11/29 プロジェクトマネジメントで克つ! 宮田秀明
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■一位を狙うならハイリスク・ハイリターン
- あらゆる気象条件に対応できる設計は安全だが、気象予測が当たっても勝ちを狙いにいけない無難な艇になってしまう
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■中間目標を意識するとだめ・・最終目的に常にアドレスする
- ヨットは船体、セール、舵といろいろな部品があり、それぞればらばらに設計される
- 従って艇全体のコンセプトを明確化しないとブレが出る・・・アメリカズカップ挑戦艇の場合、すべてを「世界一の速さを実現する」というコンセプトで練った
Thursday, November 29, 2007
トヨタ 愚直なる人づくり
11/29 トヨタ 愚直なる人づくり 井上久男
·
■トヨタはなかなか決めない
- 上位下達でやらせることはしない
- 皆が心底納得できるまで議論する
- だから決断は遅いが、実行は早い
·
■社内の様々なネットワークをサポートする仕組みがある
- 入社年次やキャリアや沢山のコミュニティがあって活発に動いている
- その活動が部署を超えたネットワーク作りに貢献している
·
■トヨタの下請けはトヨタ以外にもおろしている
- 例えばアイシン精機やデンソーのトヨタの効験売上げ比率は50%程度であり、海外の企業や国内の競争相手との取引を強化している
- 外販をしっかりやってもらうことでコスト競争力等、甘えを排している
·
■下請けとのライバル関係というところもある
- 例えばプリウスの開発で心臓部となる特殊デバイスについては、自前で開発した
- 愛知県豊田市の広瀬工場ではプリウス関連の電子部品を生産しており、1989年には380人だった従業員は1300人に増えている
- いずれ自動車がハイブリッドが主流になったときに、パソコンメーカーがその付加価値の多くをメモリーとOSの製造業者に取られるようになった事態を、自動車でも起こるのではないか、と心配している
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■トヨタはなかなか決めない
- 上位下達でやらせることはしない
- 皆が心底納得できるまで議論する
- だから決断は遅いが、実行は早い
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■社内の様々なネットワークをサポートする仕組みがある
- 入社年次やキャリアや沢山のコミュニティがあって活発に動いている
- その活動が部署を超えたネットワーク作りに貢献している
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■トヨタの下請けはトヨタ以外にもおろしている
- 例えばアイシン精機やデンソーのトヨタの効験売上げ比率は50%程度であり、海外の企業や国内の競争相手との取引を強化している
- 外販をしっかりやってもらうことでコスト競争力等、甘えを排している
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■下請けとのライバル関係というところもある
- 例えばプリウスの開発で心臓部となる特殊デバイスについては、自前で開発した
- 愛知県豊田市の広瀬工場ではプリウス関連の電子部品を生産しており、1989年には380人だった従業員は1300人に増えている
- いずれ自動車がハイブリッドが主流になったときに、パソコンメーカーがその付加価値の多くをメモリーとOSの製造業者に取られるようになった事態を、自動車でも起こるのではないか、と心配している
Tuesday, November 6, 2007
11/7 デザイン思考の道具箱 奥出直人
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■企業の競争の要諦は効率から創造性に移っている
- 効率を向上させてもiPodのような商品は生まれない
- これまでのMBAで教えている方法論では競争に勝てない
- 創造性を発揮できる企業が勝者になる
- 2006年1月のダボス会議でも創造性がトピックとして扱われ、IDEOの方法論が紹介されたりした
- ビジネスウィークは2005年8月号で、これまで経営戦略では企業は勝者になれなくなったとして、創造性の特集を行っている
- GEのジェフ・イメルトはデザイン思考を企業戦略に取り入れてGEの更なる成長を可能にした
- P&Gはデザインとイノベーションと企業戦略を統括する副社長としてクロウディア・コチャカを抜擢した・・・彼は多くの役員や部長、さらには研究所の科学者たちを解雇し、その一方で商品デザインを行う人を数多く雇い入れ、研究所のスタッフがデザイナーと一緒に仕事をするプロセスに切り替えた
·
■創造性は才能ではなく方法である
- 創造をするプロセスにのっとれば創造性を発揮できる
- 俗人的な才能の問題ではない
- これをいかにマネジメントするかが経営の大きなポイントになる
·
■アメリカズカップの日本チームでテクニカル・ディレクターを務める宮田英明は従来のR&Dに変わる方法論としてR&D&D&Dが必要と述べている
- 宮田氏は東大MOTの教育に関わった
- 著書「プロジェクトマネジメントで克つ!」で創造のプロセスを開陳した
- いわく従来のR&Dではない、Research & Development & Demonstration & Dissemination・・・つまり研究して開発して実証して普及させる、という流れ全体を創造のプロセスとした
·
■例えばポストイットを商品化した3Mの行動原則の中には「試してみよう、なるべく早く」というのがある
- とにかくどんどん作ってみて、どんな使い方が出来るかを試してみる、というのが会社の方針になっている
·
■西堀栄三郎は、発明にはエジソン式発明とラングミア式発明の二つがある、とする
- 西堀は南極越冬隊で有名だが真空管の研究や原子力の研究・開発でも功績を残した人物で、日本の「もの造り」に大きな貢献をした
- 著書「西堀流新製品開発―忍術でもええで」の中で、エジソン式発明=要求が先にあって知識がそれに追従していくというスタイル、ラングミア式発明=知識が先にあってその知識を応用して要求を満たすというスタイル、の二つのアプローチを紹介している
·
■創造のプロセスの中で非常に有効性があるのに抵抗が一方で強いのは「プロトタイピング」である
- スペックが決まってからプロトタイプで検証する、というスタイルをとりたがる企業が多いが、プロトタイプを作って、試行錯誤しながらスペックを決めるほうがはるかに創造性を発揮しやすい
- 空間内部でのシステムを作るプロジェクトで、普段は十分の一の模型からスタートしている企業に、実物大のプロタイプをいきなり作れ、とアドバイスしたところ、非常に大きな抵抗があった
- 本当に簡単なものでかまわない、と説得してホームセンターで買ってきたパイプで枠を組んで実物大の空間を作って見たところ、今までどんな模型でも得られなかった身体感覚が生まれ、作るものも使い方もコンセプトもシャープにイメージできるようになった
·
■デザインの礎には「顧客と同じ目線での実体験」が必要・・・フィールドワークが必須
- フィールドワークはもともと民俗誌=エスノグラフィーの学者が行ってきた方法論
- 民俗誌の中に、特に現象学的社会学=エスノメソドロジーという学問があって、著者はその方法論を用いている
- エスノメソドロジーは特に、人と人のインタラクションを重要視する
- ここでのポイントは参与観察で、つまり対象と距離をおいてただ観察するのではなく、観察する相手の活動にみずから参加することである
- それによって日常のコンテキストを共有しない他者が感じる違和感を切り口に、世界を見ていく
·
■ポイントは、デザイナーやエンジニアが自分で参与すること
- 大変な作業なので専門家に任せたいと思うかも知れないが、違和感を感じるのがデザイナーやエンジニア本人であることに意味がある
- アンケートやインタビューをいくらやっても革新的な商品は生まれない
- ビジネスウィークは前掲の特集で「エスノグラフィーこそこれからの企業に求められている能力である」としている
·
■行動を観察する、というのは実は結構難しい・・・ポイントはドップリ入りこむこと
- 初めてやるといきなりインタビューしたり、ただ漫然と眺めているだけ、になりがち
- 観察する対象を理解するには「自分が変わる」ことが大事・・・自分の経験領域を拡大して観察対象の経験を包含するまで変化していかなくてはいけない
- 第一のポイントは、一回目の観察を大事にすること・・・これをエスノグラフィーでは「First Encounter」と言い、もっとも新鮮な違和感を得られる大事な機会として考えている
- 第二のポイントは、いい師匠を見つけて、師匠に弟子入りする感じになること・・・一挙手一投足を見て「師匠、ここはなぜこうするのですか?」といちいち確認するのが大事
- イチイチ確認するのが非常に大事で、その場で聞かないと違和感も消えてしまうし、なぜ今そうしたのか、という理由付けも師匠の側で思い出せなくなってしまう・・・師匠は結構無意識にいろいろやるものなのだ
- 第三のポイントは、終了後、感覚や記憶が生々しい間に、一気にレポートを書き上げること・・・その際に、出来るだけ生々しい、民俗誌で言う「濃い記述」をこころがける
- この記述により、体験が反省化され、経験が拡大される効果が出る
·
■これからの競争のポイントはマイクロイノベーションの積み重ね
- エジソン式発明とラングミア式発明で言えばエジソン式
- 19世紀後半から20世紀にかけては中央研究所主導で大型のイノベーションを開発し、一発屋的に設けることが主流だった
- しかし、iPodのように4つも5つもの小さなイノベーションをうまく組み合わせることで大きな市場価値をもつ商品を作り出すのが、今後の主流になるだろう
- 3Mは小さなイノベーションをたくさん生み出すことを組織的な仕組みとして内包している
·
■コラボレーションでは「共通の言語」が重要になる
- アメリカ海兵隊の一番のミッションは敵地に上陸して拠点を築くことにある
- このミッションそのものは海軍の仕事と空軍の仕事と陸軍の仕事のすべてに関連するが、陸海空軍が集まっても同じことは出来ない・・・なぜなら彼らには共通の言語がないため、チームワークが取れないからである
- 西堀栄三郎の南極越冬隊では、学者たちを連れて行く前に学者たちをまず雪山でテントを晴らせる訓練をして身体的な場・言語を共有させた
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■企業の競争の要諦は効率から創造性に移っている
- 効率を向上させてもiPodのような商品は生まれない
- これまでのMBAで教えている方法論では競争に勝てない
- 創造性を発揮できる企業が勝者になる
- 2006年1月のダボス会議でも創造性がトピックとして扱われ、IDEOの方法論が紹介されたりした
- ビジネスウィークは2005年8月号で、これまで経営戦略では企業は勝者になれなくなったとして、創造性の特集を行っている
- GEのジェフ・イメルトはデザイン思考を企業戦略に取り入れてGEの更なる成長を可能にした
- P&Gはデザインとイノベーションと企業戦略を統括する副社長としてクロウディア・コチャカを抜擢した・・・彼は多くの役員や部長、さらには研究所の科学者たちを解雇し、その一方で商品デザインを行う人を数多く雇い入れ、研究所のスタッフがデザイナーと一緒に仕事をするプロセスに切り替えた
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■創造性は才能ではなく方法である
- 創造をするプロセスにのっとれば創造性を発揮できる
- 俗人的な才能の問題ではない
- これをいかにマネジメントするかが経営の大きなポイントになる
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■アメリカズカップの日本チームでテクニカル・ディレクターを務める宮田英明は従来のR&Dに変わる方法論としてR&D&D&Dが必要と述べている
- 宮田氏は東大MOTの教育に関わった
- 著書「プロジェクトマネジメントで克つ!」で創造のプロセスを開陳した
- いわく従来のR&Dではない、Research & Development & Demonstration & Dissemination・・・つまり研究して開発して実証して普及させる、という流れ全体を創造のプロセスとした
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■例えばポストイットを商品化した3Mの行動原則の中には「試してみよう、なるべく早く」というのがある
- とにかくどんどん作ってみて、どんな使い方が出来るかを試してみる、というのが会社の方針になっている
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■西堀栄三郎は、発明にはエジソン式発明とラングミア式発明の二つがある、とする
- 西堀は南極越冬隊で有名だが真空管の研究や原子力の研究・開発でも功績を残した人物で、日本の「もの造り」に大きな貢献をした
- 著書「西堀流新製品開発―忍術でもええで」の中で、エジソン式発明=要求が先にあって知識がそれに追従していくというスタイル、ラングミア式発明=知識が先にあってその知識を応用して要求を満たすというスタイル、の二つのアプローチを紹介している
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■創造のプロセスの中で非常に有効性があるのに抵抗が一方で強いのは「プロトタイピング」である
- スペックが決まってからプロトタイプで検証する、というスタイルをとりたがる企業が多いが、プロトタイプを作って、試行錯誤しながらスペックを決めるほうがはるかに創造性を発揮しやすい
- 空間内部でのシステムを作るプロジェクトで、普段は十分の一の模型からスタートしている企業に、実物大のプロタイプをいきなり作れ、とアドバイスしたところ、非常に大きな抵抗があった
- 本当に簡単なものでかまわない、と説得してホームセンターで買ってきたパイプで枠を組んで実物大の空間を作って見たところ、今までどんな模型でも得られなかった身体感覚が生まれ、作るものも使い方もコンセプトもシャープにイメージできるようになった
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■デザインの礎には「顧客と同じ目線での実体験」が必要・・・フィールドワークが必須
- フィールドワークはもともと民俗誌=エスノグラフィーの学者が行ってきた方法論
- 民俗誌の中に、特に現象学的社会学=エスノメソドロジーという学問があって、著者はその方法論を用いている
- エスノメソドロジーは特に、人と人のインタラクションを重要視する
- ここでのポイントは参与観察で、つまり対象と距離をおいてただ観察するのではなく、観察する相手の活動にみずから参加することである
- それによって日常のコンテキストを共有しない他者が感じる違和感を切り口に、世界を見ていく
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■ポイントは、デザイナーやエンジニアが自分で参与すること
- 大変な作業なので専門家に任せたいと思うかも知れないが、違和感を感じるのがデザイナーやエンジニア本人であることに意味がある
- アンケートやインタビューをいくらやっても革新的な商品は生まれない
- ビジネスウィークは前掲の特集で「エスノグラフィーこそこれからの企業に求められている能力である」としている
·
■行動を観察する、というのは実は結構難しい・・・ポイントはドップリ入りこむこと
- 初めてやるといきなりインタビューしたり、ただ漫然と眺めているだけ、になりがち
- 観察する対象を理解するには「自分が変わる」ことが大事・・・自分の経験領域を拡大して観察対象の経験を包含するまで変化していかなくてはいけない
- 第一のポイントは、一回目の観察を大事にすること・・・これをエスノグラフィーでは「First Encounter」と言い、もっとも新鮮な違和感を得られる大事な機会として考えている
- 第二のポイントは、いい師匠を見つけて、師匠に弟子入りする感じになること・・・一挙手一投足を見て「師匠、ここはなぜこうするのですか?」といちいち確認するのが大事
- イチイチ確認するのが非常に大事で、その場で聞かないと違和感も消えてしまうし、なぜ今そうしたのか、という理由付けも師匠の側で思い出せなくなってしまう・・・師匠は結構無意識にいろいろやるものなのだ
- 第三のポイントは、終了後、感覚や記憶が生々しい間に、一気にレポートを書き上げること・・・その際に、出来るだけ生々しい、民俗誌で言う「濃い記述」をこころがける
- この記述により、体験が反省化され、経験が拡大される効果が出る
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■これからの競争のポイントはマイクロイノベーションの積み重ね
- エジソン式発明とラングミア式発明で言えばエジソン式
- 19世紀後半から20世紀にかけては中央研究所主導で大型のイノベーションを開発し、一発屋的に設けることが主流だった
- しかし、iPodのように4つも5つもの小さなイノベーションをうまく組み合わせることで大きな市場価値をもつ商品を作り出すのが、今後の主流になるだろう
- 3Mは小さなイノベーションをたくさん生み出すことを組織的な仕組みとして内包している
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■コラボレーションでは「共通の言語」が重要になる
- アメリカ海兵隊の一番のミッションは敵地に上陸して拠点を築くことにある
- このミッションそのものは海軍の仕事と空軍の仕事と陸軍の仕事のすべてに関連するが、陸海空軍が集まっても同じことは出来ない・・・なぜなら彼らには共通の言語がないため、チームワークが取れないからである
- 西堀栄三郎の南極越冬隊では、学者たちを連れて行く前に学者たちをまず雪山でテントを晴らせる訓練をして身体的な場・言語を共有させた
Wednesday, October 31, 2007
読書日記:トヨタはどうやってレクサスを創ったのか
10/31 トヨタはどうやってレクサスを創ったのか 髙木晴夫
·
■ヨーロッパという市場の切り方は日本独自・・・ヨーロッパという国はない
- レクサスはイギリスでは成功しているがドイツではさっぱり
- ヨーロッパという切り口では活路は見えない
·
■過去の数値分析から未来は見えない・・・受動的に動くより未来をつくるべき
- 92~93年当時の各種のデータを使って、既に答えを知っている95年時点の変化を予測できたか、ということを分析して見たが答えは不可能だった・・・未来に起こる市場の変化を先取りは出来ない
- 予兆を捉え、それをもとにして顧客の期待を超えるものを出していく、しかない
·
■トヨタの高級車はシニア層とともに加齢化しつつある
- 高級車市場を輪切りにするとクラウンはそれなりのシェアがあるが、顧客が50代・60代ばかり
- 一方でBMWやベンツは30~40代の若い成功者に支持されている
- このまま行けば高級車市場での顧客はどんどん目減りする
·
■トヨタは販売戦略に関して全体最適を意識しない
- 隙間のあるエリアがあれば小規模のディーラーを出して、エリアを埋める
- トヨタのディーラー間で競合することもよしとする
- 各ディーラーが自己本位に動いて、部分最適化していくことによって結局は売り上げが最大化される(はず)という考え方をとる
·
■顧客満足度に関しては、満点の5点の比率を重視する
- 平均点とかは見ない
·
■ヨーロッパという市場の切り方は日本独自・・・ヨーロッパという国はない
- レクサスはイギリスでは成功しているがドイツではさっぱり
- ヨーロッパという切り口では活路は見えない
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■過去の数値分析から未来は見えない・・・受動的に動くより未来をつくるべき
- 92~93年当時の各種のデータを使って、既に答えを知っている95年時点の変化を予測できたか、ということを分析して見たが答えは不可能だった・・・未来に起こる市場の変化を先取りは出来ない
- 予兆を捉え、それをもとにして顧客の期待を超えるものを出していく、しかない
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■トヨタの高級車はシニア層とともに加齢化しつつある
- 高級車市場を輪切りにするとクラウンはそれなりのシェアがあるが、顧客が50代・60代ばかり
- 一方でBMWやベンツは30~40代の若い成功者に支持されている
- このまま行けば高級車市場での顧客はどんどん目減りする
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■トヨタは販売戦略に関して全体最適を意識しない
- 隙間のあるエリアがあれば小規模のディーラーを出して、エリアを埋める
- トヨタのディーラー間で競合することもよしとする
- 各ディーラーが自己本位に動いて、部分最適化していくことによって結局は売り上げが最大化される(はず)という考え方をとる
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■顧客満足度に関しては、満点の5点の比率を重視する
- 平均点とかは見ない
Tuesday, October 30, 2007
読書日記:オルフェウス・プロセス
10/31 オルフェウス・プロセス ハーヴェイ・セイフター
端的に言って検証が乱暴。指揮者不在という仕組みがいいのだ、という結論があって、その結論を補強するためにいろいろと材料を集めたという感が強いが、切れ味が悪い。
例えば、指揮者がいるオーケストラに居た奏者を取り上げて「つらい体験だった、二度と味わいたくない」といったコメントを紹介しているが、一般化するにはサンプル数が少なすぎるし、そもそもウィーンフィルやベルリンフィルといった世界の名だたるオーケストラの団員は皆不満なのだと考えるのは無理がある。
このオーケストラで原始共産主義的な意思決定が機能しているのは実に単純で人数が少ないからである。総勢で27名のオーケストラに指揮者がいなくて機能している、スゴイ!と驚いているが27名であればトップはいなくても機能するだろう。大きな会社になれば取締役会は30名くらいにはなる。この30名が合議的に意思決定をしているとしたらその会社にはヒエラルキーが無いことになるのかといったらそうはなるまい。
ヒエラルキーを設定するのはコストの重複を避けるためである。1万人の会社で経営方針を決定するのに1万人が議論に参加したらその会社は成り立つまい。決める人と執行する人を分けるのは作業の重複を避けるためであって、27人のオーケストラであればなんとかなることを1万人の会社に適用できるとは思えない。
加えれば、オーケストラというのはミッションが非常に単純で、要はいい演奏をしてお金をもうけることがその目的だが、企業というのは往々にして目的やミッションが股裂きになるケースがあって、そういう場合にもおそらく機能しないだろう。
最近「ヒトデはクモよりなぜ強い」とか、ヒエラルキー不在の組織に関する論考が多く出されているが、そのどれもがまともな経営論として扱うレベルに達していない。
この本も、組織論を専門に勉強している学生とかならまだしも、プロのコンサルタントが読んで学びがあるレベルにまだ達していないと思う。
端的に言って検証が乱暴。指揮者不在という仕組みがいいのだ、という結論があって、その結論を補強するためにいろいろと材料を集めたという感が強いが、切れ味が悪い。
例えば、指揮者がいるオーケストラに居た奏者を取り上げて「つらい体験だった、二度と味わいたくない」といったコメントを紹介しているが、一般化するにはサンプル数が少なすぎるし、そもそもウィーンフィルやベルリンフィルといった世界の名だたるオーケストラの団員は皆不満なのだと考えるのは無理がある。
このオーケストラで原始共産主義的な意思決定が機能しているのは実に単純で人数が少ないからである。総勢で27名のオーケストラに指揮者がいなくて機能している、スゴイ!と驚いているが27名であればトップはいなくても機能するだろう。大きな会社になれば取締役会は30名くらいにはなる。この30名が合議的に意思決定をしているとしたらその会社にはヒエラルキーが無いことになるのかといったらそうはなるまい。
ヒエラルキーを設定するのはコストの重複を避けるためである。1万人の会社で経営方針を決定するのに1万人が議論に参加したらその会社は成り立つまい。決める人と執行する人を分けるのは作業の重複を避けるためであって、27人のオーケストラであればなんとかなることを1万人の会社に適用できるとは思えない。
加えれば、オーケストラというのはミッションが非常に単純で、要はいい演奏をしてお金をもうけることがその目的だが、企業というのは往々にして目的やミッションが股裂きになるケースがあって、そういう場合にもおそらく機能しないだろう。
最近「ヒトデはクモよりなぜ強い」とか、ヒエラルキー不在の組織に関する論考が多く出されているが、そのどれもがまともな経営論として扱うレベルに達していない。
この本も、組織論を専門に勉強している学生とかならまだしも、プロのコンサルタントが読んで学びがあるレベルにまだ達していないと思う。
Monday, October 29, 2007
読書日記:人が育つ会社をつくる
10/30 人が育つ会社をつくる 高橋俊介
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■調査によれば、同年代の社員が多いほど、成長実感も大きいという明確な結果が出ている
- キャリアラボの調査
- 直属上司に育成責任を負わせるのは無理がある
·
■中国での日本企業の不人気は「人材育成に不熱心」というのが理由
·
■20代の社員が、いまの会社に居続けようと思うのは下記の3つの理由が大きい
- いまの仕事の充実感
- いまの仕事を続けることによる、今後の成長の可能性
- いまの会社で将来のキャリアがイメージできるか
·
■新人よりも2~3年目の社員の方が成長実感を持たせるのが難しい
·
■IT化によって仕事がブラックボックス化したことで、上司の仕事を見て盗む、という成長機会が少なくなってしまった
·
■GEやデルは90年代に全社的にコーチングを導入したが、一番最初にまず社長がコーチングを体験し、重要性を学んだ
·
■「顧客から評価されたとき」がもっとも成長実感を感じやすい
- その他に「仕事で具体的な成果が出たとき」
- それに対して「上司・先輩から評価されたとき」は低い
·
■よいキャリアは下記の4つの条件を満たす
- 日々の仕事で動機を活用している
- 自分の仕事の意味づけが明快に出来ている
- 中長期的な成長実感がある
- 人生全体の充実とバランスが取れている
·
■調査によれば、同年代の社員が多いほど、成長実感も大きいという明確な結果が出ている
- キャリアラボの調査
- 直属上司に育成責任を負わせるのは無理がある
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■中国での日本企業の不人気は「人材育成に不熱心」というのが理由
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■20代の社員が、いまの会社に居続けようと思うのは下記の3つの理由が大きい
- いまの仕事の充実感
- いまの仕事を続けることによる、今後の成長の可能性
- いまの会社で将来のキャリアがイメージできるか
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■新人よりも2~3年目の社員の方が成長実感を持たせるのが難しい
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■IT化によって仕事がブラックボックス化したことで、上司の仕事を見て盗む、という成長機会が少なくなってしまった
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■GEやデルは90年代に全社的にコーチングを導入したが、一番最初にまず社長がコーチングを体験し、重要性を学んだ
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■「顧客から評価されたとき」がもっとも成長実感を感じやすい
- その他に「仕事で具体的な成果が出たとき」
- それに対して「上司・先輩から評価されたとき」は低い
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■よいキャリアは下記の4つの条件を満たす
- 日々の仕事で動機を活用している
- 自分の仕事の意味づけが明快に出来ている
- 中長期的な成長実感がある
- 人生全体の充実とバランスが取れている
Monday, October 22, 2007
読書日記:日本人のための宗教原論
10/23 日本人のための宗教原論 小室直樹
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■宗教をわからないと痛い目にあう
- 仏教では地獄はないことになっている・・・オウムは仏教を標榜しているのに、地獄に落ちる、と言い募った段階で「あ、これはインチキだ」と思わないといけない
- 仏教は実在論を否定する・・・人間の心の外に実在するものは何も無い・・・これが仏教の入門の初歩の初歩であるとともに極意であり蘊奥でもある
·
■マックスウェーバーは宗教を「エトス」と定義した
·
■世の中には啓典宗教とそうでないものがある
- ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は啓典宗教である
- 仏教、儒教、ヒンドゥ教はそうでない
·
■個人救済という側面でも分けられる
- キリスト教、仏教、イスラム教は個人救済の宗教である
- ユダヤ教、儒教は集団救済である
- 儒教のイデオロギーは「政治万能主義」である・・・良い政治は経済も文化も人心も何もかも救う・・・それどころか作物も育ち、イナゴは来なくなり、鳳凰や龍が飛んできて挨拶する
- 一方で個人の救済はまったくしない・・・例えば孔子の高弟である顔回は、孔門十哲の筆頭で、学問・徳の高さに秀でていたが、米のカスも食べられないほどの困窮に陥り、ついには病に倒れてしまう・・・この彼に、孔子は「嫌な世の中だよね」と嘆くだけ・・・そこで「政治をよくしなければ」と来る・・・そうクルか!
