Wednesday, October 31, 2007

読書日記:トヨタはどうやってレクサスを創ったのか

10/31 トヨタはどうやってレクサスを創ったのか 髙木晴夫 

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■ヨーロッパという市場の切り方は日本独自・・・ヨーロッパという国はない
- レクサスはイギリスでは成功しているがドイツではさっぱり
- ヨーロッパという切り口では活路は見えない
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■過去の数値分析から未来は見えない・・・受動的に動くより未来をつくるべき
- 92~93年当時の各種のデータを使って、既に答えを知っている95年時点の変化を予測できたか、ということを分析して見たが答えは不可能だった・・・未来に起こる市場の変化を先取りは出来ない
- 予兆を捉え、それをもとにして顧客の期待を超えるものを出していく、しかない
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■トヨタの高級車はシニア層とともに加齢化しつつある
- 高級車市場を輪切りにするとクラウンはそれなりのシェアがあるが、顧客が50代・60代ばかり
- 一方でBMWやベンツは30~40代の若い成功者に支持されている
- このまま行けば高級車市場での顧客はどんどん目減りする
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■トヨタは販売戦略に関して全体最適を意識しない
- 隙間のあるエリアがあれば小規模のディーラーを出して、エリアを埋める
- トヨタのディーラー間で競合することもよしとする
- 各ディーラーが自己本位に動いて、部分最適化していくことによって結局は売り上げが最大化される(はず)という考え方をとる
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■顧客満足度に関しては、満点の5点の比率を重視する
- 平均点とかは見ない

Tuesday, October 30, 2007

読書日記:オルフェウス・プロセス

10/31 オルフェウス・プロセス ハーヴェイ・セイフター 

端的に言って検証が乱暴。指揮者不在という仕組みがいいのだ、という結論があって、その結論を補強するためにいろいろと材料を集めたという感が強いが、切れ味が悪い。

例えば、指揮者がいるオーケストラに居た奏者を取り上げて「つらい体験だった、二度と味わいたくない」といったコメントを紹介しているが、一般化するにはサンプル数が少なすぎるし、そもそもウィーンフィルやベルリンフィルといった世界の名だたるオーケストラの団員は皆不満なのだと考えるのは無理がある。

このオーケストラで原始共産主義的な意思決定が機能しているのは実に単純で人数が少ないからである。総勢で27名のオーケストラに指揮者がいなくて機能している、スゴイ!と驚いているが27名であればトップはいなくても機能するだろう。大きな会社になれば取締役会は30名くらいにはなる。この30名が合議的に意思決定をしているとしたらその会社にはヒエラルキーが無いことになるのかといったらそうはなるまい。

ヒエラルキーを設定するのはコストの重複を避けるためである。1万人の会社で経営方針を決定するのに1万人が議論に参加したらその会社は成り立つまい。決める人と執行する人を分けるのは作業の重複を避けるためであって、27人のオーケストラであればなんとかなることを1万人の会社に適用できるとは思えない。

加えれば、オーケストラというのはミッションが非常に単純で、要はいい演奏をしてお金をもうけることがその目的だが、企業というのは往々にして目的やミッションが股裂きになるケースがあって、そういう場合にもおそらく機能しないだろう。

最近「ヒトデはクモよりなぜ強い」とか、ヒエラルキー不在の組織に関する論考が多く出されているが、そのどれもがまともな経営論として扱うレベルに達していない。

この本も、組織論を専門に勉強している学生とかならまだしも、プロのコンサルタントが読んで学びがあるレベルにまだ達していないと思う。

Monday, October 29, 2007

読書日記:人が育つ会社をつくる

10/30 人が育つ会社をつくる 高橋俊介 

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■調査によれば、同年代の社員が多いほど、成長実感も大きいという明確な結果が出ている
- キャリアラボの調査
- 直属上司に育成責任を負わせるのは無理がある
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■中国での日本企業の不人気は「人材育成に不熱心」というのが理由
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■20代の社員が、いまの会社に居続けようと思うのは下記の3つの理由が大きい
- いまの仕事の充実感
- いまの仕事を続けることによる、今後の成長の可能性
- いまの会社で将来のキャリアがイメージできるか
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■新人よりも2~3年目の社員の方が成長実感を持たせるのが難しい
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■IT化によって仕事がブラックボックス化したことで、上司の仕事を見て盗む、という成長機会が少なくなってしまった
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■GEやデルは90年代に全社的にコーチングを導入したが、一番最初にまず社長がコーチングを体験し、重要性を学んだ
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■「顧客から評価されたとき」がもっとも成長実感を感じやすい
- その他に「仕事で具体的な成果が出たとき」
- それに対して「上司・先輩から評価されたとき」は低い
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■よいキャリアは下記の4つの条件を満たす
- 日々の仕事で動機を活用している
- 自分の仕事の意味づけが明快に出来ている
- 中長期的な成長実感がある
- 人生全体の充実とバランスが取れている

