Thursday, November 29, 2007

プロジェクトマネジメントで克つ!

11/29 プロジェクトマネジメントで克つ! 宮田秀明

·
■一位を狙うならハイリスク・ハイリターン
- あらゆる気象条件に対応できる設計は安全だが、気象予測が当たっても勝ちを狙いにいけない無難な艇になってしまう

·
■中間目標を意識するとだめ・・最終目的に常にアドレスする
- ヨットは船体、セール、舵といろいろな部品があり、それぞればらばらに設計される
- 従って艇全体のコンセプトを明確化しないとブレが出る・・・アメリカズカップ挑戦艇の場合、すべてを「世界一の速さを実現する」というコンセプトで練った

トヨタ 愚直なる人づくり

11/29 トヨタ 愚直なる人づくり 井上久男 

·
■トヨタはなかなか決めない
- 上位下達でやらせることはしない
- 皆が心底納得できるまで議論する
- だから決断は遅いが、実行は早い
·
■社内の様々なネットワークをサポートする仕組みがある
- 入社年次やキャリアや沢山のコミュニティがあって活発に動いている
- その活動が部署を超えたネットワーク作りに貢献している
·
■トヨタの下請けはトヨタ以外にもおろしている
- 例えばアイシン精機やデンソーのトヨタの効験売上げ比率は50%程度であり、海外の企業や国内の競争相手との取引を強化している
- 外販をしっかりやってもらうことでコスト競争力等、甘えを排している
·
■下請けとのライバル関係というところもある
- 例えばプリウスの開発で心臓部となる特殊デバイスについては、自前で開発した
- 愛知県豊田市の広瀬工場ではプリウス関連の電子部品を生産しており、1989年には380人だった従業員は1300人に増えている
- いずれ自動車がハイブリッドが主流になったときに、パソコンメーカーがその付加価値の多くをメモリーとOSの製造業者に取られるようになった事態を、自動車でも起こるのではないか、と心配している