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■仏教には天地創造という概念が無い・・・従って終末論もまた無い
- 仏教を持ち出しておいてハルマゲドンとか終末とか連呼しているのはバカ
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■仏教では悟りを開いた人はもう生まれ変わらない・・・生まれ変わるのは業があるから・・・カルマがあるからである
- 釈迦のように悟りを開いた人はカルマをきれいになくしたわけだから、もはや生まれ変わらない
- したがってよくいる「釈迦の生まれ変わり」というのは絶対にウソである
·
■良い状態・理想状態を明確に規定しないところにイデオロギーの妙味がある
- キリスト教は単に「神の国」というだけで、それがどんなものかを具体的には言わない・・・言わないことで勝手に各自が理想的なものを考える
- これはマルクスが「社会主義」を宣言して、労働者が七転八倒しているのは資本主義のせいであり、これを打倒しろと説いたが、打倒したら具体的にどうなるのか、ということについては明言を避けている
·
■キリスト教はキリストの教えだが、仏教は釈迦の教えではない
- 仏教の教えはダルマ=法のこと
- ダルマは慣例、風習、義務、法律、心理、教説など、さまざまな法則を指す
- 釈迦が発見しまいと発見しようと、ダルマは存在する
- だから釈迦の教えが正しいのは、ダルマを発見・理解した人だからであって、教えそのものは釈迦から出たものではない・・・これを法前仏後という
- キリスト教では、何よりまず神が最初にある・・・そして神が説いた神の教えがある・・・つまり神前法後である
·
■日本人は、建前と本音を、何の苦も無く使い分けられる
- 米国では進化論を教えた教師が罷免されるなど、キリスト教のファンダメンタリストは非常に厳格に聖書の記述を信じている
- 太平洋戦争で捕虜になった日本人に米国は進化論から教えた・・・なぜ特攻などが出来るのか、という分析の結果、日本人は天皇を現人神と信じているからだということがわかった・・・そこで人の子孫はサルであって太陽ではない、ということを教えようとした
- ところが教えられた日本人は「進化論?知っている」と答えた・・・これにアメリカ人は非常に驚いた・・・なぜ現人神を信じている人が科学としての進化論も受け入れているのか?矛盾ではないか!ということである
- しかし当の日本人にしてみれば矛盾も何も考えない、アレはアレ、コレはコレということで、どうもアメリカ人には理解できなかったらしい
·
■仏教の啓典は誰でも作ることが出来た
- 如是我聞(にょぜがもん 私はこのように釈迦から聞いた)とアタマにつければ、なんでもお経になった
- 仏教の正典がきめられていない理由がいくつかあるが、一つには釈迦の親切であると証明されたものは何一つ無いことである
- じゃあクソミソかというとそうではなくて法華経や般若経などのいわゆる大乗仏典は、みんな後世の創作であることがわかっている・・・これらのものはインドの超一流の哲学者、宗教家が、いろいろあるなかから「これはまあよかろう」ということで選んだもの
·
■空とは無のことではない、いわんや有のことでもない
- 空観(空の理論)は形式論理学を否定した一種の超論理学である
- 空は虚無と同一視するのは間違い
- 神はあり、また無い・・・これが空である・・・形式論理学ではこの命題が両立することは無い
- ユークリッド幾何学における点と線みたいなもの・・・・図面の上の点は広さを持たないが、厳密には広さを持たない点などもちろんありえない・・・太さを持たない線もしかり・・・では面積があるかといえば、無い・・・では無いかといえば点としてあり、線としてある・・・幾何学における点や線を有るか無いかで議論できない
·
■イスラム教国・教徒は今後も増えるだろう
- イスラム教は大変わかりやすく、効験あらたかな宗教である
- 歴史上、イスラム教化した国が仏教に変わったということは無いが、逆はたくさんある・・・西域(シルクロード)諸国は、昔はみな仏教国だったのにみんなイスラム教に改宗した
·
■イスラム教で、異教徒と戦って死んだ人=聖戦(ジハード)で戦死した人は死んだことにならない
·
■パウロはキリスト教の最重要人物の一人だが、最大の功績は内面と外面の区分をおこなったことである
- 外面的にはどうであれ、内面で信じていればぜんぜんOKとした
- このためにローマ支配化でローマの法律には面従していながら、内面はキリストを信じる、という信仰のあり方が可能になった
- これがなければキリスト教は滅びていただろうとマックス・ヴェーバーは言っている
·
■中国の科挙制度が長く続いた背景には宦官制度がある
- 官僚制が機能するためには官僚制と競合するカウンターバランスシステムが居る
- 中国においては科挙のみに基づいた官僚制が千年近くも続いた
- そのカウンターシステムとは宦官のことである
·
■夫婦別姓が問題になっているが、こんなの明治に人が作った制度でしかない
- 明治23年以前は別姓が当たり前だった
·
■戦後日本の精神的荒廃=アノミーは連帯の喪失にもとづく
- まず昭和30年代から村落共同体が、高度経済成長がスタートするとともに徐々に崩れていって昭和40年代にもうなくなってしまった
- それを収束させたのが左翼運動と会社だった
- いまの日本のカルト宗教、教団は、その信者たちのアノミー救済のために機能している
- アノミーはフランスの社会学者エミール・デュルケムの用語で、普通は「無規範」とか「無秩序」と約すが、それはむしろアノミーがもたらす結果であって、言葉としては「無連帯」というのが近い・・・人と人を結びつける連体が失われ、人々は孤独・不安・凶暴になり社会をさまよう
- 終身雇用や年功序列はもともとは日本の経営にはなかったが、このアノミー状態を収束させていく昭和30年くらいからスタンダードになった
- 安保闘争というのも、要するにイデオロギー的な問題ではなく、皆で「わっしょいわっしょい」と騒ぎたい、そうやって連帯を感じて安心したい、というだけの話である
- カリスマ、という言葉はもともとマックス・ヴェーバーの言葉で、原義は「神の恩寵」である・・・人そのものがカリスマではない・・・そしてソ連はスターリンのカリスマ化に成功したから大躍進した
- ところがその後、ソ連は大失敗を犯してしまう・・・・スターリン批判によりスターリンのカリスマをめちゃくちゃにしたことでソ連をアノミーに陥らせたのだ
·
■宗教をわからないと痛い目にあう
- 仏教では地獄はないことになっている・・・オウムは仏教を標榜しているのに、地獄に落ちる、と言い募った段階で「あ、これはインチキだ」と思わないといけない
- 仏教は実在論を否定する・・・人間の心の外に実在するものは何も無い・・・これが仏教の入門の初歩の初歩であるとともに極意であり蘊奥でもある
·
■マックスウェーバーは宗教を「エトス」と定義した
·
■世の中には啓典宗教とそうでないものがある
- ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は啓典宗教である
- 仏教、儒教、ヒンドゥ教はそうでない
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■個人救済という側面でも分けられる
- キリスト教、仏教、イスラム教は個人救済の宗教である
- ユダヤ教、儒教は集団救済である
- 儒教のイデオロギーは「政治万能主義」である・・・良い政治は経済も文化も人心も何もかも救う・・・それどころか作物も育ち、イナゴは来なくなり、鳳凰や龍が飛んできて挨拶する
- 一方で個人の救済はまったくしない・・・例えば孔子の高弟である顔回は、孔門十哲の筆頭で、学問・徳の高さに秀でていたが、米のカスも食べられないほどの困窮に陥り、ついには病に倒れてしまう・・・この彼に、孔子は「嫌な世の中だよね」と嘆くだけ・・・そこで「政治をよくしなければ」と来る・・・そうクルか!
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■仏教には天地創造という概念が無い・・・従って終末論もまた無い
- 仏教を持ち出しておいてハルマゲドンとか終末とか連呼しているのはバカ
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■仏教では悟りを開いた人はもう生まれ変わらない・・・生まれ変わるのは業があるから・・・カルマがあるからである
- 釈迦のように悟りを開いた人はカルマをきれいになくしたわけだから、もはや生まれ変わらない
- したがってよくいる「釈迦の生まれ変わり」というのは絶対にウソである
·
■良い状態・理想状態を明確に規定しないところにイデオロギーの妙味がある
- キリスト教は単に「神の国」というだけで、それがどんなものかを具体的には言わない・・・言わないことで勝手に各自が理想的なものを考える
- これはマルクスが「社会主義」を宣言して、労働者が七転八倒しているのは資本主義のせいであり、これを打倒しろと説いたが、打倒したら具体的にどうなるのか、ということについては明言を避けている
·
■キリスト教はキリストの教えだが、仏教は釈迦の教えではない
- 仏教の教えはダルマ=法のこと
- ダルマは慣例、風習、義務、法律、心理、教説など、さまざまな法則を指す
- 釈迦が発見しまいと発見しようと、ダルマは存在する
- だから釈迦の教えが正しいのは、ダルマを発見・理解した人だからであって、教えそのものは釈迦から出たものではない・・・これを法前仏後という
- キリスト教では、何よりまず神が最初にある・・・そして神が説いた神の教えがある・・・つまり神前法後である
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■日本人は、建前と本音を、何の苦も無く使い分けられる
- 米国では進化論を教えた教師が罷免されるなど、キリスト教のファンダメンタリストは非常に厳格に聖書の記述を信じている
- 太平洋戦争で捕虜になった日本人に米国は進化論から教えた・・・なぜ特攻などが出来るのか、という分析の結果、日本人は天皇を現人神と信じているからだということがわかった・・・そこで人の子孫はサルであって太陽ではない、ということを教えようとした
- ところが教えられた日本人は「進化論?知っている」と答えた・・・これにアメリカ人は非常に驚いた・・・なぜ現人神を信じている人が科学としての進化論も受け入れているのか?矛盾ではないか!ということである
- しかし当の日本人にしてみれば矛盾も何も考えない、アレはアレ、コレはコレということで、どうもアメリカ人には理解できなかったらしい
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■仏教の啓典は誰でも作ることが出来た
- 如是我聞(にょぜがもん 私はこのように釈迦から聞いた)とアタマにつければ、なんでもお経になった
- 仏教の正典がきめられていない理由がいくつかあるが、一つには釈迦の親切であると証明されたものは何一つ無いことである
- じゃあクソミソかというとそうではなくて法華経や般若経などのいわゆる大乗仏典は、みんな後世の創作であることがわかっている・・・これらのものはインドの超一流の哲学者、宗教家が、いろいろあるなかから「これはまあよかろう」ということで選んだもの
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■空とは無のことではない、いわんや有のことでもない
- 空観(空の理論)は形式論理学を否定した一種の超論理学である
- 空は虚無と同一視するのは間違い
- 神はあり、また無い・・・これが空である・・・形式論理学ではこの命題が両立することは無い
- ユークリッド幾何学における点と線みたいなもの・・・・図面の上の点は広さを持たないが、厳密には広さを持たない点などもちろんありえない・・・太さを持たない線もしかり・・・では面積があるかといえば、無い・・・では無いかといえば点としてあり、線としてある・・・幾何学における点や線を有るか無いかで議論できない
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■イスラム教国・教徒は今後も増えるだろう
- イスラム教は大変わかりやすく、効験あらたかな宗教である
- 歴史上、イスラム教化した国が仏教に変わったということは無いが、逆はたくさんある・・・西域(シルクロード)諸国は、昔はみな仏教国だったのにみんなイスラム教に改宗した
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■イスラム教で、異教徒と戦って死んだ人=聖戦(ジハード)で戦死した人は死んだことにならない
·
■パウロはキリスト教の最重要人物の一人だが、最大の功績は内面と外面の区分をおこなったことである
- 外面的にはどうであれ、内面で信じていればぜんぜんOKとした
- このためにローマ支配化でローマの法律には面従していながら、内面はキリストを信じる、という信仰のあり方が可能になった
- これがなければキリスト教は滅びていただろうとマックス・ヴェーバーは言っている
·
■中国の科挙制度が長く続いた背景には宦官制度がある
- 官僚制が機能するためには官僚制と競合するカウンターバランスシステムが居る
- 中国においては科挙のみに基づいた官僚制が千年近くも続いた
- そのカウンターシステムとは宦官のことである
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■夫婦別姓が問題になっているが、こんなの明治に人が作った制度でしかない
- 明治23年以前は別姓が当たり前だった
·
■戦後日本の精神的荒廃=アノミーは連帯の喪失にもとづく
- まず昭和30年代から村落共同体が、高度経済成長がスタートするとともに徐々に崩れていって昭和40年代にもうなくなってしまった
- それを収束させたのが左翼運動と会社だった
- いまの日本のカルト宗教、教団は、その信者たちのアノミー救済のために機能している
- アノミーはフランスの社会学者エミール・デュルケムの用語で、普通は「無規範」とか「無秩序」と約すが、それはむしろアノミーがもたらす結果であって、言葉としては「無連帯」というのが近い・・・人と人を結びつける連体が失われ、人々は孤独・不安・凶暴になり社会をさまよう
- 終身雇用や年功序列はもともとは日本の経営にはなかったが、このアノミー状態を収束させていく昭和30年くらいからスタンダードになった
- 安保闘争というのも、要するにイデオロギー的な問題ではなく、皆で「わっしょいわっしょい」と騒ぎたい、そうやって連帯を感じて安心したい、というだけの話である
- カリスマ、という言葉はもともとマックス・ヴェーバーの言葉で、原義は「神の恩寵」である・・・人そのものがカリスマではない・・・そしてソ連はスターリンのカリスマ化に成功したから大躍進した
- ところがその後、ソ連は大失敗を犯してしまう・・・・スターリン批判によりスターリンのカリスマをめちゃくちゃにしたことでソ連をアノミーに陥らせたのだ
Sunday, October 21, 2007
インターネットは民主主義の敵か
10/23 インターネットは民主主義の敵か キャス・サンスティーン
ハっとさせられることの多い本でした。
ポイントは インターネットは必ずしも民主主義の味方ではない ということで、そのココロは
:膨大な情報のオーバーフローがおきる
:全部処理できない以上、何らかのフィルタリングが必要になる
:フィルタリングによって「自分にとって新しい意見」「自分とは合わない意見」を阻害する
:意見が同じ人が集団化することで社会の多様性が失われていく
:多様性の認識・受容は討議性民主主義の根幹を成す
ということである。
実はこの主張は本書の最初の20ページと最後の20ページに実に簡潔にまとめられているので、 急いでいる人はそこだけ読めばいいかも。
·
■民主制度は広範な共通体験と多様な話題や考え方への思いがけない接触を必要とする
- 各自が前もって見たいもの、見たくないものを決めるシステムは、民主主義を危うくするものに見えるだろう
- 考え方の似たもの同士がもっぱら隔離された場所で交流しているだけでは、社会分裂と相互の誤解がおこりやすくなる
·
■良質の日刊紙、または夜のTVニュース番組の真の強みは未知なものへの出会いと準拠枠の提供にある
- 読者・視聴者に広範な話題や意見に出会うことを可能にすることにある
- 何百万人もの人が共有する枠組みを作る
·
■共通体験は社会をつなぎとめる接着剤の役割を果たす
- 混合型社会で社会問題に手をつけようというとき、共有体験がなければどうしようもない
- 社会の成員同士が理解できないかもしれない
·
■アメリカにおいては「自由の最大の敵」は「消極性」である
- 最高裁判事であったルイ・ブランダイスはこう書く
- 我々の自由を勝ち取った先達は、国家の最終目標は人間を自由にして才能を発揮させること、と信じていた。また、施政においては、話し合いによる力が恣意的なものを抑えるとも信じていた・・・・自由な言論と集会なしには議論は不毛になる・・・と信じた・・・自由の最大の敵は消極的な国民である。公開議論は政治的義務である。これはアメリカ政府の根本的な原理である
·
■フィルタリングはネットだけじゃない
- つきつめてみれば、どの新聞を読むか、どの番組を見るかもフィルタリング
·
■ネットは多様性を押し広げる役割も持つ
- 好奇心に基づいて新たな知の探索を可能にする
- 情報を探す人には多様性をもたらすが、情報がもたらせることだけを求める人にとっては多様性を排除する方向に働く
·
■しかし一般的に情報がオーバーフローした状態では、人は自分と同じ意見を聞きたがる
- 白人の人気テレビ番組十傑とアフリカ系アメリカ人の十傑を比べると、両方のリストに顔を出す番組はほとんど無い
- アフリカ系アメリカ人のトップテンのうち7つの番組が、白人の間では「もっとも」不人気な番組のランキングで上位に入っている
- リンクの調査に関しても同様で、同じような見解・政治的な立場の意見があるHPばかりリンクが張られ、逆の立場のHPにはリンクが張られていない
·
■言論の自由は、贅沢品ではなく、必需品である
- 貧困国あるいは社会や経済の問題で苦しんでいる国々においては、経済成長と国民の衣食住の充実が優先課題であって、民主主義の奨励・言論の自由は後回しにされるべきだ、という意見があるが、これは見当違いである
- 経済学者アマーティア・センの研究によると、世界史の中で民主的な報道機関と自由な選挙制度を持つ体制に飢饉が起こったことは無い
- センが実証する出発点は、飢饉は食料不足の必然的な結果ではなく、社会的な構造が生み出した産物である、ということである
·
■祝日はこの「思いもかけないテーマとの出会い」のために存在する
- 祝日は本来、国民にとって重大な出来事を皆で一緒に考えることでっ国づくりの手助けにするためにある
- 加えて、祝日には多様な人々が共通の思い出・関心を持つことを促進する
·
■選択肢の縮小は必ずしも抵抗をもたらすわけではない
- 社会学者のジョン・エルスターはすっぱい葡萄のたとえをもって説明する
- 選択肢が狭められると、失ったものについての選好が減少することがある
ハっとさせられることの多い本でした。
ポイントは インターネットは必ずしも民主主義の味方ではない ということで、そのココロは
:膨大な情報のオーバーフローがおきる
:全部処理できない以上、何らかのフィルタリングが必要になる
:フィルタリングによって「自分にとって新しい意見」「自分とは合わない意見」を阻害する
:意見が同じ人が集団化することで社会の多様性が失われていく
:多様性の認識・受容は討議性民主主義の根幹を成す
ということである。
実はこの主張は本書の最初の20ページと最後の20ページに実に簡潔にまとめられているので、 急いでいる人はそこだけ読めばいいかも。
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■民主制度は広範な共通体験と多様な話題や考え方への思いがけない接触を必要とする
- 各自が前もって見たいもの、見たくないものを決めるシステムは、民主主義を危うくするものに見えるだろう
- 考え方の似たもの同士がもっぱら隔離された場所で交流しているだけでは、社会分裂と相互の誤解がおこりやすくなる
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■良質の日刊紙、または夜のTVニュース番組の真の強みは未知なものへの出会いと準拠枠の提供にある
- 読者・視聴者に広範な話題や意見に出会うことを可能にすることにある
- 何百万人もの人が共有する枠組みを作る
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■共通体験は社会をつなぎとめる接着剤の役割を果たす
- 混合型社会で社会問題に手をつけようというとき、共有体験がなければどうしようもない
- 社会の成員同士が理解できないかもしれない
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■アメリカにおいては「自由の最大の敵」は「消極性」である
- 最高裁判事であったルイ・ブランダイスはこう書く
- 我々の自由を勝ち取った先達は、国家の最終目標は人間を自由にして才能を発揮させること、と信じていた。また、施政においては、話し合いによる力が恣意的なものを抑えるとも信じていた・・・・自由な言論と集会なしには議論は不毛になる・・・と信じた・・・自由の最大の敵は消極的な国民である。公開議論は政治的義務である。これはアメリカ政府の根本的な原理である
·
■フィルタリングはネットだけじゃない
- つきつめてみれば、どの新聞を読むか、どの番組を見るかもフィルタリング
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■ネットは多様性を押し広げる役割も持つ
- 好奇心に基づいて新たな知の探索を可能にする
- 情報を探す人には多様性をもたらすが、情報がもたらせることだけを求める人にとっては多様性を排除する方向に働く
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■しかし一般的に情報がオーバーフローした状態では、人は自分と同じ意見を聞きたがる
- 白人の人気テレビ番組十傑とアフリカ系アメリカ人の十傑を比べると、両方のリストに顔を出す番組はほとんど無い
- アフリカ系アメリカ人のトップテンのうち7つの番組が、白人の間では「もっとも」不人気な番組のランキングで上位に入っている
- リンクの調査に関しても同様で、同じような見解・政治的な立場の意見があるHPばかりリンクが張られ、逆の立場のHPにはリンクが張られていない
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■言論の自由は、贅沢品ではなく、必需品である
- 貧困国あるいは社会や経済の問題で苦しんでいる国々においては、経済成長と国民の衣食住の充実が優先課題であって、民主主義の奨励・言論の自由は後回しにされるべきだ、という意見があるが、これは見当違いである
- 経済学者アマーティア・センの研究によると、世界史の中で民主的な報道機関と自由な選挙制度を持つ体制に飢饉が起こったことは無い
- センが実証する出発点は、飢饉は食料不足の必然的な結果ではなく、社会的な構造が生み出した産物である、ということである
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■祝日はこの「思いもかけないテーマとの出会い」のために存在する
- 祝日は本来、国民にとって重大な出来事を皆で一緒に考えることでっ国づくりの手助けにするためにある
- 加えて、祝日には多様な人々が共通の思い出・関心を持つことを促進する
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■選択肢の縮小は必ずしも抵抗をもたらすわけではない
- 社会学者のジョン・エルスターはすっぱい葡萄のたとえをもって説明する
- 選択肢が狭められると、失ったものについての選好が減少することがある
Tuesday, October 16, 2007
映画日記:俺たちに明日は無い
現代は「ボニー&クライド」
銀行強盗をやりながら逃避行をする二人+その仲間たち。
最後には銀行強盗から足をあらって全うな生き方を志向するものの、
過去は清算できず。
結局は、警官隊に待ち伏せをされて機関銃で惨殺される、
という救いの無いストーリー。
わくわくもしないしはらはらもしない。ただ、ずるずると「贅沢はしたいけど
学歴もないし働く気もない、なんとなくこの田舎町がいやだ」ということ
から強盗を繰り返しているうちに、逃げるために次々に人を殺さざるを
得ない状況に陥っていく様が描かれるところがやりきれない。
本人たちは、気のいい連中で、強盗はするものの人を傷つけるつもりは
まったくない。だから、逃げるために衝動的に犯した殺人を、ものすごく
後悔したりする。
映画の途中、田舎に残してきた母親の家に逃げ込むシーンがある。
そこで「一段落したらみんなで一緒に暮らそう」というボニーに対して、
母親が無表情に「人を殺したんでしょう。もうアンタラには落ち着ける
ところなんてないよ。一生逃げるしかないんだよ。さようなら」と告げて、
去っていくシーンが非常に印象的。
この時代、明日に向かって撃てとか卒業とか真夜中のカウボーイとか、
見終わると救いの無い絶望感にさいなまれる映画がたくさんヒットした
けど、これって時代の申し子なのかしら?