Monday, October 22, 2007

読書日記:日本人のための宗教原論

10/23 日本人のための宗教原論 小室直樹 

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■宗教をわからないと痛い目にあう
- 仏教では地獄はないことになっている・・・オウムは仏教を標榜しているのに、地獄に落ちる、と言い募った段階で「あ、これはインチキだ」と思わないといけない
- 仏教は実在論を否定する・・・人間の心の外に実在するものは何も無い・・・これが仏教の入門の初歩の初歩であるとともに極意であり蘊奥でもある
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■マックスウェーバーは宗教を「エトス」と定義した
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■世の中には啓典宗教とそうでないものがある
- ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は啓典宗教である
- 仏教、儒教、ヒンドゥ教はそうでない
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■個人救済という側面でも分けられる
- キリスト教、仏教、イスラム教は個人救済の宗教である
- ユダヤ教、儒教は集団救済である
- 儒教のイデオロギーは「政治万能主義」である・・・良い政治は経済も文化も人心も何もかも救う・・・それどころか作物も育ち、イナゴは来なくなり、鳳凰や龍が飛んできて挨拶する
- 一方で個人の救済はまったくしない・・・例えば孔子の高弟である顔回は、孔門十哲の筆頭で、学問・徳の高さに秀でていたが、米のカスも食べられないほどの困窮に陥り、ついには病に倒れてしまう・・・この彼に、孔子は「嫌な世の中だよね」と嘆くだけ・・・そこで「政治をよくしなければ」と来る・・・そうクルか!
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■仏教には天地創造という概念が無い・・・従って終末論もまた無い
- 仏教を持ち出しておいてハルマゲドンとか終末とか連呼しているのはバカ
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■仏教では悟りを開いた人はもう生まれ変わらない・・・生まれ変わるのは業があるから・・・カルマがあるからである
- 釈迦のように悟りを開いた人はカルマをきれいになくしたわけだから、もはや生まれ変わらない
- したがってよくいる「釈迦の生まれ変わり」というのは絶対にウソである
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■良い状態・理想状態を明確に規定しないところにイデオロギーの妙味がある
- キリスト教は単に「神の国」というだけで、それがどんなものかを具体的には言わない・・・言わないことで勝手に各自が理想的なものを考える
- これはマルクスが「社会主義」を宣言して、労働者が七転八倒しているのは資本主義のせいであり、これを打倒しろと説いたが、打倒したら具体的にどうなるのか、ということについては明言を避けている
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■キリスト教はキリストの教えだが、仏教は釈迦の教えではない
- 仏教の教えはダルマ=法のこと
- ダルマは慣例、風習、義務、法律、心理、教説など、さまざまな法則を指す
- 釈迦が発見しまいと発見しようと、ダルマは存在する
- だから釈迦の教えが正しいのは、ダルマを発見・理解した人だからであって、教えそのものは釈迦から出たものではない・・・これを法前仏後という
- キリスト教では、何よりまず神が最初にある・・・そして神が説いた神の教えがある・・・つまり神前法後である
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■日本人は、建前と本音を、何の苦も無く使い分けられる
- 米国では進化論を教えた教師が罷免されるなど、キリスト教のファンダメンタリストは非常に厳格に聖書の記述を信じている
- 太平洋戦争で捕虜になった日本人に米国は進化論から教えた・・・なぜ特攻などが出来るのか、という分析の結果、日本人は天皇を現人神と信じているからだということがわかった・・・そこで人の子孫はサルであって太陽ではない、ということを教えようとした
- ところが教えられた日本人は「進化論?知っている」と答えた・・・これにアメリカ人は非常に驚いた・・・なぜ現人神を信じている人が科学としての進化論も受け入れているのか?矛盾ではないか!ということである
- しかし当の日本人にしてみれば矛盾も何も考えない、アレはアレ、コレはコレということで、どうもアメリカ人には理解できなかったらしい
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■仏教の啓典は誰でも作ることが出来た
- 如是我聞(にょぜがもん 私はこのように釈迦から聞いた)とアタマにつければ、なんでもお経になった