Tuesday, November 6, 2007

11/7 デザイン思考の道具箱 奥出直人 

·
■企業の競争の要諦は効率から創造性に移っている
- 効率を向上させてもiPodのような商品は生まれない
- これまでのMBAで教えている方法論では競争に勝てない
- 創造性を発揮できる企業が勝者になる
- 2006年1月のダボス会議でも創造性がトピックとして扱われ、IDEOの方法論が紹介されたりした
- ビジネスウィークは2005年8月号で、これまで経営戦略では企業は勝者になれなくなったとして、創造性の特集を行っている
- GEのジェフ・イメルトはデザイン思考を企業戦略に取り入れてGEの更なる成長を可能にした
- P&Gはデザインとイノベーションと企業戦略を統括する副社長としてクロウディア・コチャカを抜擢した・・・彼は多くの役員や部長、さらには研究所の科学者たちを解雇し、その一方で商品デザインを行う人を数多く雇い入れ、研究所のスタッフがデザイナーと一緒に仕事をするプロセスに切り替えた
·
■創造性は才能ではなく方法である
- 創造をするプロセスにのっとれば創造性を発揮できる
- 俗人的な才能の問題ではない
- これをいかにマネジメントするかが経営の大きなポイントになる
·
■アメリカズカップの日本チームでテクニカル・ディレクターを務める宮田英明は従来のR&Dに変わる方法論としてR&D&D&Dが必要と述べている
- 宮田氏は東大MOTの教育に関わった
- 著書「プロジェクトマネジメントで克つ!」で創造のプロセスを開陳した
- いわく従来のR&Dではない、Research & Development & Demonstration & Dissemination・・・つまり研究して開発して実証して普及させる、という流れ全体を創造のプロセスとした
·
■例えばポストイットを商品化した3Mの行動原則の中には「試してみよう、なるべく早く」というのがある
- とにかくどんどん作ってみて、どんな使い方が出来るかを試してみる、というのが会社の方針になっている
·
■西堀栄三郎は、発明にはエジソン式発明とラングミア式発明の二つがある、とする
- 西堀は南極越冬隊で有名だが真空管の研究や原子力の研究・開発でも功績を残した人物で、日本の「もの造り」に大きな貢献をした
- 著書「西堀流新製品開発―忍術でもええで」の中で、エジソン式発明=要求が先にあって知識がそれに追従していくというスタイル、ラングミア式発明=知識が先にあってその知識を応用して要求を満たすというスタイル、の二つのアプローチを紹介している
·
■創造のプロセスの中で非常に有効性があるのに抵抗が一方で強いのは「プロトタイピング」である
- スペックが決まってからプロトタイプで検証する、というスタイルをとりたがる企業が多いが、プロトタイプを作って、試行錯誤しながらスペックを決めるほうがはるかに創造性を発揮しやすい
- 空間内部でのシステムを作るプロジェクトで、普段は十分の一の模型からスタートしている企業に、実物大のプロタイプをいきなり作れ、とアドバイスしたところ、非常に大きな抵抗があった
- 本当に簡単なものでかまわない、と説得してホームセンターで買ってきたパイプで枠を組んで実物大の空間を作って見たところ、今までどんな模型でも得られなかった身体感覚が生まれ、作るものも使い方もコンセプトもシャープにイメージできるようになった
·
■デザインの礎には「顧客と同じ目線での実体験」が必要・・・フィールドワークが必須
- フィールドワークはもともと民俗誌=エスノグラフィーの学者が行ってきた方法論
- 民俗誌の中に、特に現象学的社会学=エスノメソドロジーという学問があって、著者はその方法論を用いている
- エスノメソドロジーは特に、人と人のインタラクションを重要視する
- ここでのポイントは参与観察で、つまり対象と距離をおいてただ観察するのではなく、観察する相手の活動にみずから参加することである
- それによって日常のコンテキストを共有しない他者が感じる違和感を切り口に、世界を見ていく
·
■ポイントは、デザイナーやエンジニアが自分で参与すること
- 大変な作業なので専門家に任せたいと思うかも知れないが、違和感を感じるのがデザイナーやエンジニア本人であることに意味がある
- アンケートやインタビューをいくらやっても革新的な商品は生まれない
- ビジネスウィークは前掲の特集で「エスノグラフィーこそこれからの企業に求められている能力である」としている
·
■行動を観察する、というのは実は結構難しい・・・ポイントはドップリ入りこむこと
- 初めてやるといきなりインタビューしたり、ただ漫然と眺めているだけ、になりがち
- 観察する対象を理解するには「自分が変わる」ことが大事・・・自分の経験領域を拡大して観察対象の経験を包含するまで変化していかなくてはいけない
- 第一のポイントは、一回目の観察を大事にすること・・・これをエスノグラフィーでは「First Encounter」と言い、もっとも新鮮な違和感を得られる大事な機会として考えている
- 第二のポイントは、いい師匠を見つけて、師匠に弟子入りする感じになること・・・一挙手一投足を見て「師匠、ここはなぜこうするのですか?」といちいち確認するのが大事
- イチイチ確認するのが非常に大事で、その場で聞かないと違和感も消えてしまうし、なぜ今そうしたのか、という理由付けも師匠の側で思い出せなくなってしまう・・・師匠は結構無意識にいろいろやるものなのだ
- 第三のポイントは、終了後、感覚や記憶が生々しい間に、一気にレポートを書き上げること・・・その際に、出来るだけ生々しい、民俗誌で言う「濃い記述」をこころがける
- この記述により、体験が反省化され、経験が拡大される効果が出る
·
■これからの競争のポイントはマイクロイノベーションの積み重ね
- エジソン式発明とラングミア式発明で言えばエジソン式
- 19世紀後半から20世紀にかけては中央研究所主導で大型のイノベーションを開発し、一発屋的に設けることが主流だった
- しかし、iPodのように4つも5つもの小さなイノベーションをうまく組み合わせることで大きな市場価値をもつ商品を作り出すのが、今後の主流になるだろう
- 3Mは小さなイノベーションをたくさん生み出すことを組織的な仕組みとして内包している
·
■コラボレーションでは「共通の言語」が重要になる
- アメリカ海兵隊の一番のミッションは敵地に上陸して拠点を築くことにある
- このミッションそのものは海軍の仕事と空軍の仕事と陸軍の仕事のすべてに関連するが、陸海空軍が集まっても同じことは出来ない・・・なぜなら彼らには共通の言語がないため、チームワークが取れないからである
- 西堀栄三郎の南極越冬隊では、学者たちを連れて行く前に学者たちをまず雪山でテントを晴らせる訓練をして身体的な場・言語を共有させた