明日に向かって撃てとかこの映画は、
:調子いいことをやって調子よく生きている
:この先もどんどんそれをやっていこう
と思っているうちに引き返せない袋小路に入っていることに気づいた、
という展開の映画であるが、そういう警告を世の中に出したかったのか??
よくわからん。
銀行強盗をやりながら逃避行をする二人+その仲間たち。
最後には銀行強盗から足をあらって全うな生き方を志向するものの、
過去は清算できず。
結局は、警官隊に待ち伏せをされて機関銃で惨殺される、
という救いの無いストーリー。
わくわくもしないしはらはらもしない。ただ、ずるずると「贅沢はしたいけど
学歴もないし働く気もない、なんとなくこの田舎町がいやだ」ということ
から強盗を繰り返しているうちに、逃げるために次々に人を殺さざるを
得ない状況に陥っていく様が描かれるところがやりきれない。
本人たちは、気のいい連中で、強盗はするものの人を傷つけるつもりは
まったくない。だから、逃げるために衝動的に犯した殺人を、ものすごく
後悔したりする。
映画の途中、田舎に残してきた母親の家に逃げ込むシーンがある。
そこで「一段落したらみんなで一緒に暮らそう」というボニーに対して、
母親が無表情に「人を殺したんでしょう。もうアンタラには落ち着ける
ところなんてないよ。一生逃げるしかないんだよ。さようなら」と告げて、
去っていくシーンが非常に印象的。
この時代、明日に向かって撃てとか卒業とか真夜中のカウボーイとか、
見終わると救いの無い絶望感にさいなまれる映画がたくさんヒットした
けど、これって時代の申し子なのかしら?
明日に向かって撃てとかこの映画は、
:調子いいことをやって調子よく生きている
:この先もどんどんそれをやっていこう
と思っているうちに引き返せない袋小路に入っていることに気づいた、
という展開の映画であるが、そういう警告を世の中に出したかったのか??
よくわからん。
10/17 なぜデザインなのか。 原研哉 阿部雅世
·
■デザインはそもそも権力・パワーの誇示が目的だった
- デザインはフリルじゃないといわれるけど歴史的には98%フリルだった
- 装飾こそがデザイン、という考え方
- プレーンな青銅器とかは無いわけ
- 村とか国とか、共同体を維持するための求心力を表象するものが必要
- 稠密な文様とか複雑な模様は、修練を積んだ人が膨大な時間をかけないと出来ない・・・・
·
■デザイン、という言葉が矮小化されつつある
- そもそもものづくりの知恵を表す言葉
- だから「デザイン家電」なんていう言葉は、短絡的な消費主義的発送が見えて浅くて悲しい
·
■脳が考えたことをそのまま表面に出すこと・・これがドローイングの訓練
- 恥を忘れることが大事
- バウハウスのヨハネス・イッテンは造形体操で、体が作り出してしまう、しでかしてしまう表現をそのまま表出させる訓練をさせた
- これは、恥の意識でフィルターをかけることを取り除く訓練
·
■新聞を季節で衣替えさせてもいい
- 見出しや罫線、本文の書体を涼しげなものと暖かいものを用意して季節に応じて使い分ける
- 夏はタイトルに朝顔がまきつき、冬は雪が積もったりツララがたれたりする
·
■あるべき状態でデザインされるべき
- タバコやチューインガムのパッケージなんてくしゃくしゃになっている状態を目にすることのほうが多いのに、そういう状態を想定したデザインがされていない
- ブルーノ・ムナーリは料理用のへらとか靴のかかとは最初から磨り減った形にデザインしておくのが正しい、と言っている
- 磨り減った、のではなく成熟した状態という考え方
- ポスターをデザインするときは、実際に施策を壁に貼ってみたりバス停にある状態にしてみてそれを写真にとってプレゼンする
- 紙袋は、それを持っている人がバス停に並んでいるところや、それが打ち捨てられて水溜りでぐずぐずになっているところなんかを写真にとって提案する・・・それでリアリティが出てくる
·
■デザインの創造性は「問い」にかかっている
- いい問いが見つかれば、いい答えが見つかる
- いろいろと知恵を絞っているのは、デザインで解くべきユニークな「問い」を探しているということ
·
■パリにはトレンドセッティング委員会というのがあって、トレンドは自発的に作られる
·
■居住空間の心地よさは面積ではなく体積
- 昔すんでいた同潤会のアパートは狭かったけど天井高が3.5メートルくらいあった
- そこで思ったのが空気の量が心地よさなんだな、ということ
- 同じ広さでも天井が低いと圧迫感がある・・・いまは何でも平米で見るでしょう、あれを体積で見るようになるといろいろと変わってくると思う
·
■日本の緑は世界的に見ると石油に匹敵するような財産
- 水をまかなくてもこれだけの緑が勝手に映えてくるというのは石油に匹敵するくらいの財産
- ドイツは森がものすごく豊かだけど全部植林
- 一本木を切ったら一本植える、という法律がある
- ティアガルテンというベルリンの森を窓から見ると毎日毎日スプリンクラーで水をまいている・・・そうしないと芝生も木も枯れてしまう
·
■デザインはそもそも権力・パワーの誇示が目的だった
- デザインはフリルじゃないといわれるけど歴史的には98%フリルだった
- 装飾こそがデザイン、という考え方
- プレーンな青銅器とかは無いわけ
- 村とか国とか、共同体を維持するための求心力を表象するものが必要
- 稠密な文様とか複雑な模様は、修練を積んだ人が膨大な時間をかけないと出来ない・・・・
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■デザイン、という言葉が矮小化されつつある
- そもそもものづくりの知恵を表す言葉
- だから「デザイン家電」なんていう言葉は、短絡的な消費主義的発送が見えて浅くて悲しい
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■脳が考えたことをそのまま表面に出すこと・・これがドローイングの訓練
- 恥を忘れることが大事
- バウハウスのヨハネス・イッテンは造形体操で、体が作り出してしまう、しでかしてしまう表現をそのまま表出させる訓練をさせた
- これは、恥の意識でフィルターをかけることを取り除く訓練
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■新聞を季節で衣替えさせてもいい
- 見出しや罫線、本文の書体を涼しげなものと暖かいものを用意して季節に応じて使い分ける
- 夏はタイトルに朝顔がまきつき、冬は雪が積もったりツララがたれたりする
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■あるべき状態でデザインされるべき
- タバコやチューインガムのパッケージなんてくしゃくしゃになっている状態を目にすることのほうが多いのに、そういう状態を想定したデザインがされていない
- ブルーノ・ムナーリは料理用のへらとか靴のかかとは最初から磨り減った形にデザインしておくのが正しい、と言っている
- 磨り減った、のではなく成熟した状態という考え方
- ポスターをデザインするときは、実際に施策を壁に貼ってみたりバス停にある状態にしてみてそれを写真にとってプレゼンする
- 紙袋は、それを持っている人がバス停に並んでいるところや、それが打ち捨てられて水溜りでぐずぐずになっているところなんかを写真にとって提案する・・・それでリアリティが出てくる
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■デザインの創造性は「問い」にかかっている
- いい問いが見つかれば、いい答えが見つかる
- いろいろと知恵を絞っているのは、デザインで解くべきユニークな「問い」を探しているということ
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■パリにはトレンドセッティング委員会というのがあって、トレンドは自発的に作られる
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■居住空間の心地よさは面積ではなく体積
- 昔すんでいた同潤会のアパートは狭かったけど天井高が3.5メートルくらいあった
- そこで思ったのが空気の量が心地よさなんだな、ということ
- 同じ広さでも天井が低いと圧迫感がある・・・いまは何でも平米で見るでしょう、あれを体積で見るようになるといろいろと変わってくると思う
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■日本の緑は世界的に見ると石油に匹敵するような財産
- 水をまかなくてもこれだけの緑が勝手に映えてくるというのは石油に匹敵するくらいの財産
- ドイツは森がものすごく豊かだけど全部植林
- 一本木を切ったら一本植える、という法律がある
- ティアガルテンというベルリンの森を窓から見ると毎日毎日スプリンクラーで水をまいている・・・そうしないと芝生も木も枯れてしまう
Wednesday, September 19, 2007
はじめての構造主義
9/19 はじめての構造主義 橋爪大三郎
·
■ソシュールはそれまでの言語学がアホくさかった
- ソシュール以前の言語学は、言語が現代に至るまでの変化の過程をつぶさにトレースしていくことがメインの仕事だった
- しかし、そんなことでいいのか、とソシュールは思った
- 人間と言語は切っても切れない関係にある・・・言語を通じて人間のより深い理解へといたるような学問・・・それを言語学としようじゃないか、と彼は思った
·
■言語が切れるように、人は世界を切っていることをソシュールは見つけた
- 日本では湯と水は違う言葉なのに、英語では湯そのものを表す単語は無い
- ものがあって、それにしたがって世の中を切っているのではなく、言葉によって世の中を切っているのが人間
- Aさんの“あ”とBさんの“あ”では違う音なのに、我々は“あめ”という言葉を聞き分けられる・・・重要なのは音そのものではなく、その音が作り出す“差異”にある・・・言語とは結局は“差異の体系”である
·
■レヴィ・ストロースの「親族は女性を交換する仕組みである」という仮説にもっとも影響をあたえたのはモースの研究だろう
- モースは「贈与論」というユニークな論文を書いた
- 彼は贈与が未開社会でとても大きな意味を持っていることを最初に注目した学者だった
- モースは、ニューギニアの沖合いにある贈与の慣習「クラ交換」に着目した
- クラは貝殻とか花で飾られたちょっとした器物だが、これを交換するために各部族は命がけでカヌーを漕ぎ出す・・・この交換のために死ぬこともしばしばあったらしい・・・・
·
■価値があるから交換するのではなく、交換するから価値があることに気づいた
- なんでこんなつまんないものを命がけで・・・・と思う前に、我々も日本銀行券と書かれた紙っぺらをありがたく交換していることを思い出さなければいけない
- つまり、価値があるから交換しているのではなく、交換しているから価値があるのだ
- 女性もこれと同じで、部族間で交換のための財とされているのである
- 近親相姦が原始社会においても禁止されているのは、この交換財としての役割を維持するためである
·
■ギリシヤ人はヒマだったが頭が良かった・・・公理をつくったのだから
- 由緒正しいギリシア人は働いちゃいけなかったので、ヒマをつぶすために証明問題に没頭し、ほとんどの証明を終わって証明の網の目を作ってしまった
- この証明を良く見て見ると枝分かれのような構造になっており、一番基本的な事実はほかの事実=定理をしょうめいするばっかりで自分はちっとも証明されていないことに気づいた
- 証明の枝分かれの、ちょうど出発点になっているところについては、仕方ないので「理屈抜き、証明抜きで正しいことにしよう」ということになった・・・これを公理という
- 公理がよそから証明されると非常にかっこ悪いので、よくよく吟味が重ねられ、最終的には5つに絞り込まれた・・・この5つの公理から幾何学の知識はすべて証明(の連鎖)によって跡付けることができるようになった
- このことを記した本がユークリッドの「幾何学原本」である・・・実はユークリッドが実在の人物かどうかよくわかっていないのだが、この本は実在しており、以後二千年にわたってすべての学問の手本となった・・・本当に見事で美しい本である
- ちなみにユークリッドの幾何学原本には次の5つの公理が載っている
- 1:どんな二点のあいだにも、一本の線分が引ける
- 2:線分を好きなだけ延長できる
- 3:好きな点を中心に、好きな半径の円を描くことが出来る
- 4:直角はどれも等しい
- 5:直線外の一点を通って、その直線に平行な直線を、一歩だけ引ける
·
■アリストテレスはすごい
- アリストテレスは論理学を一人で作ってしまった
- 三段論法の薦め方を何通りにも分けて、推論が正しい場合、間違いである場合をいちいち確かめて一覧表にした
- 記号論理学が出来てからのここ100年くらいで古臭くなってしまったが、それまで二千年のあいだ絶対的な権威を誇ってきた・・・スゴイ!
·
■代数学と幾何学を融合したのはデカルト
- ギリシア人は幾何学は大好きだったが算術は大嫌いだった・・・それは奴隷や商人の仕事だったからである・・・そのためギリシアでは代数学はぜんぜん進化しなかった
- 代数学を進化させたのはアラビア人である・・・
- 代数学と幾何学を結びつけたのはデカルトである・・・彼は17世紀の人だがある時急にひらめいて座標軸というものを思いつき、平面の各店をx座標、y座標の組み合わせで示してみると、なんと円錐曲線が二次方程式で表せることに気づいた
- そんな具合にして、あれよあれよという数ヶ月の間に、解析幾何学をこさえてしまった
·
■ソシュールはそれまでの言語学がアホくさかった
- ソシュール以前の言語学は、言語が現代に至るまでの変化の過程をつぶさにトレースしていくことがメインの仕事だった
- しかし、そんなことでいいのか、とソシュールは思った
- 人間と言語は切っても切れない関係にある・・・言語を通じて人間のより深い理解へといたるような学問・・・それを言語学としようじゃないか、と彼は思った
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■言語が切れるように、人は世界を切っていることをソシュールは見つけた
- 日本では湯と水は違う言葉なのに、英語では湯そのものを表す単語は無い
- ものがあって、それにしたがって世の中を切っているのではなく、言葉によって世の中を切っているのが人間
- Aさんの“あ”とBさんの“あ”では違う音なのに、我々は“あめ”という言葉を聞き分けられる・・・重要なのは音そのものではなく、その音が作り出す“差異”にある・・・言語とは結局は“差異の体系”である
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■レヴィ・ストロースの「親族は女性を交換する仕組みである」という仮説にもっとも影響をあたえたのはモースの研究だろう
- モースは「贈与論」というユニークな論文を書いた
- 彼は贈与が未開社会でとても大きな意味を持っていることを最初に注目した学者だった
- モースは、ニューギニアの沖合いにある贈与の慣習「クラ交換」に着目した
- クラは貝殻とか花で飾られたちょっとした器物だが、これを交換するために各部族は命がけでカヌーを漕ぎ出す・・・この交換のために死ぬこともしばしばあったらしい・・・・
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■価値があるから交換するのではなく、交換するから価値があることに気づいた
- なんでこんなつまんないものを命がけで・・・・と思う前に、我々も日本銀行券と書かれた紙っぺらをありがたく交換していることを思い出さなければいけない
- つまり、価値があるから交換しているのではなく、交換しているから価値があるのだ
- 女性もこれと同じで、部族間で交換のための財とされているのである
- 近親相姦が原始社会においても禁止されているのは、この交換財としての役割を維持するためである
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■ギリシヤ人はヒマだったが頭が良かった・・・公理をつくったのだから
- 由緒正しいギリシア人は働いちゃいけなかったので、ヒマをつぶすために証明問題に没頭し、ほとんどの証明を終わって証明の網の目を作ってしまった
- この証明を良く見て見ると枝分かれのような構造になっており、一番基本的な事実はほかの事実=定理をしょうめいするばっかりで自分はちっとも証明されていないことに気づいた
- 証明の枝分かれの、ちょうど出発点になっているところについては、仕方ないので「理屈抜き、証明抜きで正しいことにしよう」ということになった・・・これを公理という
- 公理がよそから証明されると非常にかっこ悪いので、よくよく吟味が重ねられ、最終的には5つに絞り込まれた・・・この5つの公理から幾何学の知識はすべて証明(の連鎖)によって跡付けることができるようになった
- このことを記した本がユークリッドの「幾何学原本」である・・・実はユークリッドが実在の人物かどうかよくわかっていないのだが、この本は実在しており、以後二千年にわたってすべての学問の手本となった・・・本当に見事で美しい本である
- ちなみにユークリッドの幾何学原本には次の5つの公理が載っている
- 1:どんな二点のあいだにも、一本の線分が引ける
- 2:線分を好きなだけ延長できる
- 3:好きな点を中心に、好きな半径の円を描くことが出来る
- 4:直角はどれも等しい
- 5:直線外の一点を通って、その直線に平行な直線を、一歩だけ引ける
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■アリストテレスはすごい
- アリストテレスは論理学を一人で作ってしまった
- 三段論法の薦め方を何通りにも分けて、推論が正しい場合、間違いである場合をいちいち確かめて一覧表にした
- 記号論理学が出来てからのここ100年くらいで古臭くなってしまったが、それまで二千年のあいだ絶対的な権威を誇ってきた・・・スゴイ!
