2009年2月6日
あのアイルトン・セナも在籍していたF1チーム:マクラーレンのテクニカル・ディレクターとして一時代を築いたデザイナーでゴードン・マーレイという人がいます。この人、F1マシンの底から強制的に空気を吸い出して負圧を生み出し、地面に車体をへばりつけるコンセプト=「ファンカー」を作ったり、極端に空力を優先してドライバーを仰向けに寝そべらせる様なマシンをデザインしたりとアノテコノテの素っ頓狂なアイデアを実行し、しかもそういったアイデアで開発された車が実際に早かった、という素晴らしいデザイナーなのですが、その彼が先日、あるインタビューで「20年前はアイデアがひらめいてそれを実験するとラップタイムが5秒とかポンッと上がったものだ。今はナンですか?物理的に収斂してしまって風洞実験を18時間行って0.5秒の改善?そんなことに人生を費やすのなら私は家でロックを聴いて寝ていますよ」と応えていました(マーレイは故ジョージ・ハリスンとも親交が深かった生粋のロックファンで自宅には数千枚のレコードを隠し持っている由)。
この言葉に、ここ2年ほどずっと引っ掛かっています。
18時間風洞実験をして0.5秒しかラップタイムが改善しない。このバカバカしい取り組みに関係者はそれこそ粉骨砕身で打ち込んでいるわけですが、今、こういったバカバカしさは先進国の経済活動の殆どを覆っているように思います。ハーバード大学のクリステンセンが指摘した「イノベーションのジレンマ」もそうですが、要するに、受益者にとってどうでもいいくらいのマージナルな進化しか期待できないことに、人類の英知や才能が膨大に注ぎ込まれている、ということです。
しかし、一方で、市場原理はそのマージナルな差を精密にスキャンして、敗者には市場からの退場を迫ります。この点の残酷さは0.01秒でも遅ければ敗者となるF1と変わりません。従って、今現在のシステムに我々の社会を乗せている限りは、このバカバカしさから逃れることは出来ないように思えるのです。
そして、その集団としてのバカバカしい取り組みの結果、20世紀という時代が千年後に何を残せたのだろうか、ということを考えると、このようなバカバカしさに、21世紀も人類が邁進する、ということは、これは非常に愚鈍ではないのか、という気がしてしょうがないのです。どうするか?マーレイの様にロックを聴いて寝る、というのもありなのかも知れません。
仕事中なので、ちょっと中断してまた考えます。
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