- 仏教の正典がきめられていない理由がいくつかあるが、一つには釈迦の親切であると証明されたものは何一つ無いことである
- じゃあクソミソかというとそうではなくて法華経や般若経などのいわゆる大乗仏典は、みんな後世の創作であることがわかっている・・・これらのものはインドの超一流の哲学者、宗教家が、いろいろあるなかから「これはまあよかろう」ということで選んだもの
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■空とは無のことではない、いわんや有のことでもない
- 空観(空の理論)は形式論理学を否定した一種の超論理学である
- 空は虚無と同一視するのは間違い
- 神はあり、また無い・・・これが空である・・・形式論理学ではこの命題が両立することは無い
- ユークリッド幾何学における点と線みたいなもの・・・・図面の上の点は広さを持たないが、厳密には広さを持たない点などもちろんありえない・・・太さを持たない線もしかり・・・では面積があるかといえば、無い・・・では無いかといえば点としてあり、線としてある・・・幾何学における点や線を有るか無いかで議論できない
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■イスラム教国・教徒は今後も増えるだろう
- イスラム教は大変わかりやすく、効験あらたかな宗教である
- 歴史上、イスラム教化した国が仏教に変わったということは無いが、逆はたくさんある・・・西域(シルクロード)諸国は、昔はみな仏教国だったのにみんなイスラム教に改宗した
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■イスラム教で、異教徒と戦って死んだ人=聖戦(ジハード)で戦死した人は死んだことにならない
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■パウロはキリスト教の最重要人物の一人だが、最大の功績は内面と外面の区分をおこなったことである
- 外面的にはどうであれ、内面で信じていればぜんぜんOKとした
- このためにローマ支配化でローマの法律には面従していながら、内面はキリストを信じる、という信仰のあり方が可能になった
- これがなければキリスト教は滅びていただろうとマックス・ヴェーバーは言っている
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■中国の科挙制度が長く続いた背景には宦官制度がある
- 官僚制が機能するためには官僚制と競合するカウンターバランスシステムが居る
- 中国においては科挙のみに基づいた官僚制が千年近くも続いた
- そのカウンターシステムとは宦官のことである
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■夫婦別姓が問題になっているが、こんなの明治に人が作った制度でしかない
- 明治23年以前は別姓が当たり前だった
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■戦後日本の精神的荒廃=アノミーは連帯の喪失にもとづく
- まず昭和30年代から村落共同体が、高度経済成長がスタートするとともに徐々に崩れていって昭和40年代にもうなくなってしまった
- それを収束させたのが左翼運動と会社だった
- いまの日本のカルト宗教、教団は、その信者たちのアノミー救済のために機能している
- アノミーはフランスの社会学者エミール・デュルケムの用語で、普通は「無規範」とか「無秩序」と約すが、それはむしろアノミーがもたらす結果であって、言葉としては「無連帯」というのが近い・・・人と人を結びつける連体が失われ、人々は孤独・不安・凶暴になり社会をさまよう
- 終身雇用や年功序列はもともとは日本の経営にはなかったが、このアノミー状態を収束させていく昭和30年くらいからスタンダードになった
- 安保闘争というのも、要するにイデオロギー的な問題ではなく、皆で「わっしょいわっしょい」と騒ぎたい、そうやって連帯を感じて安心したい、というだけの話である
- カリスマ、という言葉はもともとマックス・ヴェーバーの言葉で、原義は「神の恩寵」である・・・人そのものがカリスマではない・・・そしてソ連はスターリンのカリスマ化に成功したから大躍進した
- ところがその後、ソ連は大失敗を犯してしまう・・・・スターリン批判によりスターリンのカリスマをめちゃくちゃにしたことでソ連をアノミーに陥らせたのだ

Sunday, October 21, 2007

インターネットは民主主義の敵か

10/23 インターネットは民主主義の敵か キャス・サンスティーン

ハっとさせられることの多い本でした。

ポイントは インターネットは必ずしも民主主義の味方ではない ということで、そのココロは

:膨大な情報のオーバーフローがおきる
:全部処理できない以上、何らかのフィルタリングが必要になる
:フィルタリングによって「自分にとって新しい意見」「自分とは合わない意見」を阻害する
:意見が同じ人が集団化することで社会の多様性が失われていく
:多様性の認識・受容は討議性民主主義の根幹を成す