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■代数学と幾何学を融合したのはデカルト
- ギリシア人は幾何学は大好きだったが算術は大嫌いだった・・・それは奴隷や商人の仕事だったからである・・・そのためギリシアでは代数学はぜんぜん進化しなかった
- 代数学を進化させたのはアラビア人である・・・
- 代数学と幾何学を結びつけたのはデカルトである・・・彼は17世紀の人だがある時急にひらめいて座標軸というものを思いつき、平面の各店をx座標、y座標の組み合わせで示してみると、なんと円錐曲線が二次方程式で表せることに気づいた
- そんな具合にして、あれよあれよという数ヶ月の間に、解析幾何学をこさえてしまった
9/19 フラット革命 佐々木俊尚
一言でいって深い本である。最近のインターネット関連の書籍のほとんどがビジネスサイドに関するものばっかりであったのに対して、この本は人間そのものがどう変わるのか?公共性はどうなるのか?社会はどうなるのか?といった問題意識を提起している。一種のルポルタージュになっているので、サっと読めるものでもないが、読み通せば確実に、これは考えなければいけない問題だなという、宿題に似た感じを与える本である。特に、匿名性が維持されるネット内において建設的な関係性・公共性をどう維持していくのか?という点は深く考えていかなければいけない問題だと思う。
·
■インターネットの浸透によって“公共性”のあり方も変わってくる
- 既存マスメディアからのパワーシフトが発生しているが、既存マスメディアはそれはそれで公器としての昨日、公共性を担保させるための役割は果たしていた
- もし仮に、ネットの台頭によって既存マスメディア企業がつぶれてしまったとしたら、公共性は誰が担保するのだろう
- ウィキペディアは集合知として存在しているが、等のウィキペディア自身はウィキペディアを“信頼できない情報源”として分類しており、信頼できる情報源としてウォールストリートジャーナルやタイムといった既存マスメディアを挙げている・・・彼らはネットの台頭によって経営上存続が難しいかもしれないのに
·
■ネットの台頭によってゲマインシャフトからゲゼルシャフトへのシフトが起こっている
- 20世紀初頭のドイツの社会学者フェルディナント・テンニースは地縁や血縁にもとづいた共同体であるゲマインシャフトは、社会が近代化され、産業資本主義によって工業化が進められると徐々に消滅し、利害関係だけにもとづく人工的な共同体=ゲゼルシャフトにしふとしていくと説いた
·
■ネットにおける匿名性の問題は、仲裁可能性の問題として捉えられる
- ネットにおいて事象や個人を名を明かさずに匿名で攻撃する人について、卑怯だという非難をする人が多いが匿名性を非難することはなかなか難しい
- たとえばキップリングというニックネームを用いるのと、東京都山口さんという名前を用いるのと東京都匿名希望という名前を用いるのは、もし個人名が何らかの権威と結びついて有名性を持っていない限り、本質的に違いは無い
- しかしアスキー創業者の西氏はこうやって匿名に関しての問題性を指摘する
- たとえばインドと中国の国境は両国が何年もかけて争ってきており、容易に譲歩できる問題ではない。これは国際社会として、どう仲介していくのかというのが問題になるわけだが、インターネットではそうはならない。他人から失礼なメールが送られてきたら、そのメールを削除して、以降その人からのメールをすべて拒否する、というようにプログラムしてしまう・・・・サイバーの世界では一旦嫌いになったら関係の修復が難しい。誤解やミスコミニュケーションによって発生した断絶を、修復するすべを持っていない・・・サイバー世界でけんかしたら仲良くなれない、と、彼は指摘する
·
■ネットは恐ろしい、醜いものまで目の前に突きつけるメディアである・・・そこから美しいものだけを取り出すリテラシーと勇気が必要
- これまではマスメディアが世の中で起きていることをフィルタリングして、しかも砂糖でくるんで届けてくれた
- いまやネットはオブラートにくるまずに恐ろしい・醜い側面をダイレクトに見せてくれるメディアである
- インターネットの情報はノイズにあふれている・・・しかしこのノイズが世の中の実態そのものなのである・・・この膨大なノイズの中からリアリティを失わずに本質をつかみあげることが出来るか・・・?
- これは大変である・・・・人々がこの世界で浮遊し、誰も警察や役所の役割を果たさない・・・自分たちで自治をしていくしかないのだけど、この中には犯罪者や異常に攻撃的な人、ずるい人、自分とまったく意見が会わない人が居る・・・・どうやって意見がまとまるのかさえはっきりしない
一言でいって深い本である。最近のインターネット関連の書籍のほとんどがビジネスサイドに関するものばっかりであったのに対して、この本は人間そのものがどう変わるのか?公共性はどうなるのか?社会はどうなるのか?といった問題意識を提起している。一種のルポルタージュになっているので、サっと読めるものでもないが、読み通せば確実に、これは考えなければいけない問題だなという、宿題に似た感じを与える本である。特に、匿名性が維持されるネット内において建設的な関係性・公共性をどう維持していくのか?という点は深く考えていかなければいけない問題だと思う。
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■インターネットの浸透によって“公共性”のあり方も変わってくる
- 既存マスメディアからのパワーシフトが発生しているが、既存マスメディアはそれはそれで公器としての昨日、公共性を担保させるための役割は果たしていた
- もし仮に、ネットの台頭によって既存マスメディア企業がつぶれてしまったとしたら、公共性は誰が担保するのだろう
- ウィキペディアは集合知として存在しているが、等のウィキペディア自身はウィキペディアを“信頼できない情報源”として分類しており、信頼できる情報源としてウォールストリートジャーナルやタイムといった既存マスメディアを挙げている・・・彼らはネットの台頭によって経営上存続が難しいかもしれないのに
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■ネットの台頭によってゲマインシャフトからゲゼルシャフトへのシフトが起こっている
- 20世紀初頭のドイツの社会学者フェルディナント・テンニースは地縁や血縁にもとづいた共同体であるゲマインシャフトは、社会が近代化され、産業資本主義によって工業化が進められると徐々に消滅し、利害関係だけにもとづく人工的な共同体=ゲゼルシャフトにしふとしていくと説いた
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■ネットにおける匿名性の問題は、仲裁可能性の問題として捉えられる
- ネットにおいて事象や個人を名を明かさずに匿名で攻撃する人について、卑怯だという非難をする人が多いが匿名性を非難することはなかなか難しい
- たとえばキップリングというニックネームを用いるのと、東京都山口さんという名前を用いるのと東京都匿名希望という名前を用いるのは、もし個人名が何らかの権威と結びついて有名性を持っていない限り、本質的に違いは無い
- しかしアスキー創業者の西氏はこうやって匿名に関しての問題性を指摘する
- たとえばインドと中国の国境は両国が何年もかけて争ってきており、容易に譲歩できる問題ではない。これは国際社会として、どう仲介していくのかというのが問題になるわけだが、インターネットではそうはならない。他人から失礼なメールが送られてきたら、そのメールを削除して、以降その人からのメールをすべて拒否する、というようにプログラムしてしまう・・・・サイバーの世界では一旦嫌いになったら関係の修復が難しい。誤解やミスコミニュケーションによって発生した断絶を、修復するすべを持っていない・・・サイバー世界でけんかしたら仲良くなれない、と、彼は指摘する
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■ネットは恐ろしい、醜いものまで目の前に突きつけるメディアである・・・そこから美しいものだけを取り出すリテラシーと勇気が必要
- これまではマスメディアが世の中で起きていることをフィルタリングして、しかも砂糖でくるんで届けてくれた
- いまやネットはオブラートにくるまずに恐ろしい・醜い側面をダイレクトに見せてくれるメディアである
- インターネットの情報はノイズにあふれている・・・しかしこのノイズが世の中の実態そのものなのである・・・この膨大なノイズの中からリアリティを失わずに本質をつかみあげることが出来るか・・・?
- これは大変である・・・・人々がこの世界で浮遊し、誰も警察や役所の役割を果たさない・・・自分たちで自治をしていくしかないのだけど、この中には犯罪者や異常に攻撃的な人、ずるい人、自分とまったく意見が会わない人が居る・・・・どうやって意見がまとまるのかさえはっきりしない
Monday, September 17, 2007
読書日記:ウェブは資本主義を超える
9/14 ウェブは資本主義を超える 池田信夫
·
■個人をプロセッサ、組織をネットワークと考え、情報処理コストと通信コストのどちらが相対的に高いかによってネットワークの構造が変わる
- 情報処理コストがネットワークコストより相対的に高いときには情報を中央集権的に処理して端末に送ったほうがよい
- 逆に通信コストが高い場合は端末で分散処理して通信料を減らしたほうがいい
·
■広告費だけでなく販促費を視野に入れることで大きな市場が期待できる
- 日本の広告費は約6兆円でGDPの約1%である・・・この水準は一定しており、この中で市場を食い合っている以上は大きな成長は期待できない
- 一方、日本における顧客へのマーケティング費用の総計は20兆円、世界全体では100兆円くらいあるとされている
- グーグルが狭義の広告産業を超えて従来のどぶ板営業を代替するものだとすれば、広告市場を越えた大きな成長機会をつかまえるかも知れない
·
■インターネットに関連したビジネスではサービスのリリースタイミングが死命を決する重要性を持つ
- Web2.0という言葉はコンピューター中心からネットワーク中心への移行という概念を含んでいるが、これは昔サンやオラクルが流行らせようとした「ネットワーク・コンピューティング」とか「シン・クライアント」といった概念に近い
- これらの概念は論理的にはありえたのだろうが、いかんせんダイヤルアップの時期に出てきたのは早すぎた
- 普通、一度失敗したビジネスモデルは二度とものにならないが、ムーアの法則(半導体の集積度が18ヶ月で2倍になるという経験則)によってコストが3年で1/4になるITの世界では、3年前に赤字だったビジネスモデルが、いまやったら黒字、ということがありうる
- グーグルは検索エンジンのパイオニアでもなければ、検索広告の発明者でもない・・・問題はそういう技術をどう組み合わせてどういうタイミングで世に出すかという、まさに戦略の問題なのである
·
■ブラウザにインターフェースをすべて依存するようになるとOSの存在意義が薄まる可能性がある
- ネットスケープの登場によってウィンドウズは単なるデバイスドライバなる(マーク・アンドリーセン)
·
■マイクロソフトの失敗は広告経済モデルの軽視
- チーフ・ソフトウェア・アーキテクトとしてビル・ゲイツの後継となるレイ・オッジーは「インターネット・サービスによる破壊」という内部文書でマイクロソフトの失敗の原因を分析している
- その第一に、パッケージソフトの販売という伝統的な収益源にこだわって広告による経済モデルを軽視した結果、インターネットによる効率的な流通システムの開発に遅れをとった、という点をあげている
·
■ビスタはIBMと同じになるかも知れない
- かつでのIBMは超高性能な大型コンピューターを守ろうとしてPCという破壊的イノベーションに敗れた
- 大した新機能もないのに大きなメモリを食うビスタは典型的な持続的イノベーションが、顧客期待価値を超えて余計な機能を付加している様相になっている
·
■権利処理の自動化には定型的なプロセスの設計が必要
- 権利処理を自動化するには、まず権利を一本化し、許諾権を切り離して報酬請求権のみとし、ライセンス料に定価を定めるなど、定型的な処理手続きを作る必要がある
·
■ウィキペディアのルールでは、最終的には精度は担保されない
- ウィキペディアは「最終的に信頼できる情報源」にリーチ出来ることを目的にしており、真理の提供を目的にしていない
- ここで言う信頼できる情報源とは別途定義されており、それはたとえばニューヨーク・タイムズやBBCで、実はウィキペディアは「信頼できない情報源」に分類されている
- このように明文化されたルールだけを根拠として正当性そのものの考察に踏み込まないこと、それが真理であるかどうかを問わない、という考え方は法学でいう実定法主義(Legal Positivism)であるが、これは仲間内メディアでは機能するが、信頼できるはずの情報源が信頼できないとき、機能しない
- たとえば従軍慰安婦に関して、ニューヨークタイムズもBBCも「慰安婦は日本軍の性奴隷制度だった」と報じており甚だしい事実誤認をしている
- こういうケースでは信頼できる情報源が信頼できない、ということになり、このルールは機能しない
·
■百科事典はそもそも啓蒙思想の最大の成果であった
- 百科事典は18世紀にディドロとダランベールが編集した「百科全書」が最初
- 教会による知識の独占の時代を乗り越え、神学による学問支配を乗り越え、個人による自由な知の集積を作る作業の成果であった
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■多くの官庁や大企業の取り組みが失敗に終わったのに、一人の不良青年が作った2ちゃんねるが、これほど多くのユーザーをひきつけている事実は、失敗した大事業の関係者たちはもう一度考えて見るべき
·
■マスコミの誇大なあおりにだまされてはいけない
- 治安が悪化して犯罪が増えている、とマスコミは煽るが実態はそうではない
- 統計上の犯罪の数は増えているが、その最大の原因は自転車の防犯登録によって、自転車泥棒を犯罪統計に入れるようになったことや、警察が犯罪被害の届出を受理s内「前裁き」がへったことなど、犯罪の「認知率」が上がったためで、こうした効果を除くと犯罪はほとんど増えていない
- さらに、殺人や強盗といった凶悪犯を見れば、戦後一貫して減っておりピーク時の1950年代の1/3以下になっている
- また検挙率が下がったというマスコミもあるが、これも母集団が増加したことと、軽微な犯罪や余罪の追及に要因をさかなくなったことでほぼ説明がつく
- また、いじめが社会問題化している、というトーンもおかしい
- 子供の自殺は70~80年代がピークで、このころも「いじめ」が最大の原因として騒がれた
- 現在、自殺件数はピーク時の半分であり、いじめが原因と見られるものも当時は毎年10件くらいと、現在の6件より多かった
- そもそも年間で6とか10とかいう数字からして、「稀有」な事件というべきで社会問題として取り上げる問題ではない
- うつ病で年間1万人以上自殺しているのは取り上げず、いじめや極悪犯罪など、耳目を集めやすいニュースを誇大に取り上げることで視聴率を上げようとしているだけである
- 付け加えれば、ごみ焼却炉から出るダイオキシンがワイドショーで一時期頻繁に取り上げられたが、これらの寿命への影響は1.3日であり、喫煙の10年以上、また受動喫煙の120に比べればはるかに影響は軽い・・・・ダイオキシンを騒ぐのならタバコを全面禁止にするキャンペーンをはればいい
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■NHKが数年前に行ったブラインドテストでは、ハイビジョンと通常放送の違いを見分けられる視聴者はほとんど居なかった
- はっきり差が出るのは色温度とコントラストで解像度は要素中もっとも最下位だった
- またたくさんのチャンネルでいろいろな番組が見たい、という要望は高かったもののいい画質でみたい、という要望もこれまた最下位だった
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■日本人は貧乏になってきた
- 1993年に日本の一人当たりGDPは3.50万ドルで世界一位だった
- 2005年には3.56万ドルでOECD諸国30カ国中14位に落ちた
- 最近の1$=120円前後という為替レートは購買力平価と見合う水準であるから、円が過小評価されているわけではない
- 1990年時点を基点として日本経済が年率2%(先進国の平均成長率)で伸びた場合と比較すると、現実のGDPはその90%程度でしかない
- 格差がどうこう言う前に、富が一割なくなったということなのだ
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■梶=深尾論文によれば、退出した企業のTFPは生き残った企業よりも高い
- TFP=全要素生産性とは、労働と資本の生産性をあわせた概念で産出量=GDPの成長率あら労働・資本投入量の増加率を引いたもの
- TFPは技術革新以外に、リストラによる労働生産性の向上や、効率の悪い企業からよい企業へ生産資源が移行することでも向上する
- 梶=深尾論文によれば、本来経営破たんすべきゾンビ企業が追い貸しで延命させる一方、資金調達の困難な新しい企業が成長できずに廃業することによって日本経済全体のTFPは大きく低下してしまっている・・・・つまり新陳代謝の低さが、長期不況の大きな原因だとしている
- これはほかの実証研究でも確認されている
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■格差は広がっていない
- ジニ係数が若干上がっているのは、もともと所得格差の大きい高齢者世帯の比率があがったことと、所得の少ない単身世帯が増えたことにある
- 小泉政権の市場原理主義により格差が拡大した、という分析は数値からは読み取れない
- 不平等度が上がったのは90年代の長期不況の時期で、景気が回復した2000年以降はまた平等化している
- したがって「日本が世界一の格差社会になった」という国会の小沢氏の発言はナンセンスである
- ただし、懸念される問題はある・・・それは若年層(18~25歳)の貧困率の向上である
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■弱者救済は気をつけないと新たな弱者を生む
- 弱者救済を主張する人の多くは、今雇用されている人の待遇だけを問題にし、労働市場から排除されている本当の弱者が視野に入っていない
- たとえばタクシーの規制緩和で運転手の労働条件が悪化したと批判されるが、規制緩和以後、全国で1.7万台のタクシーが増えており、一台のタクシーを二人で乗務するとすると3万人以上の雇用が創出されたことになる・・・この間、年収は8%ほど低下しているが収入ゼロだったかも知れない人が3万人も年収を得られるようになっているわけで、これを格差拡大といって非難するのは既得権益を守ろうとする労働組合側の見方である
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■市場メカニズムを無視した規制強化は、一見いいことをしているように見えるが回りまわって格差を拡大してしまう
- 経済学では雇用は需要と供給のバランスで決まる・・・こういう単純なことを理解できないやからが多すぎる
- 賃金を市場で決定される水準よりも高い水準に規制すると、既に雇用されている人の賃金は上がるが、労働需要は減るので超過供給=失業が生じる
- たとえば借地借家法で店子の権利を強く保護すると、弱い立場の店子が助かるように思える・・・・しかし実際にどういうことになるかというと家主は明け渡しを求めても店子が立ち退かないので、借家の供給が全体としては減少し、結果として需給のアンバランスから全体の家賃は上昇してしまう
- また、サラ金の上限金利を引き下げると、借金を抱えている人は一見助かるように見える・・・・消費者金融の債務者は大手五社で約一千万人いて、このうちの91%が20%以上の金利で借りている・・・・業界全体では債務者はこの1.5倍くらいだろうと想定されているが、中小の金利はほとんどが20%以上だから、上限金利が20%に規制されると1400万人は市場から締め出されることになる・・・・こうして締め出された人たちは、結局は闇金融に走らざるを得ず、さらに悲劇的な結末を迎えることになる
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■福祉国家と市場原理主義を対立概念として捉え、小さな政府を批判する図式は不毛
- 格差問題は、決まったパイをいかに公平に分配するかという問題として捉えるのは誤り
- 景気回復によって新卒採用の数がバブル期なみになったように、経済成長によってパイが大きくなれば、誰もが利益を得ることが出来る
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■何かが自由財になったように見えると、新たな財がボトルネックになる・・・この新たな財の希少性がビジネスの鍵になる
- 資本主義社会の前提は、資本が希少で労働は過剰だということ・・・・工場を建てて多くの労働者を集める資金をもっているのは限られた資本家だから、資本の希少性の価格として利潤が生まれる・・・これは普通の製造業では今も正しいが、情報の生産については状況が違う
- ムーアの法則によって1960年代から今日までに計算能力の価格は一億分の一になった・・・これは建設に100億円かかっていた工場が100円でできるようになったということだから、こうなると工場を作って労働者を集めるよりも、労働者が各自に工場を持って生産するほうが効率がよい、ということになり、それが現実になった
- つまり、昔はボトルネックは工場だったのだが、今のボトルネックは工場を扱う各人の時間になる・・・・そしてこの資源=ユーザーの時間を効率的に配分するテクノロジーが重要になる・・・膨大な情報の中からコンテンツを見つけ出して、希少な時間をひきつける権利=広告に新たなビジネスチャンスが生まれる
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■著作権保護期間の延長は国益にかなわない
- 70年が著作権保護の国際的なスタンダードだから、それに順ずるのが国益にかなう、という主張は論理的に間違っている
- 国際著作権条約では、保護期間50年の国の著作物が70年の国に輸出されても50年しか守られない一方、70年の国の著作物が50年の国に輸入されても50年しか守られない
- 日本において、著作物は輸入超過なので日本で著作権保護を20年延長して得られる国外での著作権収入よりも、輸入した著作物を国内で自由に複製できなくなることでの損失の方がはるかに大きい
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■日本のコンテンツ産業の問題は、法的なものではなく、分配の問題である・・・そのためにはとにかくビジネスでWin-Winに関係者がなれるモデルを築くことが必要
- 著作者の利益が法的に保護されていない、ということが問題の本質ではなく、利益がクリエイターに正当に分配されないことが問題
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■ライブドア事件の量刑の重さは不可解
- 主な起訴事実は50億円強の粉飾決算だった
- しかしカネボウは総額2000億円の粉飾を行っており、これと比べて量刑が不当に重いように思う
- 180億円の利益を水増しした日興コーディアルも上場維持されたし、1990年代には日本の銀行のほとんどが不良債権を分割償却するという粉飾決算を行っていたが、刑事事件になったのは日債銀・長銀といった破綻銀行だけである
- 堀江貴文被告は第一審で懲役2年6ヶ月の実刑判決を受けた・・・エンロンやワールドコムでは20年以上だったのに甘い、といったニュアンスでグローバルスタンダード論を振り回すやからも居るが、これも間違いで、こういう厳罰はアメリカだけの特殊な現象え、イギリスではベアリング証券をつぶしたニック・リーソンも4年で出所している
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■インサイダー規制は、サッカーのオフサイドのようなもの
- それ自体がルール違反ではないが、それを許すとゲームがつまらなくなる=資本家が集まらなくなる
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■霞ヶ関の最大の罪は優秀な人材をロックインしていること
- 社会を動かすのは人口の数%のエリートで、そういう人材がどれくらい戦略部門にいるかで国力は決まる
- 霞ヶ関は、戦後しばらくは日本最大の戦略部門だったがいまはお荷物になった
- 重要なのは老人の天下りにヤーヤー文句を言うことではなく、未来のある人材を霞ヶ関から脱出させてチャレンジャーを育てる人的資源の再配分である
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■個人をプロセッサ、組織をネットワークと考え、情報処理コストと通信コストのどちらが相対的に高いかによってネットワークの構造が変わる
- 情報処理コストがネットワークコストより相対的に高いときには情報を中央集権的に処理して端末に送ったほうがよい
- 逆に通信コストが高い場合は端末で分散処理して通信料を減らしたほうがいい
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■広告費だけでなく販促費を視野に入れることで大きな市場が期待できる
- 日本の広告費は約6兆円でGDPの約1%である・・・この水準は一定しており、この中で市場を食い合っている以上は大きな成長は期待できない
- 一方、日本における顧客へのマーケティング費用の総計は20兆円、世界全体では100兆円くらいあるとされている
- グーグルが狭義の広告産業を超えて従来のどぶ板営業を代替するものだとすれば、広告市場を越えた大きな成長機会をつかまえるかも知れない
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■インターネットに関連したビジネスではサービスのリリースタイミングが死命を決する重要性を持つ
- Web2.0という言葉はコンピューター中心からネットワーク中心への移行という概念を含んでいるが、これは昔サンやオラクルが流行らせようとした「ネットワーク・コンピューティング」とか「シン・クライアント」といった概念に近い
- これらの概念は論理的にはありえたのだろうが、いかんせんダイヤルアップの時期に出てきたのは早すぎた
- 普通、一度失敗したビジネスモデルは二度とものにならないが、ムーアの法則(半導体の集積度が18ヶ月で2倍になるという経験則)によってコストが3年で1/4になるITの世界では、3年前に赤字だったビジネスモデルが、いまやったら黒字、ということがありうる
- グーグルは検索エンジンのパイオニアでもなければ、検索広告の発明者でもない・・・問題はそういう技術をどう組み合わせてどういうタイミングで世に出すかという、まさに戦略の問題なのである
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■ブラウザにインターフェースをすべて依存するようになるとOSの存在意義が薄まる可能性がある
