Tuesday, August 21, 2007

読書日記:「私」のための現代思想

8/21 「私」のための現代思想

■教養とは「自由になるための技術」である
- 上流階級出身者として恥ずかしくない教養を身に付ける、とかいって身に付けられた教養はこけおどしで実際には役に立たない
- 人が自由になる、ということを詳細に吟味検討してきたのは哲学であり、現代思想である
- 自分たちに与えられた武器は思考力であり言語力であり論理力であるからして、これを棄てるのは自由になることを棄てるのと同じおろかな行為である
- これら以外の武器が無い以上、それがどんなに貧弱でもこれで戦っていくしかない

■キリスト今日では自殺が罪になっているが、これは6世紀以降のことである
- 初期のキリスト教では自殺が礼賛されていた
- アウグスティヌスはこれを禁じたが依拠しているのは聖書ではなくプラトンの「パイドン」である

■原始キリスト教の精神を丁寧に解いたのはトルストイやスピノザである
- トルストイは要約福音書でキリストの言葉を語ったが、これはニーチェの非難の対象となるようなものではない
- スピノザがエチカで解いたのも似たような概念である

■論理は無限後退する・・・その最後の礎に神があるわけだがニーチェはそれを問題視した
- Aは正しい、なぜならBだからだ、となるとBはなぜ成立するか、なぜならCだからだ、Cはなぜ成立するか・・・といった形で無限後退する・・・最後に、それは神の意思だからだ、とすることで無限後退を終わらせられる
- 現代ではこの神の意思の変わりに科学的な事実がおかれている
- 意味など存在しない、という否定ではなく、これまであると考えられてきた意味が存在しない、ということが認識された・・・これがニヒリズムである
- つまりニヒリズムとは「何も信じない」という意味ではなく、本来信じていたいものが無いのだとわかった状態である、とニーチェは分析した
- ニーチェが「神は死んだ」という言葉は、絶対者としての神の位置に、科学的な真理が取って代わったということを意味している
- 神に取って代わって科学的真理がおかれたとしても、絶対的に正しい何者か、という枠組みが失われたわけではない・・・つまり科学的な真理自体もキリスト教の枠組み・・・絶対的に正しい何者かがすべての礎になるという枠組みの中に取り込まれている

■この社会に適応できない人こそ、この社会を変える変革者なのかも知れない
- この世が健康体で理想郷だと思っている人は一人もいない
- この社会に適応している人ばかりになってしまったら、世界をよりよい社会にすることはできない
- 適応できていない人の方が変革者になれる可能性がある

■枠から出るためには、与えられた問いに対する疑義がポイントになる
- うんこ味のカレーとカレー味のうんこ、どちらを食べると聞かれたら、どちらもyダ、と応えるのが正解である
- どちらか食べなければいけない、とされるなら、それを強制する誰かを殺す、というのが正解である

■自殺が禁止された理由は財産権の侵害という側面から説明できる
- 奴隷が死ぬと主人の財産が減る
- 兵隊が自殺すると兵力が減る
- 普通の人も神の僕であるからして、僕が勝手に命を処分してはならない

■ドイツの哲学者ハイデガーは世界劇場という概念を通じて、現存在=私たちそのものと、役柄は異なっていると考えた
- 役柄のことを心理学では仮面という意味の言葉としてペルソナと呼ぶ
- 人格=personalityはこのペルソナからきている
- 役割を演ずるために世界に投げ出されるのをハイデガーは企投と呼んだ
- 企投された人物が役柄に埋没していくのを耽落=Verfallenと読んだ
- 六本木のディスコ、ヴェルファーレの名づけ親はこれを知っていたのかも
- そのうち、役柄を演じている耽落した自分と、本来の自分を、人は区別できなくなってくる
- 多くの人は劇場の舞台の上では大根役者であり、役柄を演じているのに四苦八苦している一方で、役になりきって演じている人を喝采しつつも「ああはなりたくはないね」という態度も取ってしまう

■この世界を健全に生きていくためには「役柄」を演じていることを意識しつつ、演じ続けるしかない
- 世界劇場の舞台がイヤだったら1:舞台を降りる、2:演技をウマくする、3:役を変える、の3つしかない
- 1は死ぬということだし、2、3は出来れば苦労しない
- ということで、大根役者をやり続けなくてはならないのだが、一方で「これは役を演じているに過ぎない」と意識することで気にしなくなる

■世界を変えていくパワーを持っているのは大根役者である
- この世界は理想郷でも健康体でもない・・・つまり世界劇場ということで言えばゼンゼンだめな脚本である
- 花形役者は脚本を変えるインセンティブを持っていない
- この脚本自体を変えていこうという誘引を持っているのは大根役者である

■この世界の中に居残りながらも耽落せずに、いかに内部から世界をよりよい世界に変えていけるか、これが最大の課題である

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