ということである。

実はこの主張は本書の最初の20ページと最後の20ページに実に簡潔にまとめられているので、 急いでいる人はそこだけ読めばいいかも。


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■民主制度は広範な共通体験と多様な話題や考え方への思いがけない接触を必要とする
- 各自が前もって見たいもの、見たくないものを決めるシステムは、民主主義を危うくするものに見えるだろう
- 考え方の似たもの同士がもっぱら隔離された場所で交流しているだけでは、社会分裂と相互の誤解がおこりやすくなる
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■良質の日刊紙、または夜のTVニュース番組の真の強みは未知なものへの出会いと準拠枠の提供にある
- 読者・視聴者に広範な話題や意見に出会うことを可能にすることにある
- 何百万人もの人が共有する枠組みを作る
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■共通体験は社会をつなぎとめる接着剤の役割を果たす
- 混合型社会で社会問題に手をつけようというとき、共有体験がなければどうしようもない
- 社会の成員同士が理解できないかもしれない
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■アメリカにおいては「自由の最大の敵」は「消極性」である
- 最高裁判事であったルイ・ブランダイスはこう書く
- 我々の自由を勝ち取った先達は、国家の最終目標は人間を自由にして才能を発揮させること、と信じていた。また、施政においては、話し合いによる力が恣意的なものを抑えるとも信じていた・・・・自由な言論と集会なしには議論は不毛になる・・・と信じた・・・自由の最大の敵は消極的な国民である。公開議論は政治的義務である。これはアメリカ政府の根本的な原理である
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■フィルタリングはネットだけじゃない
- つきつめてみれば、どの新聞を読むか、どの番組を見るかもフィルタリング
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■ネットは多様性を押し広げる役割も持つ
- 好奇心に基づいて新たな知の探索を可能にする
- 情報を探す人には多様性をもたらすが、情報がもたらせることだけを求める人にとっては多様性を排除する方向に働く
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■しかし一般的に情報がオーバーフローした状態では、人は自分と同じ意見を聞きたがる
- 白人の人気テレビ番組十傑とアフリカ系アメリカ人の十傑を比べると、両方のリストに顔を出す番組はほとんど無い
- アフリカ系アメリカ人のトップテンのうち7つの番組が、白人の間では「もっとも」不人気な番組のランキングで上位に入っている
- リンクの調査に関しても同様で、同じような見解・政治的な立場の意見があるHPばかりリンクが張られ、逆の立場のHPにはリンクが張られていない
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■言論の自由は、贅沢品ではなく、必需品である
- 貧困国あるいは社会や経済の問題で苦しんでいる国々においては、経済成長と国民の衣食住の充実が優先課題であって、民主主義の奨励・言論の自由は後回しにされるべきだ、という意見があるが、これは見当違いである
- 経済学者アマーティア・センの研究によると、世界史の中で民主的な報道機関と自由な選挙制度を持つ体制に飢饉が起こったことは無い
- センが実証する出発点は、飢饉は食料不足の必然的な結果ではなく、社会的な構造が生み出した産物である、ということである
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■祝日はこの「思いもかけないテーマとの出会い」のために存在する
- 祝日は本来、国民にとって重大な出来事を皆で一緒に考えることでっ国づくりの手助けにするためにある
- 加えて、祝日には多様な人々が共通の思い出・関心を持つことを促進する
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■選択肢の縮小は必ずしも抵抗をもたらすわけではない
- 社会学者のジョン・エルスターはすっぱい葡萄のたとえをもって説明する
- 選択肢が狭められると、失ったものについての選好が減少することがある

Tuesday, October 16, 2007

映画日記:俺たちに明日は無い

現代は「ボニー&クライド」

銀行強盗をやりながら逃避行をする二人+その仲間たち。

最後には銀行強盗から足をあらって全うな生き方を志向するものの、
過去は清算できず。

結局は、警官隊に待ち伏せをされて機関銃で惨殺される、
という救いの無いストーリー。

わくわくもしないしはらはらもしない。ただ、ずるずると「贅沢はしたいけど
学歴もないし働く気もない、なんとなくこの田舎町がいやだ」ということ
から強盗を繰り返しているうちに、逃げるために次々に人を殺さざるを
得ない状況に陥っていく様が描かれるところがやりきれない。

