は跳躍せず」と訴えている
2:イギリスにおいて産業革命があったかなかったは歴史学者の間で議論のあるところであるが、1766年から1825年の60年間の間に、特許数が2000%を超える増大を示したことは注目に価する
3:すべての特許が同等の重要性を持っていたわけではないが、アルバート・ハーシュマンが「リンケージ」という概念を用いて説明したように、技術は単体それ自体をとってみて重要性を云々するよりも、その技術が他の技術に及ぼす影響を鑑みて検討する必要がある
=縦糸→横糸→縦横糸
=蒸気機関の発明→石炭需要の増加→坑道の深堀→汲み上げポンプ需要の増加、
4:産業革命時代の発明家の殆どが幾人かの科学者を除けば殆どアマチュアあであった
5:衰退の一つの兆候として過去の技術への拘泥・イノベーションの忌避がある
=例えば苛性ソーダ生産に関して、新方式の生産に切り替えることで明らかに利益が増大することがわかっているのに時代遅れの製法に執着していた
=また造船業では様々な既得権益者による新技術導入への抵抗が見られる
=蒸気機関で成功した熟練工によるディーゼルへの切り替えに対する抵抗
=造船工のボイラー工に対する抵抗(ボイラー工→甲鉄船、造船工→木造船)
眠くなる本だけどなんとか下巻のみ読了。面白いんだけど書き方が回りくどくて・・・
ポイントは・・・
1:アルフレッドマーシャルは著書「経済学原理」において「自然は跳躍せず」と訴えている
2:イギリスにおいて産業革命があったかなかったは歴史学者の間で議論のあるところであるが、1766年から1825年の60年間の間に、特許数が2000%を超える増大を示したことは注目に価する
3:すべての特許が同等の重要性を持っていたわけではないが、アルバート・ハーシュマンが「リンケージ」という概念を用いて説明したように、技術は単体それ自体をとってみて重要性を云々するよりも、その技術が他の技術に及ぼす影響を鑑みて検討する必要がある
=縦糸→横糸→縦横糸
=蒸気機関の発明→石炭需要の増加→坑道の深堀→汲み上げポンプ需要の増加、
4:産業革命時代の発明家の殆どが幾人かの科学者を除けば殆どアマチュアあであった
5:衰退の一つの兆候として過去の技術への拘泥・イノベーションの忌避がある
=例えば苛性ソーダ生産に関して、新方式の生産に切り替えることで明らかに利益が増大することがわかっているのに時代遅れの製法に執着していた
=また造船業では様々な既得権益者による新技術導入への抵抗が見られる
=蒸気機関で成功した熟練工によるディーゼルへの切り替えに対する抵抗
=造船工のボイラー工に対する抵抗(ボイラー工→甲鉄船、造船工→木造船)
読書日記:組織変革のビジョン 金井壽宏
組織変革のビジョンを読了
アマゾンのレビューで高評価だったので読んでみたが面白かった。
金井先生は学者なので通常のビジネスマンや経営者とは切り込む角度が違う。
ポイントは、
1:何かを新たに始める、ということは同時に終わらせる、ということでもある
=ウィリアム・ブリッジスは臨床家として、一見すると開始に見える問題というのは、実はきちんと終焉できていないというのが問題だと指摘している
=変化には「終焉」「中立」「開始」の3ステップが必要である
=失恋した後ですぐに別の人と付き合い始めたがうまくいかない、というのはこの問題である
=AT&T分割の際、社長は新しいAT&Tをアピールしたがなかなか変わらなかったのは、多くの人にとって「以前のAT&T」が終焉していなかった・・・昔は良かった、またあの感じに戻りたい、という気持ちにケリをつけられなかった、というの理由である
2:例え優秀な人であっても、複数集まると一人で行う判断より、かえって品質の低い意思決定をしてしまうことがある・・・これを集団浅慮という
=自集団への過剰な自信
=集団以外へ耳を貸さない閉鎖性
=同調への圧力
3:集団浅慮は凝集性の高い集団で発生し易い・・要するに結束力の強い集団だと過ちを犯し易い
=ちなみにスタンリー・シーショアは集団の凝集性/結束力と集団のパフォーマンスには相関がないことを証明している
=カギは集団の規範にある・・・手抜きが規範になると結束力の強さとパフォーマンスが逆相関になる・・・一種の談合
=つまり頑張る/成果を追及するという集団規範とセットになって初めて凝集性/団結力はパフォーマンスに結びつく
4:何度やっても失敗、というのを繰り返すと人は「学習性無気力」に陥る
=M.セリグマンの理論
5:危機感をあおれば組織が変わる、変革がウマく行く、というものでもない
=人は緊張のレベルが上がるとパフォーマンスをが上がるが、緊張のレベルがある一定量を超えるとパフォーマンスは低下してしまう
=脅威が大きくなりすぎると硬直してしまう・・これを脅威→硬直性仮説という
=これをヤーキーズ=ドットソンの法則という
6:地図・チャートがある、というだけで人は勇気付けられる
=ハンガリー軍の雪中演習の際の遭難で用いられたのは実際にはピレネーの地図だった
=地図がある、という希望そのものが前向きの努力と忍耐を生んだと考えられる
アマゾンのレビューで高評価だったので読んでみたが面白かった。
金井先生は学者なので通常のビジネスマンや経営者とは切り込む角度が違う。
ポイントは、
1:何かを新たに始める、ということは同時に終わらせる、ということでもある
=ウィリアム・ブリッジスは臨床家として、一見すると開始に見える問題というのは、実はきちんと終焉できていないというのが問題だと指摘している
=変化には「終焉」「中立」「開始」の3ステップが必要である
=失恋した後ですぐに別の人と付き合い始めたがうまくいかない、というのはこの問題である