Wednesday, October 31, 2007

読書日記:トヨタはどうやってレクサスを創ったのか

10/31 トヨタはどうやってレクサスを創ったのか 髙木晴夫 

·
■ヨーロッパという市場の切り方は日本独自・・・ヨーロッパという国はない
- レクサスはイギリスでは成功しているがドイツではさっぱり
- ヨーロッパという切り口では活路は見えない
·
■過去の数値分析から未来は見えない・・・受動的に動くより未来をつくるべき
- 92~93年当時の各種のデータを使って、既に答えを知っている95年時点の変化を予測できたか、ということを分析して見たが答えは不可能だった・・・未来に起こる市場の変化を先取りは出来ない
- 予兆を捉え、それをもとにして顧客の期待を超えるものを出していく、しかない
·
■トヨタの高級車はシニア層とともに加齢化しつつある
- 高級車市場を輪切りにするとクラウンはそれなりのシェアがあるが、顧客が50代・60代ばかり
- 一方でBMWやベンツは30~40代の若い成功者に支持されている
- このまま行けば高級車市場での顧客はどんどん目減りする
·
■トヨタは販売戦略に関して全体最適を意識しない
- 隙間のあるエリアがあれば小規模のディーラーを出して、エリアを埋める
- トヨタのディーラー間で競合することもよしとする
- 各ディーラーが自己本位に動いて、部分最適化していくことによって結局は売り上げが最大化される(はず)という考え方をとる
·
■顧客満足度に関しては、満点の5点の比率を重視する
- 平均点とかは見ない

Tuesday, October 30, 2007

読書日記:オルフェウス・プロセス

10/31 オルフェウス・プロセス ハーヴェイ・セイフター 

端的に言って検証が乱暴。指揮者不在という仕組みがいいのだ、という結論があって、その結論を補強するためにいろいろと材料を集めたという感が強いが、切れ味が悪い。

例えば、指揮者がいるオーケストラに居た奏者を取り上げて「つらい体験だった、二度と味わいたくない」といったコメントを紹介しているが、一般化するにはサンプル数が少なすぎるし、そもそもウィーンフィルやベルリンフィルといった世界の名だたるオーケストラの団員は皆不満なのだと考えるのは無理がある。

このオーケストラで原始共産主義的な意思決定が機能しているのは実に単純で人数が少ないからである。総勢で27名のオーケストラに指揮者がいなくて機能している、スゴイ!と驚いているが27名であればトップはいなくても機能するだろう。大きな会社になれば取締役会は30名くらいにはなる。この30名が合議的に意思決定をしているとしたらその会社にはヒエラルキーが無いことになるのかといったらそうはなるまい。

ヒエラルキーを設定するのはコストの重複を避けるためである。1万人の会社で経営方針を決定するのに1万人が議論に参加したらその会社は成り立つまい。決める人と執行する人を分けるのは作業の重複を避けるためであって、27人のオーケストラであればなんとかなることを1万人の会社に適用できるとは思えない。

加えれば、オーケストラというのはミッションが非常に単純で、要はいい演奏をしてお金をもうけることがその目的だが、企業というのは往々にして目的やミッションが股裂きになるケースがあって、そういう場合にもおそらく機能しないだろう。