本人たちは、気のいい連中で、強盗はするものの人を傷つけるつもりは
まったくない。だから、逃げるために衝動的に犯した殺人を、ものすごく
後悔したりする。

映画の途中、田舎に残してきた母親の家に逃げ込むシーンがある。

そこで「一段落したらみんなで一緒に暮らそう」というボニーに対して、
母親が無表情に「人を殺したんでしょう。もうアンタラには落ち着ける
ところなんてないよ。一生逃げるしかないんだよ。さようなら」と告げて、
去っていくシーンが非常に印象的。

この時代、明日に向かって撃てとか卒業とか真夜中のカウボーイとか、
見終わると救いの無い絶望感にさいなまれる映画がたくさんヒットした
けど、これって時代の申し子なのかしら?

明日に向かって撃てとかこの映画は、

:調子いいことをやって調子よく生きている
:この先もどんどんそれをやっていこう

と思っているうちに引き返せない袋小路に入っていることに気づいた、
という展開の映画であるが、そういう警告を世の中に出したかったのか??

よくわからん。
10/17 なぜデザインなのか。 原研哉 阿部雅世

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■デザインはそもそも権力・パワーの誇示が目的だった
- デザインはフリルじゃないといわれるけど歴史的には98%フリルだった
- 装飾こそがデザイン、という考え方
- プレーンな青銅器とかは無いわけ
- 村とか国とか、共同体を維持するための求心力を表象するものが必要
- 稠密な文様とか複雑な模様は、修練を積んだ人が膨大な時間をかけないと出来ない・・・・
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■デザイン、という言葉が矮小化されつつある
- そもそもものづくりの知恵を表す言葉
- だから「デザイン家電」なんていう言葉は、短絡的な消費主義的発送が見えて浅くて悲しい
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■脳が考えたことをそのまま表面に出すこと・・これがドローイングの訓練
- 恥を忘れることが大事
- バウハウスのヨハネス・イッテンは造形体操で、体が作り出してしまう、しでかしてしまう表現をそのまま表出させる訓練をさせた
- これは、恥の意識でフィルターをかけることを取り除く訓練
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■新聞を季節で衣替えさせてもいい
- 見出しや罫線、本文の書体を涼しげなものと暖かいものを用意して季節に応じて使い分ける
- 夏はタイトルに朝顔がまきつき、冬は雪が積もったりツララがたれたりする
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■あるべき状態でデザインされるべき
- タバコやチューインガムのパッケージなんてくしゃくしゃになっている状態を目にすることのほうが多いのに、そういう状態を想定したデザインがされていない
- ブルーノ・ムナーリは料理用のへらとか靴のかかとは最初から磨り減った形にデザインしておくのが正しい、と言っている
- 磨り減った、のではなく成熟した状態という考え方
- ポスターをデザインするときは、実際に施策を壁に貼ってみたりバス停にある状態にしてみてそれを写真にとってプレゼンする
- 紙袋は、それを持っている人がバス停に並んでいるところや、それが打ち捨てられて水溜りでぐずぐずになっているところなんかを写真にとって提案する・・・それでリアリティが出てくる
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■デザインの創造性は「問い」にかかっている
- いい問いが見つかれば、いい答えが見つかる
- いろいろと知恵を絞っているのは、デザインで解くべきユニークな「問い」を探しているということ
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■パリにはトレンドセッティング委員会というのがあって、トレンドは自発的に作られる
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■居住空間の心地よさは面積ではなく体積
- 昔すんでいた同潤会のアパートは狭かったけど天井高が3.5メートルくらいあった
- そこで思ったのが空気の量が心地よさなんだな、ということ
- 同じ広さでも天井が低いと圧迫感がある・・・いまは何でも平米で見るでしょう、あれを体積で見るようになるといろいろと変わってくると思う
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■日本の緑は世界的に見ると石油に匹敵するような財産
- 水をまかなくてもこれだけの緑が勝手に映えてくるというのは石油に匹敵するくらいの財産
- ドイツは森がものすごく豊かだけど全部植林
- 一本木を切ったら一本植える、という法律がある
- ティアガルテンというベルリンの森を窓から見ると毎日毎日スプリンクラーで水をまいている・・・そうしないと芝生も木も枯れてしまう