- ネットスケープの登場によってウィンドウズは単なるデバイスドライバなる(マーク・アンドリーセン)
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■マイクロソフトの失敗は広告経済モデルの軽視
- チーフ・ソフトウェア・アーキテクトとしてビル・ゲイツの後継となるレイ・オッジーは「インターネット・サービスによる破壊」という内部文書でマイクロソフトの失敗の原因を分析している
- その第一に、パッケージソフトの販売という伝統的な収益源にこだわって広告による経済モデルを軽視した結果、インターネットによる効率的な流通システムの開発に遅れをとった、という点をあげている
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■ビスタはIBMと同じになるかも知れない
- かつでのIBMは超高性能な大型コンピューターを守ろうとしてPCという破壊的イノベーションに敗れた
- 大した新機能もないのに大きなメモリを食うビスタは典型的な持続的イノベーションが、顧客期待価値を超えて余計な機能を付加している様相になっている
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■権利処理の自動化には定型的なプロセスの設計が必要
- 権利処理を自動化するには、まず権利を一本化し、許諾権を切り離して報酬請求権のみとし、ライセンス料に定価を定めるなど、定型的な処理手続きを作る必要がある
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■ウィキペディアのルールでは、最終的には精度は担保されない
- ウィキペディアは「最終的に信頼できる情報源」にリーチ出来ることを目的にしており、真理の提供を目的にしていない
- ここで言う信頼できる情報源とは別途定義されており、それはたとえばニューヨーク・タイムズやBBCで、実はウィキペディアは「信頼できない情報源」に分類されている
- このように明文化されたルールだけを根拠として正当性そのものの考察に踏み込まないこと、それが真理であるかどうかを問わない、という考え方は法学でいう実定法主義(Legal Positivism)であるが、これは仲間内メディアでは機能するが、信頼できるはずの情報源が信頼できないとき、機能しない
- たとえば従軍慰安婦に関して、ニューヨークタイムズもBBCも「慰安婦は日本軍の性奴隷制度だった」と報じており甚だしい事実誤認をしている
- こういうケースでは信頼できる情報源が信頼できない、ということになり、このルールは機能しない
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■百科事典はそもそも啓蒙思想の最大の成果であった
- 百科事典は18世紀にディドロとダランベールが編集した「百科全書」が最初
- 教会による知識の独占の時代を乗り越え、神学による学問支配を乗り越え、個人による自由な知の集積を作る作業の成果であった
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■多くの官庁や大企業の取り組みが失敗に終わったのに、一人の不良青年が作った2ちゃんねるが、これほど多くのユーザーをひきつけている事実は、失敗した大事業の関係者たちはもう一度考えて見るべき
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■マスコミの誇大なあおりにだまされてはいけない
- 治安が悪化して犯罪が増えている、とマスコミは煽るが実態はそうではない
- 統計上の犯罪の数は増えているが、その最大の原因は自転車の防犯登録によって、自転車泥棒を犯罪統計に入れるようになったことや、警察が犯罪被害の届出を受理s内「前裁き」がへったことなど、犯罪の「認知率」が上がったためで、こうした効果を除くと犯罪はほとんど増えていない
- さらに、殺人や強盗といった凶悪犯を見れば、戦後一貫して減っておりピーク時の1950年代の1/3以下になっている
- また検挙率が下がったというマスコミもあるが、これも母集団が増加したことと、軽微な犯罪や余罪の追及に要因をさかなくなったことでほぼ説明がつく
- また、いじめが社会問題化している、というトーンもおかしい
- 子供の自殺は70~80年代がピークで、このころも「いじめ」が最大の原因として騒がれた
- 現在、自殺件数はピーク時の半分であり、いじめが原因と見られるものも当時は毎年10件くらいと、現在の6件より多かった
- そもそも年間で6とか10とかいう数字からして、「稀有」な事件というべきで社会問題として取り上げる問題ではない
- うつ病で年間1万人以上自殺しているのは取り上げず、いじめや極悪犯罪など、耳目を集めやすいニュースを誇大に取り上げることで視聴率を上げようとしているだけである
- 付け加えれば、ごみ焼却炉から出るダイオキシンがワイドショーで一時期頻繁に取り上げられたが、これらの寿命への影響は1.3日であり、喫煙の10年以上、また受動喫煙の120に比べればはるかに影響は軽い・・・・ダイオキシンを騒ぐのならタバコを全面禁止にするキャンペーンをはればいい
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■NHKが数年前に行ったブラインドテストでは、ハイビジョンと通常放送の違いを見分けられる視聴者はほとんど居なかった
- はっきり差が出るのは色温度とコントラストで解像度は要素中もっとも最下位だった
- またたくさんのチャンネルでいろいろな番組が見たい、という要望は高かったもののいい画質でみたい、という要望もこれまた最下位だった
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■日本人は貧乏になってきた
- 1993年に日本の一人当たりGDPは3.50万ドルで世界一位だった
- 2005年には3.56万ドルでOECD諸国30カ国中14位に落ちた
- 最近の1$=120円前後という為替レートは購買力平価と見合う水準であるから、円が過小評価されているわけではない
- 1990年時点を基点として日本経済が年率2%(先進国の平均成長率)で伸びた場合と比較すると、現実のGDPはその90%程度でしかない
- 格差がどうこう言う前に、富が一割なくなったということなのだ
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■梶=深尾論文によれば、退出した企業のTFPは生き残った企業よりも高い
- TFP=全要素生産性とは、労働と資本の生産性をあわせた概念で産出量=GDPの成長率あら労働・資本投入量の増加率を引いたもの
- TFPは技術革新以外に、リストラによる労働生産性の向上や、効率の悪い企業からよい企業へ生産資源が移行することでも向上する
- 梶=深尾論文によれば、本来経営破たんすべきゾンビ企業が追い貸しで延命させる一方、資金調達の困難な新しい企業が成長できずに廃業することによって日本経済全体のTFPは大きく低下してしまっている・・・・つまり新陳代謝の低さが、長期不況の大きな原因だとしている
- これはほかの実証研究でも確認されている
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■格差は広がっていない
- ジニ係数が若干上がっているのは、もともと所得格差の大きい高齢者世帯の比率があがったことと、所得の少ない単身世帯が増えたことにある
- 小泉政権の市場原理主義により格差が拡大した、という分析は数値からは読み取れない
- 不平等度が上がったのは90年代の長期不況の時期で、景気が回復した2000年以降はまた平等化している
- したがって「日本が世界一の格差社会になった」という国会の小沢氏の発言はナンセンスである
- ただし、懸念される問題はある・・・それは若年層(18~25歳)の貧困率の向上である
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■弱者救済は気をつけないと新たな弱者を生む
- 弱者救済を主張する人の多くは、今雇用されている人の待遇だけを問題にし、労働市場から排除されている本当の弱者が視野に入っていない
- たとえばタクシーの規制緩和で運転手の労働条件が悪化したと批判されるが、規制緩和以後、全国で1.7万台のタクシーが増えており、一台のタクシーを二人で乗務するとすると3万人以上の雇用が創出されたことになる・・・この間、年収は8%ほど低下しているが収入ゼロだったかも知れない人が3万人も年収を得られるようになっているわけで、これを格差拡大といって非難するのは既得権益を守ろうとする労働組合側の見方である
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■市場メカニズムを無視した規制強化は、一見いいことをしているように見えるが回りまわって格差を拡大してしまう
- 経済学では雇用は需要と供給のバランスで決まる・・・こういう単純なことを理解できないやからが多すぎる
- 賃金を市場で決定される水準よりも高い水準に規制すると、既に雇用されている人の賃金は上がるが、労働需要は減るので超過供給=失業が生じる
- たとえば借地借家法で店子の権利を強く保護すると、弱い立場の店子が助かるように思える・・・・しかし実際にどういうことになるかというと家主は明け渡しを求めても店子が立ち退かないので、借家の供給が全体としては減少し、結果として需給のアンバランスから全体の家賃は上昇してしまう
- また、サラ金の上限金利を引き下げると、借金を抱えている人は一見助かるように見える・・・・消費者金融の債務者は大手五社で約一千万人いて、このうちの91%が20%以上の金利で借りている・・・・業界全体では債務者はこの1.5倍くらいだろうと想定されているが、中小の金利はほとんどが20%以上だから、上限金利が20%に規制されると1400万人は市場から締め出されることになる・・・・こうして締め出された人たちは、結局は闇金融に走らざるを得ず、さらに悲劇的な結末を迎えることになる
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■福祉国家と市場原理主義を対立概念として捉え、小さな政府を批判する図式は不毛
- 格差問題は、決まったパイをいかに公平に分配するかという問題として捉えるのは誤り
- 景気回復によって新卒採用の数がバブル期なみになったように、経済成長によってパイが大きくなれば、誰もが利益を得ることが出来る
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■何かが自由財になったように見えると、新たな財がボトルネックになる・・・この新たな財の希少性がビジネスの鍵になる
- 資本主義社会の前提は、資本が希少で労働は過剰だということ・・・・工場を建てて多くの労働者を集める資金をもっているのは限られた資本家だから、資本の希少性の価格として利潤が生まれる・・・これは普通の製造業では今も正しいが、情報の生産については状況が違う
- ムーアの法則によって1960年代から今日までに計算能力の価格は一億分の一になった・・・これは建設に100億円かかっていた工場が100円でできるようになったということだから、こうなると工場を作って労働者を集めるよりも、労働者が各自に工場を持って生産するほうが効率がよい、ということになり、それが現実になった
- つまり、昔はボトルネックは工場だったのだが、今のボトルネックは工場を扱う各人の時間になる・・・・そしてこの資源=ユーザーの時間を効率的に配分するテクノロジーが重要になる・・・膨大な情報の中からコンテンツを見つけ出して、希少な時間をひきつける権利=広告に新たなビジネスチャンスが生まれる
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■著作権保護期間の延長は国益にかなわない
- 70年が著作権保護の国際的なスタンダードだから、それに順ずるのが国益にかなう、という主張は論理的に間違っている
- 国際著作権条約では、保護期間50年の国の著作物が70年の国に輸出されても50年しか守られない一方、70年の国の著作物が50年の国に輸入されても50年しか守られない
- 日本において、著作物は輸入超過なので日本で著作権保護を20年延長して得られる国外での著作権収入よりも、輸入した著作物を国内で自由に複製できなくなることでの損失の方がはるかに大きい
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■日本のコンテンツ産業の問題は、法的なものではなく、分配の問題である・・・そのためにはとにかくビジネスでWin-Winに関係者がなれるモデルを築くことが必要
- 著作者の利益が法的に保護されていない、ということが問題の本質ではなく、利益がクリエイターに正当に分配されないことが問題
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■ライブドア事件の量刑の重さは不可解
- 主な起訴事実は50億円強の粉飾決算だった
- しかしカネボウは総額2000億円の粉飾を行っており、これと比べて量刑が不当に重いように思う
- 180億円の利益を水増しした日興コーディアルも上場維持されたし、1990年代には日本の銀行のほとんどが不良債権を分割償却するという粉飾決算を行っていたが、刑事事件になったのは日債銀・長銀といった破綻銀行だけである
- 堀江貴文被告は第一審で懲役2年6ヶ月の実刑判決を受けた・・・エンロンやワールドコムでは20年以上だったのに甘い、といったニュアンスでグローバルスタンダード論を振り回すやからも居るが、これも間違いで、こういう厳罰はアメリカだけの特殊な現象え、イギリスではベアリング証券をつぶしたニック・リーソンも4年で出所している
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■インサイダー規制は、サッカーのオフサイドのようなもの
- それ自体がルール違反ではないが、それを許すとゲームがつまらなくなる=資本家が集まらなくなる
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■霞ヶ関の最大の罪は優秀な人材をロックインしていること
- 社会を動かすのは人口の数%のエリートで、そういう人材がどれくらい戦略部門にいるかで国力は決まる
- 霞ヶ関は、戦後しばらくは日本最大の戦略部門だったがいまはお荷物になった
- 重要なのは老人の天下りにヤーヤー文句を言うことではなく、未来のある人材を霞ヶ関から脱出させてチャレンジャーを育てる人的資源の再配分である
Monday, September 10, 2007
9/11 デジタル・コンバージェンスの衝撃 齋藤茂樹
·
■オンデマンドテレビが浸透すると現在のウィンドウ展開の仕組みも変わるかもしれない
- 現在は大ヒット作があるとだんだんにDVD化、テレビ放映と収益力の少ないウィンドウにシフトしていく
- それに対して、オンデマンドテレビはニッチに向けた情報発信が出来るので華氏911みたいなニッチコンテンツを、最初にオンデマンドテレビでリリースしておいて、人気が出るようならネットワークのロードショーにもっていくという低リスクのコンテンツビジネス展開が出来るかもしれない
·
■ライブドアが狙ったのはポニーキャニオンのコンテンツではなく、コンテンツを作って売る仕組みである
- もともとポニーキャニオンがもっているのはDVD化権であってブロードバンドでの配信権を持っているわけではない・・・そんなことは彼らも知っていたはず
- 彼らが狙っていたのは自社で作ったコンテンツをポニーキャニオンの流通ルートに乗っけて販売すること・・・さらには自社で開発するコンテンツにポニーキャニオンの知恵を入れたかったということ
·
■オプティキャストというテクノロジーを使うと、通常のチャンネルなら500、ハイビジョンでも100チャンネルほどを有線で提供できる
- オプティキャストとは、同軸ケーブルの代わりに光ファイバーを使って光周波数多重方式と呼ばれる技術のこと
·
■パソコンをテレビとしても使う、という考え方には無理がある
- もともとパソコンに用いられているメモリーは画像処理には向いていない
·
■オンデマンドテレビで人気の出るコンテンツは、1:キラーコンテンツ、2:過去コンテンツ、3:教育、4:草の根、だろう
·
■ 草の根コンテンツで言えば、たとえばニッチに人気のあるインディーズのバンドなどはありうる
- 全国的な人気のあったインディーズバンド、モンゴル800は、いまでは沖縄に活動拠点を置きながら定期的にCDを発売し、ライブ活動を行っている
- 彼らのように、地元密着型で活動したいと考えているインディーズバンドは多い
- 後は、孫の映像を見たがる祖父母と、それらの映像を共有するといった仕組みがありうる
·
■ラジオ放送は、もともと一対多の無線通信というコンセプトだった
- もともと無線は一対一の通信だった
- これを一対多にすれば布教に利用できると考えた牧師のチャールズ・カフリンが、一対多の「放送」を開始した
·
■アメリカのテレビ業界を特徴付けているルールに「フィンシンルール」と「プライムタイムアクセスルール」の二つがある
- フィンシンルールとは、外部制作会社の作ったコンテンツの権利を、テレビ局は保有できない、としたルールである
- プライムタイムアクセスルールとは、4時間に1時間は三大ネットワークの作った番組以外の番組を流さなければいけないというもの
·
■日本における「キャズム」は利用者数300~500万人くらいのところらしい
- DVD、ISP、携帯電話、ADSLでは利用者が100万人を超えるまでに数年を要しながら、その翌年には500~800万人に利用者が拡大し、さらにその次の年には1500~2000万人まで一気に普及する、という非常に似通ったカーブを描いている
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■オンデマンドテレビが浸透すると現在のウィンドウ展開の仕組みも変わるかもしれない
- 現在は大ヒット作があるとだんだんにDVD化、テレビ放映と収益力の少ないウィンドウにシフトしていく
- それに対して、オンデマンドテレビはニッチに向けた情報発信が出来るので華氏911みたいなニッチコンテンツを、最初にオンデマンドテレビでリリースしておいて、人気が出るようならネットワークのロードショーにもっていくという低リスクのコンテンツビジネス展開が出来るかもしれない
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■ライブドアが狙ったのはポニーキャニオンのコンテンツではなく、コンテンツを作って売る仕組みである
- もともとポニーキャニオンがもっているのはDVD化権であってブロードバンドでの配信権を持っているわけではない・・・そんなことは彼らも知っていたはず
- 彼らが狙っていたのは自社で作ったコンテンツをポニーキャニオンの流通ルートに乗っけて販売すること・・・さらには自社で開発するコンテンツにポニーキャニオンの知恵を入れたかったということ
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■オプティキャストというテクノロジーを使うと、通常のチャンネルなら500、ハイビジョンでも100チャンネルほどを有線で提供できる
- オプティキャストとは、同軸ケーブルの代わりに光ファイバーを使って光周波数多重方式と呼ばれる技術のこと
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■パソコンをテレビとしても使う、という考え方には無理がある
- もともとパソコンに用いられているメモリーは画像処理には向いていない
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■オンデマンドテレビで人気の出るコンテンツは、1:キラーコンテンツ、2:過去コンテンツ、3:教育、4:草の根、だろう
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■ 草の根コンテンツで言えば、たとえばニッチに人気のあるインディーズのバンドなどはありうる
- 全国的な人気のあったインディーズバンド、モンゴル800は、いまでは沖縄に活動拠点を置きながら定期的にCDを発売し、ライブ活動を行っている
- 彼らのように、地元密着型で活動したいと考えているインディーズバンドは多い
- 後は、孫の映像を見たがる祖父母と、それらの映像を共有するといった仕組みがありうる
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■ラジオ放送は、もともと一対多の無線通信というコンセプトだった
- もともと無線は一対一の通信だった
- これを一対多にすれば布教に利用できると考えた牧師のチャールズ・カフリンが、一対多の「放送」を開始した
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■アメリカのテレビ業界を特徴付けているルールに「フィンシンルール」と「プライムタイムアクセスルール」の二つがある
- フィンシンルールとは、外部制作会社の作ったコンテンツの権利を、テレビ局は保有できない、としたルールである
- プライムタイムアクセスルールとは、4時間に1時間は三大ネットワークの作った番組以外の番組を流さなければいけないというもの
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■日本における「キャズム」は利用者数300~500万人くらいのところらしい
- DVD、ISP、携帯電話、ADSLでは利用者が100万人を超えるまでに数年を要しながら、その翌年には500~800万人に利用者が拡大し、さらにその次の年には1500~2000万人まで一気に普及する、という非常に似通ったカーブを描いている
Monday, September 3, 2007
読書日記:ヒトデはクモよりなぜ強い
9/3 ヒトデはクモよりなぜ強い オリ・ブラフマン/ロッド・A・ベックストローム
·
■エルナン・コルテスはアステカを、フランシスコ・ピサロ率いるスペイン軍はインカ帝国を滅ぼした
·
■そのまま快進撃しながら北上したスペイン軍はアパッチ族と対戦し、敗れた
·
■スペイン軍がアパッチに敗れた理由は、アパッチの組織の分権構造に起因する
- アパッチ族が、インカやアステカになかった秘密の武器を持っていたわけではない
- アステカやインカにはトップダウン・中央集権のシステムがあり、これを破壊する・・・つまりアステカにおけるモンテスマ二世、インカ帝国におけるアタワルパ皇帝を殺すことで大混乱を引き起こし、文明を崩壊させた
- 具体的には、コルテスは当時世界最先端の都市システムを持っていたアステカの首都:テノチティトランに食料を持ち込めないようにし、道路と送水路を遮断し、24万人の住人を餓死させた
- しかしアパッチにはそのような中央集権のシステムやインフラが無かった
·
■アパッチには権力を持つ統治者はいないが、ナンタンと呼ばれる精神的・文化的な指導者がおり、これが行動で規範を示し、それに他人が従うことで一種のコーディネイションが生まれていた
- ナンタンは権力を持たない
- 市場最も有名なナンタンがアメリカを相手に何十年も部族を守ったジェロニモである
- ジェロニモは戦いの指揮を執らない・・・ただ武器をもってアメリカと戦う姿勢を見せるだけである・・・それに周りの人が「彼が戦うなら」といってついてった
·
■つまりアパッチの意思決定は分散的である・・・これはつまり誰も重要なことを決定していないと言えるが、一方でそこらじゅうで重要なことが決定されているとも言える
·
■アパッチは攻撃を受けるとより細かいユニットに分かれてさらに分散度を高める・・・・これはナップスターのようなPtoPサービスに非常によく似ている
·
■クモは頭を切り落とすと死んでしまうが、ヒトデにはアタマが無い・・・そして半分に切り離すとそれは二匹のヒトデになってしまう
- ヒトデは神経回路網でできているからそういうことが可能
- リンキアという腕の長いヒトデは、切り落とされた片割れもヒトデになる
- ヒトデが、全体としての動きをどうコーディネイトしているのか、という点についてはまだわかっていない
·
■ヒトデに似た組織は、世の中に結構あってなるほどうまくいっているのが多い
- たとえばアルコホリックス・アノニマスはオーナーもいないし出入りも自由だが、非常に強力なアル中治療のコミュニティである
·
■業界内で分散化の度合いが高まると、通常は業界内に留保される利益は少なくなる
- PtoPサービスによって大手レコード業界は売り上げの25%を失ったが、それがPtoPサービス業者に入ったわけではない・・・この25%は文字通り、“失われた”のである
·
■権限を分散させると混乱が生じるが、一方でそこには創造性も生まれる
·
■分散されたネットワークの人々の価値を引き出す人を触媒というが、触媒の人に共通して見られる特徴は「説得しないで共感する」という力の持ち主であるということだ
- 情熱的なのと押しが強いのは違う・・・触媒の人々は人に無理強いするのではなく、肯定することで人を仲間にしていく
- 著名な心理学者のカール・ロジャースは、専門家気取りの助言は、相手のためを思ったものであったとしても逆効果だと警告している・・・強く説得的に言われると、人は心を閉じてしまい、変わろうとしなくなってしまう
- ロジャースは言う・・・人の態度を変えさせたければ、相手の経験を肯定するのがもっとも効果的であると
·
■あいまいさに対して寛容であることは触媒にとって必須の性質である
- 触媒の人にインタビューすると、しばしば「わからない」という返答が来る
- 実際には、わからない、というよりわかりようがない、というのがその答えである
- わかりようがない状態が通常であるのでこれに秩序を求めたりしてはいけない
·
■ヒトデ型組織を攻撃するには、頭を切り離すのではなく、組織の末端が動くインセンティブを取り除くことが有効である
- ジャミイボラ信託は、ケニアのスラム:キベラで貧困に苦しむ人達用に、自分でビジネスを始める、自己投資をする人たちのための資金提供を行っている
- この信託によって犯罪やテロに手を染めようとしていた若者がまっとうな人生を歩む道に帰ってきている
- そして、この仕組みはアルカイダに対する最高の攻撃になっている・・・・スラムは絶望的な場所であり、望みが無いからテロでもやるか、といったように多くのテロリストが生まれてきた・・・しかし今は彼らはテロに手を染めない・・・なぜなら彼らには「希望」があるから
·
■アルカイダを壊滅させるためには機関銃ではなく希望が必要なのである
- アメリカがアルカイダに宣戦布告して軍隊を派遣したのはまったくアルカイダという組織の形質をまったく理解していないから
- どこにもアタマが無い、どこにも急所が無い組織である以上、どこを攻撃してもアメーバ状に変形するだけで意味が無い
- それよりも、アルカイダの組織の末端を形成する絶望した若者たちに「希望」を与えることでテロ活動を行うための誘引を失わせしめれば、アルカイダは自然に崩壊する
- これは貧困を救うのに食べ物を与えるのではなく、食べ物の作り方を教えてあげるのに似ていないか?