最近「ヒトデはクモよりなぜ強い」とか、ヒエラルキー不在の組織に関する論考が多く出されているが、そのどれもがまともな経営論として扱うレベルに達していない。

この本も、組織論を専門に勉強している学生とかならまだしも、プロのコンサルタントが読んで学びがあるレベルにまだ達していないと思う。

Monday, October 29, 2007

読書日記:人が育つ会社をつくる

10/30 人が育つ会社をつくる 高橋俊介 

·
■調査によれば、同年代の社員が多いほど、成長実感も大きいという明確な結果が出ている
- キャリアラボの調査
- 直属上司に育成責任を負わせるのは無理がある
·
■中国での日本企業の不人気は「人材育成に不熱心」というのが理由
·
■20代の社員が、いまの会社に居続けようと思うのは下記の3つの理由が大きい
- いまの仕事の充実感
- いまの仕事を続けることによる、今後の成長の可能性
- いまの会社で将来のキャリアがイメージできるか
·
■新人よりも2~3年目の社員の方が成長実感を持たせるのが難しい
·
■IT化によって仕事がブラックボックス化したことで、上司の仕事を見て盗む、という成長機会が少なくなってしまった
·
■GEやデルは90年代に全社的にコーチングを導入したが、一番最初にまず社長がコーチングを体験し、重要性を学んだ
·
■「顧客から評価されたとき」がもっとも成長実感を感じやすい
- その他に「仕事で具体的な成果が出たとき」
- それに対して「上司・先輩から評価されたとき」は低い
·
■よいキャリアは下記の4つの条件を満たす
- 日々の仕事で動機を活用している
- 自分の仕事の意味づけが明快に出来ている
- 中長期的な成長実感がある
- 人生全体の充実とバランスが取れている

