Wednesday, February 6, 2008

メタファーとメトニミー

大学院の授業で久しぶりに面白い話を聴きました。

ミュージアムの一形態でアーカイヴというのがあるけれども、このアーカイヴにはメタファーとメトニミーがある、という話です

メタファーはよく聴くけど、メトニミーって何?と思うでしょう。

メタファーは日本語では暗喩となりますが、メトニミーは喚喩と訳されます。たとえばヴェニスという都は「ゴンドラの都」と喩えられたり「アドリア海の宝石」と喩えられたりしますが、前者がメタファーで後者はメトニミーになります。乱暴な言い方をすると、喩えられる対象=Aと喩え=Bの関係において、BがAの性質に基づいて垂直的・連続的なケースがメタファーで、AとBの関係が水平的・跳躍的な場合はメトニミーとなります

なんでこんな話をしたかというと、実は読書にもメタファー的なものとメトニミー的なものがあって、メトニミー的な読書はコンテンツの定着率が高いし学びも大きいのではないか、ということを最近考えているからです。

例えば南極に関する本を読んでいて、そこから南極の生物や南極の気候、南極大陸の形成といった様に興味領域が深く、細分化していくのはメタファー的読書です。一方で南極からアムンセンとスコットの探検の話につながり、それがリーダーシップ論につながって、織田信長につながって、それが茶の湯に結びつく、といった形で興味のフォーカスが横方向に非連続的に展開していくのがメトニミー的読書といえます。

アカデミーにおいての研究は、ある固定された対象を深く連続的に掘っていくわけですからもちろんメタファー的になるのですが、それは知識の体系としてはどんどん狭く閉じていく方向になります。一方でメトニミーはアート的であり、まったく違う時代や場所や分野の知識が、背後のメカニズムの類似性によってつながってくるので本質を深く洞察したいときにはこちらの方が学びが大きいんじゃないかと最近は考えています。

何といっても、興味の赴くままに自由に「知識の食欲」に敏感に読書していくことで「なんか歯を食いしばって読んだけど、結局残らなかった」ということが避けられるので、結果的に高効率だったりする気がします。

余談ですが、もっともメトニミー的に知識欲の赴くままに人生を歩んだ代表的な人はレオナルド・ダ・ヴィンチでしょう。絵を描いていて背後にある河の流れがうまく描けなくて絵を中断して五年間流体力学の研究にいそしむ、というのは非常にメトニミー的だなあと思ったりします。

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