·
■君たちのやっていることを止めなさい、というお説教を「こんなのクールじゃないよね」といった、ティーンエイジャーのまねをしようとした大人たちから聞くほどいやなことは無い
- レーガン元大統領夫人の薬物撲滅キャンペーンの「Just say no」も海賊版撲滅ののキャンペーンもみな失敗した
- 何かイデオロギーができてしまったらそれを真正面から変えるのは難しい
- ではどうやったら変えるのか?
·
■アパッチは、長らくスペインやアメリカの攻撃に耐えたにもかかわらず、ある方策によって簡単に崩壊してしまった
- 文化人類学者のトム・ネビンズは解説する「アパッチ族は1914年までずっと脅威だった・・・そこで、アメリカ人はアパッチ族のリーダーであるナンタンに蓄牛を与えて、その社会を崩壊させたのです・・・実に簡単なことでした」
- いったんナンタンが牛という財産を手に入れると、それまで観念上のものだった彼らのリーダーシップは、物質的な差異・・・持てるものと持たざるものに変化した
- 以前は自らの行動で規範となっていた人物が、蓄牛を分け与えたり、分け与えなかったりすることでアパッチ族の人々に報いたり罰したりするようになった
- 権威的な力を持つとナンタンたちは創設されたアパッチ族内部の議会の議席を争うようになり、米国企業のエグゼクティブのような行動をとり始めた
- アパッチ族の人々も、より多くの資源配分を要求するようになり思い通りに分配されないと気を悪くしたり、争いが起こるようになった
- こうして中央集権的な権力構造が生まれた結果、アメリカ社会にアパッチ族は取り込まれることになったのである
·
■アルコホリック・アノニマスでも同様のことがおき、組織は変質した
- アルコホリック・アノニマスでは、それまでの共和制的な運営が、いったん発行した本がベストセラーになって莫大な印税が組織に入るにつれ、その分配をめぐって権力争いが発生し、やがて権力の集中化が起こった・・・
- これはウィキペディアでも起こる可能性がある
·
■新しい世界を予測するのはいつも難しい・・・
- ポール・スターは著書「クリエーション・オブ・ザ・メディア」でこう述べている
- 1917年に権力を握った旧ソ連の支配者は、当時、ほかの多くの国がそうしていたように電話ネットワークに投資することもできた
- しかし彼らはそうせず、当時登場してきたばかりの別のテクノロジーに力を注いだ・・・それは拡声器である
- ソ連は国中に電話線を張り巡らせる代わりに、国のいたるところに数え切れないほどの拡声器を設置し、愛国的な歌や共産党の演説を流したいときにすぐさま流したいだけ流せるインフラを作った
- 経済発展のため、知の創発のためには一般個人のコミュニケーションが重要であるにもかかわらず・・・・
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■エルナン・コルテスはアステカを、フランシスコ・ピサロ率いるスペイン軍はインカ帝国を滅ぼした
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■そのまま快進撃しながら北上したスペイン軍はアパッチ族と対戦し、敗れた
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■スペイン軍がアパッチに敗れた理由は、アパッチの組織の分権構造に起因する
- アパッチ族が、インカやアステカになかった秘密の武器を持っていたわけではない
- アステカやインカにはトップダウン・中央集権のシステムがあり、これを破壊する・・・つまりアステカにおけるモンテスマ二世、インカ帝国におけるアタワルパ皇帝を殺すことで大混乱を引き起こし、文明を崩壊させた
- 具体的には、コルテスは当時世界最先端の都市システムを持っていたアステカの首都:テノチティトランに食料を持ち込めないようにし、道路と送水路を遮断し、24万人の住人を餓死させた
- しかしアパッチにはそのような中央集権のシステムやインフラが無かった
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■アパッチには権力を持つ統治者はいないが、ナンタンと呼ばれる精神的・文化的な指導者がおり、これが行動で規範を示し、それに他人が従うことで一種のコーディネイションが生まれていた
- ナンタンは権力を持たない
- 市場最も有名なナンタンがアメリカを相手に何十年も部族を守ったジェロニモである
- ジェロニモは戦いの指揮を執らない・・・ただ武器をもってアメリカと戦う姿勢を見せるだけである・・・それに周りの人が「彼が戦うなら」といってついてった
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■つまりアパッチの意思決定は分散的である・・・これはつまり誰も重要なことを決定していないと言えるが、一方でそこらじゅうで重要なことが決定されているとも言える
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■アパッチは攻撃を受けるとより細かいユニットに分かれてさらに分散度を高める・・・・これはナップスターのようなPtoPサービスに非常によく似ている
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■クモは頭を切り落とすと死んでしまうが、ヒトデにはアタマが無い・・・そして半分に切り離すとそれは二匹のヒトデになってしまう
- ヒトデは神経回路網でできているからそういうことが可能
- リンキアという腕の長いヒトデは、切り落とされた片割れもヒトデになる
- ヒトデが、全体としての動きをどうコーディネイトしているのか、という点についてはまだわかっていない
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■ヒトデに似た組織は、世の中に結構あってなるほどうまくいっているのが多い
- たとえばアルコホリックス・アノニマスはオーナーもいないし出入りも自由だが、非常に強力なアル中治療のコミュニティである
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■業界内で分散化の度合いが高まると、通常は業界内に留保される利益は少なくなる
- PtoPサービスによって大手レコード業界は売り上げの25%を失ったが、それがPtoPサービス業者に入ったわけではない・・・この25%は文字通り、“失われた”のである
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■権限を分散させると混乱が生じるが、一方でそこには創造性も生まれる
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■分散されたネットワークの人々の価値を引き出す人を触媒というが、触媒の人に共通して見られる特徴は「説得しないで共感する」という力の持ち主であるということだ
- 情熱的なのと押しが強いのは違う・・・触媒の人々は人に無理強いするのではなく、肯定することで人を仲間にしていく
- 著名な心理学者のカール・ロジャースは、専門家気取りの助言は、相手のためを思ったものであったとしても逆効果だと警告している・・・強く説得的に言われると、人は心を閉じてしまい、変わろうとしなくなってしまう
- ロジャースは言う・・・人の態度を変えさせたければ、相手の経験を肯定するのがもっとも効果的であると
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■あいまいさに対して寛容であることは触媒にとって必須の性質である
- 触媒の人にインタビューすると、しばしば「わからない」という返答が来る
- 実際には、わからない、というよりわかりようがない、というのがその答えである
- わかりようがない状態が通常であるのでこれに秩序を求めたりしてはいけない
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■ヒトデ型組織を攻撃するには、頭を切り離すのではなく、組織の末端が動くインセンティブを取り除くことが有効である
- ジャミイボラ信託は、ケニアのスラム:キベラで貧困に苦しむ人達用に、自分でビジネスを始める、自己投資をする人たちのための資金提供を行っている
- この信託によって犯罪やテロに手を染めようとしていた若者がまっとうな人生を歩む道に帰ってきている
- そして、この仕組みはアルカイダに対する最高の攻撃になっている・・・・スラムは絶望的な場所であり、望みが無いからテロでもやるか、といったように多くのテロリストが生まれてきた・・・しかし今は彼らはテロに手を染めない・・・なぜなら彼らには「希望」があるから
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■アルカイダを壊滅させるためには機関銃ではなく希望が必要なのである
- アメリカがアルカイダに宣戦布告して軍隊を派遣したのはまったくアルカイダという組織の形質をまったく理解していないから
- どこにもアタマが無い、どこにも急所が無い組織である以上、どこを攻撃してもアメーバ状に変形するだけで意味が無い
- それよりも、アルカイダの組織の末端を形成する絶望した若者たちに「希望」を与えることでテロ活動を行うための誘引を失わせしめれば、アルカイダは自然に崩壊する
- これは貧困を救うのに食べ物を与えるのではなく、食べ物の作り方を教えてあげるのに似ていないか?
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■君たちのやっていることを止めなさい、というお説教を「こんなのクールじゃないよね」といった、ティーンエイジャーのまねをしようとした大人たちから聞くほどいやなことは無い
- レーガン元大統領夫人の薬物撲滅キャンペーンの「Just say no」も海賊版撲滅ののキャンペーンもみな失敗した
- 何かイデオロギーができてしまったらそれを真正面から変えるのは難しい
- ではどうやったら変えるのか?
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■アパッチは、長らくスペインやアメリカの攻撃に耐えたにもかかわらず、ある方策によって簡単に崩壊してしまった
- 文化人類学者のトム・ネビンズは解説する「アパッチ族は1914年までずっと脅威だった・・・そこで、アメリカ人はアパッチ族のリーダーであるナンタンに蓄牛を与えて、その社会を崩壊させたのです・・・実に簡単なことでした」
- いったんナンタンが牛という財産を手に入れると、それまで観念上のものだった彼らのリーダーシップは、物質的な差異・・・持てるものと持たざるものに変化した
- 以前は自らの行動で規範となっていた人物が、蓄牛を分け与えたり、分け与えなかったりすることでアパッチ族の人々に報いたり罰したりするようになった
- 権威的な力を持つとナンタンたちは創設されたアパッチ族内部の議会の議席を争うようになり、米国企業のエグゼクティブのような行動をとり始めた
- アパッチ族の人々も、より多くの資源配分を要求するようになり思い通りに分配されないと気を悪くしたり、争いが起こるようになった
- こうして中央集権的な権力構造が生まれた結果、アメリカ社会にアパッチ族は取り込まれることになったのである
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■アルコホリック・アノニマスでも同様のことがおき、組織は変質した
- アルコホリック・アノニマスでは、それまでの共和制的な運営が、いったん発行した本がベストセラーになって莫大な印税が組織に入るにつれ、その分配をめぐって権力争いが発生し、やがて権力の集中化が起こった・・・
- これはウィキペディアでも起こる可能性がある
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■新しい世界を予測するのはいつも難しい・・・
- ポール・スターは著書「クリエーション・オブ・ザ・メディア」でこう述べている
- 1917年に権力を握った旧ソ連の支配者は、当時、ほかの多くの国がそうしていたように電話ネットワークに投資することもできた
- しかし彼らはそうせず、当時登場してきたばかりの別のテクノロジーに力を注いだ・・・それは拡声器である
- ソ連は国中に電話線を張り巡らせる代わりに、国のいたるところに数え切れないほどの拡声器を設置し、愛国的な歌や共産党の演説を流したいときにすぐさま流したいだけ流せるインフラを作った
- 経済発展のため、知の創発のためには一般個人のコミュニケーションが重要であるにもかかわらず・・・・
Wednesday, August 29, 2007
読書日記:歴史家の自画像
8/28 歴史家の自画像 阿部謹也
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■昔の人は、今の人とぜんぜん違う
- 時代劇とかは舞台が昔なだけで、現代人のドラマ
- 歴史家が中世とか江戸のものをやろうとすれば、そこでは現代人とまったく違う人が出てくるドラマになる・・・面白そうでしょう
- ただ、それをやると読者とか視聴者は自分を投影できなくなるので戸惑う
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■ラテラノの公会議は歴史的な事件だ
- 告白をシステム化し、近代的自我の成立を促した
- フーコーもそう言っている
·
■ものを考えるのは一瞬
- じっと考えるのではない
- 一瞬の密度が大事・・・その密度が薄れてきたらもう研究者としてはダメ
·
■三大宗教とローカルの宗教、違いは経典の有無にある
- 経典があることで伝達や解釈が可能になる
·
■生活に根ざした習慣から変えないとルールというのは変えられない
- 贈与とか贈答とかが人間関係の基本にある
- 汚職の追放をやる、ということになるんだったらお歳暮・お中元は一切禁止と、それくらいのことをやる覚悟がないと根絶できない
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■日本は西欧文明の受け止め方を失敗した
- 文化というのは特定の地域に生まれ、特定の人間によって担われている・・・不合理なものを含まざるを得ないものだ
- 西欧文化というものは西欧社会の中で、特定の地域において、特定の人間集団によって担われてきた不合理なものを含む、感性に訴えるものとしてわれわれは受け止めず、むしろ普遍的なもの、合理的なものとして受け入れてしまった
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■文化と文明は違う
- 文明は開かれているが文化をよそ者を拒絶する
- 高村光太郎は日本を捨ててパリに行ったけれども、そこで拒絶されてノイローゼになって帰ってきた・・・・漱石もそう
- 日本人だって外国人が源氏物語を研究していると聞くと「大変ですね」とか口では言うけど、内心では「おまえにわかるものか」と吐き捨てている
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■文化が文明になるためには他民族を飲み込まなければいけない
- 日本は他民族を支配した経験がない・・・・朝鮮とか台湾には多少支配を及ぼしたけれども、そのときには日本語とか日本文化を押し付けて、うまくいかなかった
- 本当に永続的に支配しようと思えば、支配する者は支配される者から取り込まなければならない
- 支配するものが変質することによって支配は存続する
- ローマは、異民族支配をしてきたために文化から文明になった
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■ルネサンス以降の人間は世界を急進的に理解する
- 自分の中にいったん取り込んで理解する
- 中世の人は逆で、自分を世界に投影して理解する
- その例がたとえば星座である
·
■個人の解放を現代的なコンテキストだけで理解するべきではない
- 個人が解放された・・・近代の勝利だ・・・・まことにその通りなのだが、その渦中にあった人たちはずいぶんつらい思いをしている
- その苦労が実は近代人を生んでいくのだが、中にはそういう自由に耐えられない人も出てくる
- エーリッヒ・フロムは「自由からの逃走」で、自由のしんどさを描いた・・・
- このころに本意ではないのに解放されてしまった人はしんどい思いをしたのではないか
·
■昔の人は、今の人とぜんぜん違う
- 時代劇とかは舞台が昔なだけで、現代人のドラマ
- 歴史家が中世とか江戸のものをやろうとすれば、そこでは現代人とまったく違う人が出てくるドラマになる・・・面白そうでしょう
- ただ、それをやると読者とか視聴者は自分を投影できなくなるので戸惑う
·
■ラテラノの公会議は歴史的な事件だ
- 告白をシステム化し、近代的自我の成立を促した
- フーコーもそう言っている
·
■ものを考えるのは一瞬
- じっと考えるのではない
- 一瞬の密度が大事・・・その密度が薄れてきたらもう研究者としてはダメ
·
■三大宗教とローカルの宗教、違いは経典の有無にある
- 経典があることで伝達や解釈が可能になる
·
■生活に根ざした習慣から変えないとルールというのは変えられない
- 贈与とか贈答とかが人間関係の基本にある
- 汚職の追放をやる、ということになるんだったらお歳暮・お中元は一切禁止と、それくらいのことをやる覚悟がないと根絶できない
·
■日本は西欧文明の受け止め方を失敗した
- 文化というのは特定の地域に生まれ、特定の人間によって担われている・・・不合理なものを含まざるを得ないものだ
- 西欧文化というものは西欧社会の中で、特定の地域において、特定の人間集団によって担われてきた不合理なものを含む、感性に訴えるものとしてわれわれは受け止めず、むしろ普遍的なもの、合理的なものとして受け入れてしまった
·
■文化と文明は違う
- 文明は開かれているが文化をよそ者を拒絶する
- 高村光太郎は日本を捨ててパリに行ったけれども、そこで拒絶されてノイローゼになって帰ってきた・・・・漱石もそう
- 日本人だって外国人が源氏物語を研究していると聞くと「大変ですね」とか口では言うけど、内心では「おまえにわかるものか」と吐き捨てている
·
■文化が文明になるためには他民族を飲み込まなければいけない
- 日本は他民族を支配した経験がない・・・・朝鮮とか台湾には多少支配を及ぼしたけれども、そのときには日本語とか日本文化を押し付けて、うまくいかなかった
- 本当に永続的に支配しようと思えば、支配する者は支配される者から取り込まなければならない
- 支配するものが変質することによって支配は存続する
- ローマは、異民族支配をしてきたために文化から文明になった
·
■ルネサンス以降の人間は世界を急進的に理解する
- 自分の中にいったん取り込んで理解する
- 中世の人は逆で、自分を世界に投影して理解する
- その例がたとえば星座である
·
■個人の解放を現代的なコンテキストだけで理解するべきではない
- 個人が解放された・・・近代の勝利だ・・・・まことにその通りなのだが、その渦中にあった人たちはずいぶんつらい思いをしている
- その苦労が実は近代人を生んでいくのだが、中にはそういう自由に耐えられない人も出てくる
- エーリッヒ・フロムは「自由からの逃走」で、自由のしんどさを描いた・・・
- このころに本意ではないのに解放されてしまった人はしんどい思いをしたのではないか
Sunday, August 26, 2007
読書日記:生物と無生物のあいだ
8/27 生物と無生物のあいだ 福岡伸一
ムチャクチャ面白かったです。生命科学も、ある程度以上踏み込んで考察するとそこに
美しさがありますね。深みのある本でした。
·
■野口英世は生活破綻者だった
- 結婚詐欺まがいのことを繰り返す
- 支援者や婚約者を裏切り続けた
- お札になったのは皮肉・・・樋口一葉も人格的にはお札に最も遠い
·
■生物が原子に比べてかくも巨大になったのは活動の精度を高めるためである
- シュレーディンガーは問う、なぜ人間やその他の生命は原子に比べてかくも巨大になったのか?例えば原子100個からなる生命体というのはなぜ存在しないのか?
- その答えは平方根の法則にある
- 標準から外れて例外的な動きをする粒子は、全体の数の平方根だけ存在する・・・つまり100個の粒子があればルート100・・・10個の粒子は例外的な動きをすることになり、つまり原子100個の生命体があればその一割は全体とは異なる動きをすることになる・・・これは生命体の秩序を維持する上では致命的に高い確率である
- 一方、100万個の原子からなる生命体を考えて見ると、その平方根である1000個の原子が例外的な振る舞いをすることになるが、これは1千/100万になり、つまり0.1%になり格段に下がる
- 実際の生命体は100万どころかその数億倍の原子からなっている・・・生命現象に参加する粒子の数が多くなればなるほど平方根の法則によって誤差率は下がる・・・・これが生命体が原子と比べて際立って大きいことの物理的な理由だとシュレーディンガーは言っているのである
·
■成熟した生命体で、成長が殆ど無くなった状態でも摂取された食物は体を構成する要素になっている・・・一年経つと人間も分子レベルではすっかり入れ替わってしまう
- 窒素は原子番号7の元素で原子核には中性子が7個、陽子が7個あってその質量数は14になるが、ごくまれに陽子が8個ある重窒素がある
- これをネズミに取り込ませてそれがどこに行くのかをチェースしていく
- 当初は大人のネズミであるから体に取り込まれるよりもエネルギーとして燃焼され、排泄物の中に現れるだろうと予測されていた
- ところが、実際には排泄されてしまったのは3割程度で、残りは内臓や血清に取り込まれていた
- しかも、より消耗が激しいと思われていた筋肉たんぱく質への取り込みは少なかった
- つまり「お変わりありませんね」と言ったりするが、一年もあっていないと分子レベルではすっかり入れ替わってしまうのである
·
■生命体の特質はエントロピー増大の法則に抗って秩序を維持するところにある
- エントロピーはカオスに向けて無限に増大する
- 高分子は酸化し、分断される・・・集合体は離散し、反応は乱れる
- 生命体は、やがて崩壊する構成成分をあえて先回りして分解し、このような乱雑さが蓄積する速度よりも速く常に再構築を行うことで秩序を維持している
- エントロピー増大の法則に抗うにはシステムの耐久性と構造を強化するのではなく、むしろその仕組み自体を流れの中におくことにある・・・つまり「流れ」こそが生物の内部に必然的に発生するエントロピーを排出する機能になっている
- では、絶え間なく壊されているにも関わらず、秩序はなぜ維持されるのだろうか?なぜ、動的平行は均衡するのか?