=AT&T分割の際、社長は新しいAT&Tをアピールしたがなかなか変わらなかったのは、多くの人にとって「以前のAT&T」が終焉していなかった・・・昔は良かった、またあの感じに戻りたい、という気持ちにケリをつけられなかった、というの理由である
2:例え優秀な人であっても、複数集まると一人で行う判断より、かえって品質の低い意思決定をしてしまうことがある・・・これを集団浅慮という
=自集団への過剰な自信
=集団以外へ耳を貸さない閉鎖性
=同調への圧力
3:集団浅慮は凝集性の高い集団で発生し易い・・要するに結束力の強い集団だと過ちを犯し易い
=ちなみにスタンリー・シーショアは集団の凝集性/結束力と集団のパフォーマンスには相関がないことを証明している
=カギは集団の規範にある・・・手抜きが規範になると結束力の強さとパフォーマンスが逆相関になる・・・一種の談合
=つまり頑張る/成果を追及するという集団規範とセットになって初めて凝集性/団結力はパフォーマンスに結びつく
4:何度やっても失敗、というのを繰り返すと人は「学習性無気力」に陥る
=M.セリグマンの理論
5:危機感をあおれば組織が変わる、変革がウマく行く、というものでもない
=人は緊張のレベルが上がるとパフォーマンスをが上がるが、緊張のレベルがある一定量を超えるとパフォーマンスは低下してしまう
=脅威が大きくなりすぎると硬直してしまう・・これを脅威→硬直性仮説という
=これをヤーキーズ=ドットソンの法則という
6:地図・チャートがある、というだけで人は勇気付けられる
=ハンガリー軍の雪中演習の際の遭難で用いられたのは実際にはピレネーの地図だった
=地図がある、という希望そのものが前向きの努力と忍耐を生んだと考えられる
読書日記:不動心 松井秀喜
松井秀喜の不動心を読了。
素直に尊敬すべき人物だと思った。いろいろと見習うべきポイントがあるよい本です。2時間くらいで読めるのではないでしょうか?
ポイントは
1:何か悪いことがあれば常にそこから学び取れることはある
=生きる力とはそもそも成功を続ける力ではなく困難を乗り越える力である
=大事なのはその時点その時点で前向きに何ができるかを考え、行動すること
= リハビリはウソをつかない by長嶋茂雄
2: 自分が所属している組織に誇りを持て
=ヤンキースの一員になれて幸せだった byジョー・ディマジオ
=自分が所属している組織に誇りを持っている友人ほど活躍している
3:つらいこと悲しいことがあっても口に出して言わない・態度に出さない
=あー失敗した~という言葉に自分自身が引っ張られる
=怒ることがあってもバットを投げたりしない・・・そうすることで心を乱さない、心が乱れるとバッティングが乱れる
=王選手は敬遠にあってもバットをそっと置いていた
4:心が大事である
=こころが変われば行動が変わる、行動が変われば習慣が変わる、習慣が変われば人格が変わる、人格が変われば運命が変わる
5:虚心坦懐に自分の強みを考え、競争環境に応じて自分の強みを再設定する
=日本ではホームランバッターだった松井はアメリカではホームランバッターたらんとはしていない
=無理に大リーガーと戦ってホームランバッターたらんとしていたらスイングが崩れてしまう
=むしろ、日本人のよさ、日本野球のよさ、自分の体格やバッティングスタイルを考えなおすことで、大リーガーと差別化できる部分を再設定すべき
6:悪いときには悪いことを忘れるよりも、悪さの要因に向き合うべき
=アメリカでホームランが打てなかったとき「そのうち打てるようになるさ」と考えたら今の自分は無い
=クヨクヨするのではなく、悪さに正面から向き合ってこれの解決を図ることが肝要である
素直に尊敬すべき人物だと思った。いろいろと見習うべきポイントがあるよい本です。2時間くらいで読めるのではないでしょうか?
ポイントは
1:何か悪いことがあれば常にそこから学び取れることはある
=生きる力とはそもそも成功を続ける力ではなく困難を乗り越える力である
=大事なのはその時点その時点で前向きに何ができるかを考え、行動すること
= リハビリはウソをつかない by長嶋茂雄
2: 自分が所属している組織に誇りを持て
=ヤンキースの一員になれて幸せだった byジョー・ディマジオ
=自分が所属している組織に誇りを持っている友人ほど活躍している
3:つらいこと悲しいことがあっても口に出して言わない・態度に出さない
=あー失敗した~という言葉に自分自身が引っ張られる
=怒ることがあってもバットを投げたりしない・・・そうすることで心を乱さない、心が乱れるとバッティングが乱れる
=王選手は敬遠にあってもバットをそっと置いていた
4:心が大事である
=こころが変われば行動が変わる、行動が変われば習慣が変わる、習慣が変われば人格が変わる、人格が変われば運命が変わる
5:虚心坦懐に自分の強みを考え、競争環境に応じて自分の強みを再設定する
=日本ではホームランバッターだった松井はアメリカではホームランバッターたらんとはしていない
=無理に大リーガーと戦ってホームランバッターたらんとしていたらスイングが崩れてしまう
=むしろ、日本人のよさ、日本野球のよさ、自分の体格やバッティングスタイルを考えなおすことで、大リーガーと差別化できる部分を再設定すべき
6:悪いときには悪いことを忘れるよりも、悪さの要因に向き合うべき
=アメリカでホームランが打てなかったとき「そのうち打てるようになるさ」と考えたら今の自分は無い
=クヨクヨするのではなく、悪さに正面から向き合ってこれの解決を図ることが肝要である
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