Monday, October 22, 2007

読書日記:日本人のための宗教原論

10/23 日本人のための宗教原論 小室直樹 

·
■宗教をわからないと痛い目にあう
- 仏教では地獄はないことになっている・・・オウムは仏教を標榜しているのに、地獄に落ちる、と言い募った段階で「あ、これはインチキだ」と思わないといけない
- 仏教は実在論を否定する・・・人間の心の外に実在するものは何も無い・・・これが仏教の入門の初歩の初歩であるとともに極意であり蘊奥でもある
·
■マックスウェーバーは宗教を「エトス」と定義した
·
■世の中には啓典宗教とそうでないものがある
- ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は啓典宗教である
- 仏教、儒教、ヒンドゥ教はそうでない
·
■個人救済という側面でも分けられる
- キリスト教、仏教、イスラム教は個人救済の宗教である
- ユダヤ教、儒教は集団救済である
- 儒教のイデオロギーは「政治万能主義」である・・・良い政治は経済も文化も人心も何もかも救う・・・それどころか作物も育ち、イナゴは来なくなり、鳳凰や龍が飛んできて挨拶する
- 一方で個人の救済はまったくしない・・・例えば孔子の高弟である顔回は、孔門十哲の筆頭で、学問・徳の高さに秀でていたが、米のカスも食べられないほどの困窮に陥り、ついには病に倒れてしまう・・・この彼に、孔子は「嫌な世の中だよね」と嘆くだけ・・・そこで「政治をよくしなければ」と来る・・・そうクルか!
·
■仏教には天地創造という概念が無い・・・従って終末論もまた無い
- 仏教を持ち出しておいてハルマゲドンとか終末とか連呼しているのはバカ
·
■仏教では悟りを開いた人はもう生まれ変わらない・・・生まれ変わるのは業があるから・・・カルマがあるからである
- 釈迦のように悟りを開いた人はカルマをきれいになくしたわけだから、もはや生まれ変わらない
- したがってよくいる「釈迦の生まれ変わり」というのは絶対にウソである
·
■良い状態・理想状態を明確に規定しないところにイデオロギーの妙味がある
- キリスト教は単に「神の国」というだけで、それがどんなものかを具体的には言わない・・・言わないことで勝手に各自が理想的なものを考える
- これはマルクスが「社会主義」を宣言して、労働者が七転八倒しているのは資本主義のせいであり、これを打倒しろと説いたが、打倒したら具体的にどうなるのか、ということについては明言を避けている
·
■キリスト教はキリストの教えだが、仏教は釈迦の教えではない
- 仏教の教えはダルマ=法のこと
- ダルマは慣例、風習、義務、法律、心理、教説など、さまざまな法則を指す
- 釈迦が発見しまいと発見しようと、ダルマは存在する
- だから釈迦の教えが正しいのは、ダルマを発見・理解した人だからであって、教えそのものは釈迦から出たものではない・・・これを法前仏後という
- キリスト教では、何よりまず神が最初にある・・・そして神が説いた神の教えがある・・・つまり神前法後である
·
■日本人は、建前と本音を、何の苦も無く使い分けられる
- 米国では進化論を教えた教師が罷免されるなど、キリスト教のファンダメンタリストは非常に厳格に聖書の記述を信じている
- 太平洋戦争で捕虜になった日本人に米国は進化論から教えた・・・なぜ特攻などが出来るのか、という分析の結果、日本人は天皇を現人神と信じているからだということがわかった・・・そこで人の子孫はサルであって太陽ではない、ということを教えようとした
- ところが教えられた日本人は「進化論?知っている」と答えた・・・これにアメリカ人は非常に驚いた・・・なぜ現人神を信じている人が科学としての進化論も受け入れているのか?矛盾ではないか!ということである
- しかし当の日本人にしてみれば矛盾も何も考えない、アレはアレ、コレはコレということで、どうもアメリカ人には理解できなかったらしい
·
■仏教の啓典は誰でも作ることが出来た
- 如是我聞(にょぜがもん 私はこのように釈迦から聞いた)とアタマにつければ、なんでもお経になった
- 仏教の正典がきめられていない理由がいくつかあるが、一つには釈迦の親切であると証明されたものは何一つ無いことである
- じゃあクソミソかというとそうではなくて法華経や般若経などのいわゆる大乗仏典は、みんな後世の創作であることがわかっている・・・これらのものはインドの超一流の哲学者、宗教家が、いろいろあるなかから「これはまあよかろう」ということで選んだもの
·
■空とは無のことではない、いわんや有のことでもない
- 空観(空の理論)は形式論理学を否定した一種の超論理学である
- 空は虚無と同一視するのは間違い
- 神はあり、また無い・・・これが空である・・・形式論理学ではこの命題が両立することは無い
- ユークリッド幾何学における点と線みたいなもの・・・・図面の上の点は広さを持たないが、厳密には広さを持たない点などもちろんありえない・・・太さを持たない線もしかり・・・では面積があるかといえば、無い・・・では無いかといえば点としてあり、線としてある・・・幾何学における点や線を有るか無いかで議論できない
·
■イスラム教国・教徒は今後も増えるだろう
- イスラム教は大変わかりやすく、効験あらたかな宗教である
- 歴史上、イスラム教化した国が仏教に変わったということは無いが、逆はたくさんある・・・西域(シルクロード)諸国は、昔はみな仏教国だったのにみんなイスラム教に改宗した
·
■イスラム教で、異教徒と戦って死んだ人=聖戦(ジハード)で戦死した人は死んだことにならない
·
■パウロはキリスト教の最重要人物の一人だが、最大の功績は内面と外面の区分をおこなったことである
- 外面的にはどうであれ、内面で信じていればぜんぜんOKとした
- このためにローマ支配化でローマの法律には面従していながら、内面はキリストを信じる、という信仰のあり方が可能になった
- これがなければキリスト教は滅びていただろうとマックス・ヴェーバーは言っている
·
■中国の科挙制度が長く続いた背景には宦官制度がある
- 官僚制が機能するためには官僚制と競合するカウンターバランスシステムが居る
- 中国においては科挙のみに基づいた官僚制が千年近くも続いた
- そのカウンターシステムとは宦官のことである
·
■夫婦別姓が問題になっているが、こんなの明治に人が作った制度でしかない
- 明治23年以前は別姓が当たり前だった
·
■戦後日本の精神的荒廃=アノミーは連帯の喪失にもとづく
- まず昭和30年代から村落共同体が、高度経済成長がスタートするとともに徐々に崩れていって昭和40年代にもうなくなってしまった
- それを収束させたのが左翼運動と会社だった
- いまの日本のカルト宗教、教団は、その信者たちのアノミー救済のために機能している
- アノミーはフランスの社会学者エミール・デュルケムの用語で、普通は「無規範」とか「無秩序」と約すが、それはむしろアノミーがもたらす結果であって、言葉としては「無連帯」というのが近い・・・人と人を結びつける連体が失われ、人々は孤独・不安・凶暴になり社会をさまよう
- 終身雇用や年功序列はもともとは日本の経営にはなかったが、このアノミー状態を収束させていく昭和30年くらいからスタンダードになった
- 安保闘争というのも、要するにイデオロギー的な問題ではなく、皆で「わっしょいわっしょい」と騒ぎたい、そうやって連帯を感じて安心したい、というだけの話である
- カリスマ、という言葉はもともとマックス・ヴェーバーの言葉で、原義は「神の恩寵」である・・・人そのものがカリスマではない・・・そしてソ連はスターリンのカリスマ化に成功したから大躍進した
- ところがその後、ソ連は大失敗を犯してしまう・・・・スターリン批判によりスターリンのカリスマをめちゃくちゃにしたことでソ連をアノミーに陥らせたのだ