·
■生命体は流れの中にあるジグソーパズルである
- 絶え間ない破壊と秩序維持、この相矛盾するシステムが維持されるポイントは相補性にある
- ジグソーパズルのピースをなくした人用に、ピースを送ってくれるサービスがある・・・・その際、メーカーにはなくなってしまったピースの周囲8個を送るように支持される・・・・周囲の8個があれば無くなったピースの形が特定されるのである・・・つまり、ピースは手元に無かったとしても相補性のある相方がいれば、そのピースを特定できるのである
- 人間の体もこれと同じで、数兆個からなるピースで出来たジグソーパズルと考えればわかりやすい
- ピースピースは絶え間なく破壊され、傷ついていく・・・しかしその都度、新しいピースがまた生まれていく・・・生まれるピースはピースそのものに設計図があると考えるより「どこにはまるピースなのか」という側面から生産されていく
- そしてある時間がたつとすべてのピースが新しいものに入れ替わっていくのである・・・しかし絵柄は以前と変わらない・・・すべてのピースが常時入れ替わっているにも関わらず、すべてが入れ替わった後でも絵柄は変わらないのである・・これが相補性の本質である
·
■細胞が、過酷な外部から内部を守りながらも分泌物を外部に放出するために「内部に外部」を作っている
- 細胞壁は過酷な外部環境から生命体の内部を守っている
- しかし、細胞は一方で分泌物を外部に対して放出する機能も担っている
- この防御しつつ、放出するという機能をまっとうするために、細胞は一度、内部に外部を作り、その内部の外部に分泌物を出してから、徐々にその内部の外部を端っこに寄せて外に放出しているのである
- 細胞をやわらかい風船と考えれば、その風船をへこませて凹みをずっと内部に持っていて、外側のあいた部分を塞ぐと、内部に外部ができることになる・・その段階で分泌を行ってから、再度、それを壁まで持っていくことで、外部からの攻撃リスクを最小化しつつ分泌を行っているのである
ムチャクチャ面白かったです。生命科学も、ある程度以上踏み込んで考察するとそこに
美しさがありますね。深みのある本でした。
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■野口英世は生活破綻者だった
- 結婚詐欺まがいのことを繰り返す
- 支援者や婚約者を裏切り続けた
- お札になったのは皮肉・・・樋口一葉も人格的にはお札に最も遠い
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■生物が原子に比べてかくも巨大になったのは活動の精度を高めるためである
- シュレーディンガーは問う、なぜ人間やその他の生命は原子に比べてかくも巨大になったのか?例えば原子100個からなる生命体というのはなぜ存在しないのか?
- その答えは平方根の法則にある
- 標準から外れて例外的な動きをする粒子は、全体の数の平方根だけ存在する・・・つまり100個の粒子があればルート100・・・10個の粒子は例外的な動きをすることになり、つまり原子100個の生命体があればその一割は全体とは異なる動きをすることになる・・・これは生命体の秩序を維持する上では致命的に高い確率である
- 一方、100万個の原子からなる生命体を考えて見ると、その平方根である1000個の原子が例外的な振る舞いをすることになるが、これは1千/100万になり、つまり0.1%になり格段に下がる
- 実際の生命体は100万どころかその数億倍の原子からなっている・・・生命現象に参加する粒子の数が多くなればなるほど平方根の法則によって誤差率は下がる・・・・これが生命体が原子と比べて際立って大きいことの物理的な理由だとシュレーディンガーは言っているのである
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■成熟した生命体で、成長が殆ど無くなった状態でも摂取された食物は体を構成する要素になっている・・・一年経つと人間も分子レベルではすっかり入れ替わってしまう
- 窒素は原子番号7の元素で原子核には中性子が7個、陽子が7個あってその質量数は14になるが、ごくまれに陽子が8個ある重窒素がある
- これをネズミに取り込ませてそれがどこに行くのかをチェースしていく
- 当初は大人のネズミであるから体に取り込まれるよりもエネルギーとして燃焼され、排泄物の中に現れるだろうと予測されていた
- ところが、実際には排泄されてしまったのは3割程度で、残りは内臓や血清に取り込まれていた
- しかも、より消耗が激しいと思われていた筋肉たんぱく質への取り込みは少なかった
- つまり「お変わりありませんね」と言ったりするが、一年もあっていないと分子レベルではすっかり入れ替わってしまうのである
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■生命体の特質はエントロピー増大の法則に抗って秩序を維持するところにある
- エントロピーはカオスに向けて無限に増大する
- 高分子は酸化し、分断される・・・集合体は離散し、反応は乱れる
- 生命体は、やがて崩壊する構成成分をあえて先回りして分解し、このような乱雑さが蓄積する速度よりも速く常に再構築を行うことで秩序を維持している
- エントロピー増大の法則に抗うにはシステムの耐久性と構造を強化するのではなく、むしろその仕組み自体を流れの中におくことにある・・・つまり「流れ」こそが生物の内部に必然的に発生するエントロピーを排出する機能になっている
- では、絶え間なく壊されているにも関わらず、秩序はなぜ維持されるのだろうか?なぜ、動的平行は均衡するのか?
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■生命体は流れの中にあるジグソーパズルである
- 絶え間ない破壊と秩序維持、この相矛盾するシステムが維持されるポイントは相補性にある
- ジグソーパズルのピースをなくした人用に、ピースを送ってくれるサービスがある・・・・その際、メーカーにはなくなってしまったピースの周囲8個を送るように支持される・・・・周囲の8個があれば無くなったピースの形が特定されるのである・・・つまり、ピースは手元に無かったとしても相補性のある相方がいれば、そのピースを特定できるのである
- 人間の体もこれと同じで、数兆個からなるピースで出来たジグソーパズルと考えればわかりやすい
- ピースピースは絶え間なく破壊され、傷ついていく・・・しかしその都度、新しいピースがまた生まれていく・・・生まれるピースはピースそのものに設計図があると考えるより「どこにはまるピースなのか」という側面から生産されていく
- そしてある時間がたつとすべてのピースが新しいものに入れ替わっていくのである・・・しかし絵柄は以前と変わらない・・・すべてのピースが常時入れ替わっているにも関わらず、すべてが入れ替わった後でも絵柄は変わらないのである・・これが相補性の本質である
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■細胞が、過酷な外部から内部を守りながらも分泌物を外部に放出するために「内部に外部」を作っている
- 細胞壁は過酷な外部環境から生命体の内部を守っている
- しかし、細胞は一方で分泌物を外部に対して放出する機能も担っている
- この防御しつつ、放出するという機能をまっとうするために、細胞は一度、内部に外部を作り、その内部の外部に分泌物を出してから、徐々にその内部の外部を端っこに寄せて外に放出しているのである
- 細胞をやわらかい風船と考えれば、その風船をへこませて凹みをずっと内部に持っていて、外側のあいた部分を塞ぐと、内部に外部ができることになる・・その段階で分泌を行ってから、再度、それを壁まで持っていくことで、外部からの攻撃リスクを最小化しつつ分泌を行っているのである
Wednesday, August 22, 2007
読書日記:リクルートのDNA 江副浩正
8/23 リクルートのDNA 江副浩正
■易径の言葉に「窮すれば変じ、変ずれば通じ、通ずれば久し」という言葉がある
■リクルートのDNAに「失敗に寛容な会社」というのがある
- 事業撤退のときは盛大にパーティを行い、担当者をねぎらう
■健全な赤字事業を持つことを良しとしなければいけない
- 事業は永遠ではない・・・今好調の事業もいずれ衰退する
- そのときのために次の成長の芽を常に持っていなくてはならない
■人と会うときは出来る限り一人がいい
- 松下幸之助はリクルートのインタビューに一人で出てきて、インタビューチームが5人なのをみて「オタクはえらい儲かってるね」と揶揄された
■適材適所の見極めが経営の真髄である
- 人には得手不得手がある・・・誰に、どの仕事を、どこまで要望するかが大事やなあ(by松下幸之助)
■学歴は商売にはジャマ
- 事業アイデアを大学教授に話したら「うまくいかない」といわれ、社内の高卒の研究員に話したら「おもろいからやりましょ」となり、結局うまく行った(by井植歳男)
■商売に公私混同はだめ
- 自分のスキー場でも金はちゃんと払う
- 労使交渉でもめていた際、社員食堂できちんとお金を払っているところを見た労働組合から自主的に解散したいという話しを受けた(盛岡グランドホテルの再建時のエピソード)
- 不動産をやっていると金で誘惑してくるのが沢山出てくる・・・そういう話に乗るとやがて身を滅ぼす(三井不動産の江戸社長)
■ホンダのために働くのではなく自分のために働く人が欲しい(by本田宗一郎)
■大賀典夫はトライリンガルだった
- 英語とドイツ語に堪能
■先生・師と呼べる人を持ちなさい
- 大賀さん、盛田さんにとってはカラヤンが先生だった
- 自分にとってはデザイナーの亀倉雄策氏が先生だった
■現場に出て判断しろ
- セブンイレブンの鈴木敏文はセブンイレブンの実験店舗で一年間働き、アメリカのノウハウをそのまま持ってくるのではセブンイレブンはうまく行かない、という判断をした→基本的にフランチャイジーだが直営店を運営して顧客ニーズをキチンと取り込んでいくことをやっていかないとダメ
■森ビルの成功要因は地権者との共同事業化にある
- 森ビルのナンバービルの殆どは地権者との共同事業である
- つまり、一人の地権者の反対があっても出来ないため、粘り強い交渉が必要になる
- アークヒルズ、六本木ヒルズ、表参道ヒルズも権利調整の交渉に20年近く要している
- 森ビルは権利調整の専門家集団としての能力を鍛え上げることで日本有数の
■就職情報誌のアイデアはアメリカから輸入した
- 新聞への就職広告への斡旋だけではダメだと考え、アメリカの就職情報誌を日本で出来ないかと考えた
■ことあるごとにモチベーションを高る仕組みを行う
- リクルートファームで社員でキャンプファイヤーし、夜通し語ることで連帯感を強める
- 目標を達成してハワイに行こうという企画で報われ感・盛り上がり感を醸成する
- 改善アイデアの全国コンテストを行い、出てきたアイデアを即時に経営に繁栄する
■就職情報の売上は全部書店に上げている
- 広告だけで儲かっているので本の売上は書店にあげても大丈夫
- そのおかげで取次ぎを使っていないのに置いてくれる店、それも店の一番いい棚に置いてくれる店が増えた
■事業の開始はボトムアップで、撤退はトップダウンで決めるべき
- 事業を始めた担当者は、事業がどんなに難しい局面になっても「もう少しでよくなる、まだ続けさせて欲しい」といい続ける
- 内心は難しいと思っていても、なかなか止めましょう、とは言い出せない
- 難しい局面が長く続きすぎると人材もモチベーションが低くなって輝きを失う
- そんなときはトップが撤退を決断し、苦しい思いを背負うべきである
■易径の言葉に「窮すれば変じ、変ずれば通じ、通ずれば久し」という言葉がある
■リクルートのDNAに「失敗に寛容な会社」というのがある
- 事業撤退のときは盛大にパーティを行い、担当者をねぎらう
■健全な赤字事業を持つことを良しとしなければいけない
- 事業は永遠ではない・・・今好調の事業もいずれ衰退する
- そのときのために次の成長の芽を常に持っていなくてはならない
■人と会うときは出来る限り一人がいい
- 松下幸之助はリクルートのインタビューに一人で出てきて、インタビューチームが5人なのをみて「オタクはえらい儲かってるね」と揶揄された
■適材適所の見極めが経営の真髄である
- 人には得手不得手がある・・・誰に、どの仕事を、どこまで要望するかが大事やなあ(by松下幸之助)
■学歴は商売にはジャマ
- 事業アイデアを大学教授に話したら「うまくいかない」といわれ、社内の高卒の研究員に話したら「おもろいからやりましょ」となり、結局うまく行った(by井植歳男)
■商売に公私混同はだめ
- 自分のスキー場でも金はちゃんと払う
- 労使交渉でもめていた際、社員食堂できちんとお金を払っているところを見た労働組合から自主的に解散したいという話しを受けた(盛岡グランドホテルの再建時のエピソード)
- 不動産をやっていると金で誘惑してくるのが沢山出てくる・・・そういう話に乗るとやがて身を滅ぼす(三井不動産の江戸社長)
■ホンダのために働くのではなく自分のために働く人が欲しい(by本田宗一郎)
■大賀典夫はトライリンガルだった
- 英語とドイツ語に堪能
■先生・師と呼べる人を持ちなさい
- 大賀さん、盛田さんにとってはカラヤンが先生だった
- 自分にとってはデザイナーの亀倉雄策氏が先生だった
■現場に出て判断しろ
- セブンイレブンの鈴木敏文はセブンイレブンの実験店舗で一年間働き、アメリカのノウハウをそのまま持ってくるのではセブンイレブンはうまく行かない、という判断をした→基本的にフランチャイジーだが直営店を運営して顧客ニーズをキチンと取り込んでいくことをやっていかないとダメ
■森ビルの成功要因は地権者との共同事業化にある
- 森ビルのナンバービルの殆どは地権者との共同事業である
- つまり、一人の地権者の反対があっても出来ないため、粘り強い交渉が必要になる
- アークヒルズ、六本木ヒルズ、表参道ヒルズも権利調整の交渉に20年近く要している
- 森ビルは権利調整の専門家集団としての能力を鍛え上げることで日本有数の
■就職情報誌のアイデアはアメリカから輸入した
- 新聞への就職広告への斡旋だけではダメだと考え、アメリカの就職情報誌を日本で出来ないかと考えた
■ことあるごとにモチベーションを高る仕組みを行う
- リクルートファームで社員でキャンプファイヤーし、夜通し語ることで連帯感を強める
- 目標を達成してハワイに行こうという企画で報われ感・盛り上がり感を醸成する
- 改善アイデアの全国コンテストを行い、出てきたアイデアを即時に経営に繁栄する
■就職情報の売上は全部書店に上げている
- 広告だけで儲かっているので本の売上は書店にあげても大丈夫
- そのおかげで取次ぎを使っていないのに置いてくれる店、それも店の一番いい棚に置いてくれる店が増えた
■事業の開始はボトムアップで、撤退はトップダウンで決めるべき
- 事業を始めた担当者は、事業がどんなに難しい局面になっても「もう少しでよくなる、まだ続けさせて欲しい」といい続ける
- 内心は難しいと思っていても、なかなか止めましょう、とは言い出せない
- 難しい局面が長く続きすぎると人材もモチベーションが低くなって輝きを失う
- そんなときはトップが撤退を決断し、苦しい思いを背負うべきである
Tuesday, August 21, 2007
読書日記:日本人の足を早くする
8/17 日本人の足を早くする 為末大
■早く走るには「こけそうになるのをこらえる」という意識に変えることが必要
- こけそうになるのをおさえるという意識で走ると早く走れる
- ももを高く上げようとか、地面を強くけろうとか意識しないで、体が前に倒れこんでいく力を利用する
- イメージとしてはスリッパで早く走る、すり足のイメージ
- 黒人とは骨格が違うのだからフォームも違って当たり前
■一発屋なりの戦い方がある
- 平均して高いアベレージを出すことは日本人には難しい
- 逆に、あえて大きな波を作り反動を付けて求められる日時に最高の結果にもって行く「一発屋」の発想が必要
■早く走るには「こけそうになるのをこらえる」という意識に変えることが必要
- こけそうになるのをおさえるという意識で走ると早く走れる
- ももを高く上げようとか、地面を強くけろうとか意識しないで、体が前に倒れこんでいく力を利用する
- イメージとしてはスリッパで早く走る、すり足のイメージ
- 黒人とは骨格が違うのだからフォームも違って当たり前
■一発屋なりの戦い方がある
- 平均して高いアベレージを出すことは日本人には難しい
- 逆に、あえて大きな波を作り反動を付けて求められる日時に最高の結果にもって行く「一発屋」の発想が必要
読書日記:「私」のための現代思想
8/21 「私」のための現代思想
■教養とは「自由になるための技術」である
- 上流階級出身者として恥ずかしくない教養を身に付ける、とかいって身に付けられた教養はこけおどしで実際には役に立たない
- 人が自由になる、ということを詳細に吟味検討してきたのは哲学であり、現代思想である
- 自分たちに与えられた武器は思考力であり言語力であり論理力であるからして、これを棄てるのは自由になることを棄てるのと同じおろかな行為である
- これら以外の武器が無い以上、それがどんなに貧弱でもこれで戦っていくしかない
■キリスト今日では自殺が罪になっているが、これは6世紀以降のことである
- 初期のキリスト教では自殺が礼賛されていた
- アウグスティヌスはこれを禁じたが依拠しているのは聖書ではなくプラトンの「パイドン」である
■原始キリスト教の精神を丁寧に解いたのはトルストイやスピノザである
- トルストイは要約福音書でキリストの言葉を語ったが、これはニーチェの非難の対象となるようなものではない
- スピノザがエチカで解いたのも似たような概念である
■論理は無限後退する・・・その最後の礎に神があるわけだがニーチェはそれを問題視した
- Aは正しい、なぜならBだからだ、となるとBはなぜ成立するか、なぜならCだからだ、Cはなぜ成立するか・・・といった形で無限後退する・・・最後に、それは神の意思だからだ、とすることで無限後退を終わらせられる
- 現代ではこの神の意思の変わりに科学的な事実がおかれている
- 意味など存在しない、という否定ではなく、これまであると考えられてきた意味が存在しない、ということが認識された・・・これがニヒリズムである
- つまりニヒリズムとは「何も信じない」という意味ではなく、本来信じていたいものが無いのだとわかった状態である、とニーチェは分析した
- ニーチェが「神は死んだ」という言葉は、絶対者としての神の位置に、科学的な真理が取って代わったということを意味している
- 神に取って代わって科学的真理がおかれたとしても、絶対的に正しい何者か、という枠組みが失われたわけではない・・・つまり科学的な真理自体もキリスト教の枠組み・・・絶対的に正しい何者かがすべての礎になるという枠組みの中に取り込まれている
■この社会に適応できない人こそ、この社会を変える変革者なのかも知れない
- この世が健康体で理想郷だと思っている人は一人もいない
- この社会に適応している人ばかりになってしまったら、世界をよりよい社会にすることはできない
- 適応できていない人の方が変革者になれる可能性がある
■枠から出るためには、与えられた問いに対する疑義がポイントになる
- うんこ味のカレーとカレー味のうんこ、どちらを食べると聞かれたら、どちらもyダ、と応えるのが正解である
- どちらか食べなければいけない、とされるなら、それを強制する誰かを殺す、というのが正解である
■自殺が禁止された理由は財産権の侵害という側面から説明できる
- 奴隷が死ぬと主人の財産が減る
- 兵隊が自殺すると兵力が減る
- 普通の人も神の僕であるからして、僕が勝手に命を処分してはならない
■ドイツの哲学者ハイデガーは世界劇場という概念を通じて、現存在=私たちそのものと、役柄は異なっていると考えた
- 役柄のことを心理学では仮面という意味の言葉としてペルソナと呼ぶ
- 人格=personalityはこのペルソナからきている
- 役割を演ずるために世界に投げ出されるのをハイデガーは企投と呼んだ
- 企投された人物が役柄に埋没していくのを耽落=Verfallenと読んだ
- 六本木のディスコ、ヴェルファーレの名づけ親はこれを知っていたのかも
- そのうち、役柄を演じている耽落した自分と、本来の自分を、人は区別できなくなってくる
- 多くの人は劇場の舞台の上では大根役者であり、役柄を演じているのに四苦八苦している一方で、役になりきって演じている人を喝采しつつも「ああはなりたくはないね」という態度も取ってしまう
■この世界を健全に生きていくためには「役柄」を演じていることを意識しつつ、演じ続けるしかない
- 世界劇場の舞台がイヤだったら1:舞台を降りる、2:演技をウマくする、3:役を変える、の3つしかない
- 1は死ぬということだし、2、3は出来れば苦労しない
- ということで、大根役者をやり続けなくてはならないのだが、一方で「これは役を演じているに過ぎない」と意識することで気にしなくなる
■世界を変えていくパワーを持っているのは大根役者である
- この世界は理想郷でも健康体でもない・・・つまり世界劇場ということで言えばゼンゼンだめな脚本である
- 花形役者は脚本を変えるインセンティブを持っていない
- この脚本自体を変えていこうという誘引を持っているのは大根役者である
■この世界の中に居残りながらも耽落せずに、いかに内部から世界をよりよい世界に変えていけるか、これが最大の課題である
■教養とは「自由になるための技術」である
- 上流階級出身者として恥ずかしくない教養を身に付ける、とかいって身に付けられた教養はこけおどしで実際には役に立たない
- 人が自由になる、ということを詳細に吟味検討してきたのは哲学であり、現代思想である
- 自分たちに与えられた武器は思考力であり言語力であり論理力であるからして、これを棄てるのは自由になることを棄てるのと同じおろかな行為である
- これら以外の武器が無い以上、それがどんなに貧弱でもこれで戦っていくしかない
■キリスト今日では自殺が罪になっているが、これは6世紀以降のことである
- 初期のキリスト教では自殺が礼賛されていた
- アウグスティヌスはこれを禁じたが依拠しているのは聖書ではなくプラトンの「パイドン」である
■原始キリスト教の精神を丁寧に解いたのはトルストイやスピノザである
- トルストイは要約福音書でキリストの言葉を語ったが、これはニーチェの非難の対象となるようなものではない
- スピノザがエチカで解いたのも似たような概念である
■論理は無限後退する・・・その最後の礎に神があるわけだがニーチェはそれを問題視した
- Aは正しい、なぜならBだからだ、となるとBはなぜ成立するか、なぜならCだからだ、Cはなぜ成立するか・・・といった形で無限後退する・・・最後に、それは神の意思だからだ、とすることで無限後退を終わらせられる
- 現代ではこの神の意思の変わりに科学的な事実がおかれている
- 意味など存在しない、という否定ではなく、これまであると考えられてきた意味が存在しない、ということが認識された・・・これがニヒリズムである
- つまりニヒリズムとは「何も信じない」という意味ではなく、本来信じていたいものが無いのだとわかった状態である、とニーチェは分析した
- ニーチェが「神は死んだ」という言葉は、絶対者としての神の位置に、科学的な真理が取って代わったということを意味している
- 神に取って代わって科学的真理がおかれたとしても、絶対的に正しい何者か、という枠組みが失われたわけではない・・・つまり科学的な真理自体もキリスト教の枠組み・・・絶対的に正しい何者かがすべての礎になるという枠組みの中に取り込まれている
■この社会に適応できない人こそ、この社会を変える変革者なのかも知れない
- この世が健康体で理想郷だと思っている人は一人もいない
- この社会に適応している人ばかりになってしまったら、世界をよりよい社会にすることはできない
- 適応できていない人の方が変革者になれる可能性がある
■枠から出るためには、与えられた問いに対する疑義がポイントになる
- うんこ味のカレーとカレー味のうんこ、どちらを食べると聞かれたら、どちらもyダ、と応えるのが正解である
- どちらか食べなければいけない、とされるなら、それを強制する誰かを殺す、というのが正解である
■自殺が禁止された理由は財産権の侵害という側面から説明できる
- 奴隷が死ぬと主人の財産が減る
- 兵隊が自殺すると兵力が減る
- 普通の人も神の僕であるからして、僕が勝手に命を処分してはならない
■ドイツの哲学者ハイデガーは世界劇場という概念を通じて、現存在=私たちそのものと、役柄は異なっていると考えた
- 役柄のことを心理学では仮面という意味の言葉としてペルソナと呼ぶ
- 人格=personalityはこのペルソナからきている
- 役割を演ずるために世界に投げ出されるのをハイデガーは企投と呼んだ
- 企投された人物が役柄に埋没していくのを耽落=Verfallenと読んだ
- 六本木のディスコ、ヴェルファーレの名づけ親はこれを知っていたのかも
- そのうち、役柄を演じている耽落した自分と、本来の自分を、人は区別できなくなってくる
- 多くの人は劇場の舞台の上では大根役者であり、役柄を演じているのに四苦八苦している一方で、役になりきって演じている人を喝采しつつも「ああはなりたくはないね」という態度も取ってしまう
■この世界を健全に生きていくためには「役柄」を演じていることを意識しつつ、演じ続けるしかない
- 世界劇場の舞台がイヤだったら1:舞台を降りる、2:演技をウマくする、3:役を変える、の3つしかない
- 1は死ぬということだし、2、3は出来れば苦労しない
- ということで、大根役者をやり続けなくてはならないのだが、一方で「これは役を演じているに過ぎない」と意識することで気にしなくなる
■世界を変えていくパワーを持っているのは大根役者である
- この世界は理想郷でも健康体でもない・・・つまり世界劇場ということで言えばゼンゼンだめな脚本である
- 花形役者は脚本を変えるインセンティブを持っていない
- この脚本自体を変えていこうという誘引を持っているのは大根役者である
■この世界の中に居残りながらも耽落せずに、いかに内部から世界をよりよい世界に変えていけるか、これが最大の課題である
Thursday, August 16, 2007
読書日記:世界文学を読みほどく 池澤夏樹
作家の池澤夏樹が世界文学の古典から現代作品を取り上げて、その解析を行った京都大学での講義を本にしたもの。
取り上げられている作品は
スタンダール パルムの僧院
ドストエフスキー カラマーゾフの兄弟
トルストイ アンナカレーニナ
メルヴィル 白鯨
ジョイス ユリシーズ
マン 魔の山
ガルシアマルケス 百年の孤独
マークトウェイン ハックルベリ・フィンの冒険 等
これらのうちの一つも読んだことがなかったのだが、ストーリーが簡潔に説明されているのでどんな話かはわかる。しかし、これを読んだからと言って本作を呼んでみようという気には、正直ならなかった。
世界的な名作のストーリーが簡潔に学べるというよりも、小説というものに対する向き合い方、文学を楽しむときのスタンスの取り方を学べる、というのが本書のよさではないかと思う。
考えて見ると小説って、ストーリーそのものは非常に単純だったりする。
例えばアンナカレーニナというのは、貴族の若奥さんが若い軍人と恋仲になって家出して二人で暮らし始めるが結局はウマく行かなくて最後には列車に飛び込んで轢死する、というまあたわいもない話なのであるが、それをストーリーの面白さとして求めてしまうと結構苦しいので、まあその他のポイントから楽しむということなのですが、それが小説の楽しみ方なのだな、と思った次第です。
取り上げられている作品は
スタンダール パルムの僧院
ドストエフスキー カラマーゾフの兄弟
トルストイ アンナカレーニナ
メルヴィル 白鯨
ジョイス ユリシーズ
マン 魔の山
ガルシアマルケス 百年の孤独
マークトウェイン ハックルベリ・フィンの冒険 等
これらのうちの一つも読んだことがなかったのだが、ストーリーが簡潔に説明されているのでどんな話かはわかる。しかし、これを読んだからと言って本作を呼んでみようという気には、正直ならなかった。
世界的な名作のストーリーが簡潔に学べるというよりも、小説というものに対する向き合い方、文学を楽しむときのスタンスの取り方を学べる、というのが本書のよさではないかと思う。
考えて見ると小説って、ストーリーそのものは非常に単純だったりする。
例えばアンナカレーニナというのは、貴族の若奥さんが若い軍人と恋仲になって家出して二人で暮らし始めるが結局はウマく行かなくて最後には列車に飛び込んで轢死する、というまあたわいもない話なのであるが、それをストーリーの面白さとして求めてしまうと結構苦しいので、まあその他のポイントから楽しむということなのですが、それが小説の楽しみ方なのだな、と思った次第です。
読書日記:アンダースロー論 渡辺俊介
渡辺投手のアンダースロー論を読了した。
アンダースローとは、野球の投手のスタイルでいわゆる下手投げのことである。
野球狂の詩の水原勇気を思い出すかも知れないけどあれはソフトボール投げで下手投げではない。
ボクは野球選手の書いた本が好きで最近だと「不動心」とか「和田の130キロは何故打てないのか」とか「巨人論」とか読んでいる。野球も一種の競争なので戦略コンサルティングのヒントがあるかも知れないと思って何となく手にしてしまうんだと思う。
で、読んでみてどうだったかというと、正直経営戦略に活かせる部分は少なかったのですが、先日の松井の本を読んだときにも思ったのですが、この渡辺投手という人も、もう考えて考えて考え抜いて自分のピッチングのあり方、トレーニングの仕方、試合に向けたコンディションの整え方を磨き上げているな、という感じで、ある種才能の無いことを思考でカバーしているな、という気がした。
日常生活の中でのちょっとした心がけで、自分が極めたいと思っている道の進歩が得られる、ということを常に考えて実践しているという感じでしょうか。
ちょっと見習ってみたいと思います。
アンダースローとは、野球の投手のスタイルでいわゆる下手投げのことである。
野球狂の詩の水原勇気を思い出すかも知れないけどあれはソフトボール投げで下手投げではない。
ボクは野球選手の書いた本が好きで最近だと「不動心」とか「和田の130キロは何故打てないのか」とか「巨人論」とか読んでいる。野球も一種の競争なので戦略コンサルティングのヒントがあるかも知れないと思って何となく手にしてしまうんだと思う。
で、読んでみてどうだったかというと、正直経営戦略に活かせる部分は少なかったのですが、先日の松井の本を読んだときにも思ったのですが、この渡辺投手という人も、もう考えて考えて考え抜いて自分のピッチングのあり方、トレーニングの仕方、試合に向けたコンディションの整え方を磨き上げているな、という感じで、ある種才能の無いことを思考でカバーしているな、という気がした。
日常生活の中でのちょっとした心がけで、自分が極めたいと思っている道の進歩が得られる、ということを常に考えて実践しているという感じでしょうか。
ちょっと見習ってみたいと思います。
Wednesday, August 15, 2007
読書日記:なぜ安くしても売れないのか? +同期との会食
電通時代の同期二人と会食。
一人は四半期に一度は必ず会ってご飯を食べるM君。INSEADとLSEで両方修士を出ている俊才。ずっとコンサルティングファームへ誘っているのだが未だに電通でプランナーを続けている。
もう一人は現在コロンビアのビジネススクールに行っているが夏休みで戻ってきていてマッキンゼーでサマーインターン中。
ドンゾコまで飲んでしまった・・・・
なぜ安くしても売れないのか?を読了。
いま担当している大手外食チェーンの建て直しプロジェクトに、非常に示唆があった。要するに中途半端なポジションだと負けるよ、という本。
ポイントは、
1:消費は二極化しており、中間層の企業は今後戦略転換を強いられる
=消費者が二極化しているのではなく、同じ消費者がハイエンドとローエンドの消費を行うようになってきている
=クラフトチーズの事例→stuck in the middle
2:なぜ安くしても売れないかというと、消費者はただ単に価格だけを購買意思決定の基準にしているわけではないからである
=消費者が購入の意思決定を行うためのポイントは価格+技術+性能+刺激+顧客接点の質+感情面である
=こういったポイントを実際に知るためには消費の現場まで赴いて声を聞かないとダメダ
3:倹約も度を越すと快感になる
=つまり主婦の場合は倹約の快感と家族への投資の快感が消費のドライバーになる・・・均衡点でないところがミソ
4:消費はアンバランスで不整合である
=例えば住宅ローンでキュウキュウしている家の主人がポーカーやゴルフにポーンとお金を出す
=外食もミネラルウォーターも敬遠するサラリーマンが高級ブランドの財布をポーンと買う
5:勝つためには「ワンランク上」か「ワンランク下」を志向する必要がある
=ワンランク下で勝つためには、中途半端でない低価格で基本機能を満たしながら、同時に信頼性が求められる
=ワンランク上で勝つには消費者に満足度を与えるプレミアムが必要だが、非常に難しい
=どちらにしても中途半端はダメ・・・価格をちょっといじるだけでなく、VC全体に変革が必要。そのためには勇気がもって断行することが求められる
6:その両方を嗜好して成功している企業もいくつかある
=マリオットはブルガリホテルとマリオットを両立
=リグリー
=トヨタ
一人は四半期に一度は必ず会ってご飯を食べるM君。INSEADとLSEで両方修士を出ている俊才。ずっとコンサルティングファームへ誘っているのだが未だに電通でプランナーを続けている。
もう一人は現在コロンビアのビジネススクールに行っているが夏休みで戻ってきていてマッキンゼーでサマーインターン中。
ドンゾコまで飲んでしまった・・・・
なぜ安くしても売れないのか?を読了。
いま担当している大手外食チェーンの建て直しプロジェクトに、非常に示唆があった。要するに中途半端なポジションだと負けるよ、という本。
ポイントは、
1:消費は二極化しており、中間層の企業は今後戦略転換を強いられる
=消費者が二極化しているのではなく、同じ消費者がハイエンドとローエンドの消費を行うようになってきている
=クラフトチーズの事例→stuck in the middle
2:なぜ安くしても売れないかというと、消費者はただ単に価格だけを購買意思決定の基準にしているわけではないからである
=消費者が購入の意思決定を行うためのポイントは価格+技術+性能+刺激+顧客接点の質+感情面である
=こういったポイントを実際に知るためには消費の現場まで赴いて声を聞かないとダメダ
3:倹約も度を越すと快感になる
=つまり主婦の場合は倹約の快感と家族への投資の快感が消費のドライバーになる・・・均衡点でないところがミソ
4:消費はアンバランスで不整合である
=例えば住宅ローンでキュウキュウしている家の主人がポーカーやゴルフにポーンとお金を出す
=外食もミネラルウォーターも敬遠するサラリーマンが高級ブランドの財布をポーンと買う
5:勝つためには「ワンランク上」か「ワンランク下」を志向する必要がある
=ワンランク下で勝つためには、中途半端でない低価格で基本機能を満たしながら、同時に信頼性が求められる
=ワンランク上で勝つには消費者に満足度を与えるプレミアムが必要だが、非常に難しい
=どちらにしても中途半端はダメ・・・価格をちょっといじるだけでなく、VC全体に変革が必要。そのためには勇気がもって断行することが求められる
6:その両方を嗜好して成功している企業もいくつかある
=マリオットはブルガリホテルとマリオットを両立
=リグリー
=トヨタ
読書日記:経済大国興亡史 下巻 ポール・ケネディ
経済大国興亡史 下巻
眠くなる本だけどなんとか下巻のみ読了。面白いんだけど書き方が回りくどくて・・・
ポイントは・・・
1:アルフレッドマーシャルは著書「経済学原理」において「自然は跳躍せず」と訴えている
2:イギリスにおいて産業革命があったかなかったは歴史学者の間で議論のあるところであるが、1766年から1825年の60年間の間に、特許数が2000%を超える増大を示したことは注目に価する
3:すべての特許が同等の重要性を持っていたわけではないが、アルバート・ハーシュマンが「リンケージ」という概念を用いて説明したように、技術は単体それ自体をとってみて重要性を云々するよりも、その技術が他の技術に及ぼす影響を鑑みて検討する必要がある
=縦糸→横糸→縦横糸
=蒸気機関の発明→石炭需要の増加→坑道の深堀→汲み上げポンプ需要の増加、
4:産業革命時代の発明家の殆どが幾人かの科学者を除けば殆どアマチュアあであった
5:衰退の一つの兆候として過去の技術への拘泥・イノベーションの忌避がある
=例えば苛性ソーダ生産に関して、新方式の生産に切り替えることで明らかに利益が増大することがわかっているのに時代遅れの製法に執着していた
=また造船業では様々な既得権益者による新技術導入への抵抗が見られる
=蒸気機関で成功した熟練工によるディーゼルへの切り替えに対する抵抗
=造船工のボイラー工に対する抵抗(ボイラー工→甲鉄船、造船工→木造船)
眠くなる本だけどなんとか下巻のみ読了。面白いんだけど書き方が回りくどくて・・・
ポイントは・・・
1:アルフレッドマーシャルは著書「経済学原理」において「自然は跳躍せず」と訴えている
2:イギリスにおいて産業革命があったかなかったは歴史学者の間で議論のあるところであるが、1766年から1825年の60年間の間に、特許数が2000%を超える増大を示したことは注目に価する
3:すべての特許が同等の重要性を持っていたわけではないが、アルバート・ハーシュマンが「リンケージ」という概念を用いて説明したように、技術は単体それ自体をとってみて重要性を云々するよりも、その技術が他の技術に及ぼす影響を鑑みて検討する必要がある
=縦糸→横糸→縦横糸
=蒸気機関の発明→石炭需要の増加→坑道の深堀→汲み上げポンプ需要の増加、
4:産業革命時代の発明家の殆どが幾人かの科学者を除けば殆どアマチュアあであった
5:衰退の一つの兆候として過去の技術への拘泥・イノベーションの忌避がある
=例えば苛性ソーダ生産に関して、新方式の生産に切り替えることで明らかに利益が増大することがわかっているのに時代遅れの製法に執着していた
=また造船業では様々な既得権益者による新技術導入への抵抗が見られる
=蒸気機関で成功した熟練工によるディーゼルへの切り替えに対する抵抗
=造船工のボイラー工に対する抵抗(ボイラー工→甲鉄船、造船工→木造船)
読書日記:組織変革のビジョン 金井壽宏
組織変革のビジョンを読了
アマゾンのレビューで高評価だったので読んでみたが面白かった。
金井先生は学者なので通常のビジネスマンや経営者とは切り込む角度が違う。
ポイントは、
1:何かを新たに始める、ということは同時に終わらせる、ということでもある
=ウィリアム・ブリッジスは臨床家として、一見すると開始に見える問題というのは、実はきちんと終焉できていないというのが問題だと指摘している
=変化には「終焉」「中立」「開始」の3ステップが必要である
=失恋した後ですぐに別の人と付き合い始めたがうまくいかない、というのはこの問題である
=AT&T分割の際、社長は新しいAT&Tをアピールしたがなかなか変わらなかったのは、多くの人にとって「以前のAT&T」が終焉していなかった・・・昔は良かった、またあの感じに戻りたい、という気持ちにケリをつけられなかった、というの理由である
2:例え優秀な人であっても、複数集まると一人で行う判断より、かえって品質の低い意思決定をしてしまうことがある・・・これを集団浅慮という
=自集団への過剰な自信
=集団以外へ耳を貸さない閉鎖性
=同調への圧力
3:集団浅慮は凝集性の高い集団で発生し易い・・要するに結束力の強い集団だと過ちを犯し易い
=ちなみにスタンリー・シーショアは集団の凝集性/結束力と集団のパフォーマンスには相関がないことを証明している
=カギは集団の規範にある・・・手抜きが規範になると結束力の強さとパフォーマンスが逆相関になる・・・一種の談合
=つまり頑張る/成果を追及するという集団規範とセットになって初めて凝集性/団結力はパフォーマンスに結びつく
4:何度やっても失敗、というのを繰り返すと人は「学習性無気力」に陥る
=M.セリグマンの理論
5:危機感をあおれば組織が変わる、変革がウマく行く、というものでもない
=人は緊張のレベルが上がるとパフォーマンスをが上がるが、緊張のレベルがある一定量を超えるとパフォーマンスは低下してしまう
=脅威が大きくなりすぎると硬直してしまう・・これを脅威→硬直性仮説という
=これをヤーキーズ=ドットソンの法則という
6:地図・チャートがある、というだけで人は勇気付けられる
=ハンガリー軍の雪中演習の際の遭難で用いられたのは実際にはピレネーの地図だった
=地図がある、という希望そのものが前向きの努力と忍耐を生んだと考えられる
アマゾンのレビューで高評価だったので読んでみたが面白かった。
金井先生は学者なので通常のビジネスマンや経営者とは切り込む角度が違う。
ポイントは、
1:何かを新たに始める、ということは同時に終わらせる、ということでもある
=ウィリアム・ブリッジスは臨床家として、一見すると開始に見える問題というのは、実はきちんと終焉できていないというのが問題だと指摘している
=変化には「終焉」「中立」「開始」の3ステップが必要である
=失恋した後ですぐに別の人と付き合い始めたがうまくいかない、というのはこの問題である
=AT&T分割の際、社長は新しいAT&Tをアピールしたがなかなか変わらなかったのは、多くの人にとって「以前のAT&T」が終焉していなかった・・・昔は良かった、またあの感じに戻りたい、という気持ちにケリをつけられなかった、というの理由である
2:例え優秀な人であっても、複数集まると一人で行う判断より、かえって品質の低い意思決定をしてしまうことがある・・・これを集団浅慮という
=自集団への過剰な自信
=集団以外へ耳を貸さない閉鎖性
=同調への圧力
3:集団浅慮は凝集性の高い集団で発生し易い・・要するに結束力の強い集団だと過ちを犯し易い
=ちなみにスタンリー・シーショアは集団の凝集性/結束力と集団のパフォーマンスには相関がないことを証明している
=カギは集団の規範にある・・・手抜きが規範になると結束力の強さとパフォーマンスが逆相関になる・・・一種の談合
=つまり頑張る/成果を追及するという集団規範とセットになって初めて凝集性/団結力はパフォーマンスに結びつく
4:何度やっても失敗、というのを繰り返すと人は「学習性無気力」に陥る
=M.セリグマンの理論
5:危機感をあおれば組織が変わる、変革がウマく行く、というものでもない
=人は緊張のレベルが上がるとパフォーマンスをが上がるが、緊張のレベルがある一定量を超えるとパフォーマンスは低下してしまう
=脅威が大きくなりすぎると硬直してしまう・・これを脅威→硬直性仮説という
=これをヤーキーズ=ドットソンの法則という
6:地図・チャートがある、というだけで人は勇気付けられる
=ハンガリー軍の雪中演習の際の遭難で用いられたのは実際にはピレネーの地図だった
=地図がある、という希望そのものが前向きの努力と忍耐を生んだと考えられる
読書日記:不動心 松井秀喜
松井秀喜の不動心を読了。
素直に尊敬すべき人物だと思った。いろいろと見習うべきポイントがあるよい本です。2時間くらいで読めるのではないでしょうか?
ポイントは
1:何か悪いことがあれば常にそこから学び取れることはある
=生きる力とはそもそも成功を続ける力ではなく困難を乗り越える力である
=大事なのはその時点その時点で前向きに何ができるかを考え、行動すること
= リハビリはウソをつかない by長嶋茂雄
2: 自分が所属している組織に誇りを持て
=ヤンキースの一員になれて幸せだった byジョー・ディマジオ
=自分が所属している組織に誇りを持っている友人ほど活躍している
3:つらいこと悲しいことがあっても口に出して言わない・態度に出さない
=あー失敗した~という言葉に自分自身が引っ張られる
=怒ることがあってもバットを投げたりしない・・・そうすることで心を乱さない、心が乱れるとバッティングが乱れる
=王選手は敬遠にあってもバットをそっと置いていた
4:心が大事である
=こころが変われば行動が変わる、行動が変われば習慣が変わる、習慣が変われば人格が変わる、人格が変われば運命が変わる
5:虚心坦懐に自分の強みを考え、競争環境に応じて自分の強みを再設定する
=日本ではホームランバッターだった松井はアメリカではホームランバッターたらんとはしていない
=無理に大リーガーと戦ってホームランバッターたらんとしていたらスイングが崩れてしまう
=むしろ、日本人のよさ、日本野球のよさ、自分の体格やバッティングスタイルを考えなおすことで、大リーガーと差別化できる部分を再設定すべき
6:悪いときには悪いことを忘れるよりも、悪さの要因に向き合うべき
=アメリカでホームランが打てなかったとき「そのうち打てるようになるさ」と考えたら今の自分は無い
=クヨクヨするのではなく、悪さに正面から向き合ってこれの解決を図ることが肝要である
素直に尊敬すべき人物だと思った。いろいろと見習うべきポイントがあるよい本です。2時間くらいで読めるのではないでしょうか?
ポイントは
1:何か悪いことがあれば常にそこから学び取れることはある
=生きる力とはそもそも成功を続ける力ではなく困難を乗り越える力である
=大事なのはその時点その時点で前向きに何ができるかを考え、行動すること
= リハビリはウソをつかない by長嶋茂雄
2: 自分が所属している組織に誇りを持て
=ヤンキースの一員になれて幸せだった byジョー・ディマジオ
=自分が所属している組織に誇りを持っている友人ほど活躍している
3:つらいこと悲しいことがあっても口に出して言わない・態度に出さない
=あー失敗した~という言葉に自分自身が引っ張られる
=怒ることがあってもバットを投げたりしない・・・そうすることで心を乱さない、心が乱れるとバッティングが乱れる
=王選手は敬遠にあってもバットをそっと置いていた
4:心が大事である
=こころが変われば行動が変わる、行動が変われば習慣が変わる、習慣が変われば人格が変わる、人格が変われば運命が変わる
5:虚心坦懐に自分の強みを考え、競争環境に応じて自分の強みを再設定する
=日本ではホームランバッターだった松井はアメリカではホームランバッターたらんとはしていない
=無理に大リーガーと戦ってホームランバッターたらんとしていたらスイングが崩れてしまう
=むしろ、日本人のよさ、日本野球のよさ、自分の体格やバッティングスタイルを考えなおすことで、大リーガーと差別化できる部分を再設定すべき
6:悪いときには悪いことを忘れるよりも、悪さの要因に向き合うべき
=アメリカでホームランが打てなかったとき「そのうち打てるようになるさ」と考えたら今の自分は無い
=クヨクヨするのではなく、悪さに正面から向き合ってこれの解決を図ることが肝要である
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